アメリカで働くことを夢見ていた私は、二十代後半に、日本語教師アシスタントとしてカンザス州に派遣されることになった。不安を感じることなく、意気揚々としてウィチタ市に降り立った私は、アメリカが抱えている貧富の差を目の当たりにした。

 

 私が派遣された小、中、高校は、貧困層が生活している地域にあった。生徒たちの服には穴が開き、髪の毛はしばらく洗っていないため、シラミが動いている。食事にも事欠く生活をしている生徒が多いことから、小、中学校では朝食と昼食を出していた。

 年に一度か二度、遠足があり、生徒たちはバス代として1ドル(110円程)を払い、参加する。しかし、1ドルを払うことができずに、学校で居残り勉強をする生徒がいる。その中にケリーという女の子がいた。彼女の家は貧しく、兄弟が多いため、遠足に参加したことがない。いつも黄色いスクールバスが遠ざかるのを眺めるだけだ。

 

 1月。私の誕生日を祝うため、生徒たちが誕生カードを作ってくれた。絵を描いたり、好きな言葉を書いてくれたり、私にとって一生の宝物になった。1枚の誕生カードを開いてみると、1ドルが入っていた。誰のだろうと思い裏を見ると、ケリーの名前がある。1ドルが払えずに遠足に行けない彼女が、家でトイレ掃除、買い物、お風呂掃除等をして、お母さんから1ドルをもらったという。ケリーの捧げる心に涙が出て来た。

 捧げる心とは何かを、ケリーから学んだ。喜んで捧げること、それが神様に喜ばれる心である。

 

 「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(1サムエル記16:7)

 

捧げる心について知りたい方は、こちらへ。

http://malkoushu.shop-pro.jp/