昨日、生まれて初めてお茶会に参加させてもらいました。
それも場所は、九段下ビルという・・・廃墟。
いや、廃墟というには超失礼。人も住んでます。
お茶会の会場となったのはそこの一室。
古ぼけた、コンクリ打ちっ放しで壁もぼろぼろな建物にもかかわらず、畳にお花、軸とそれから茶道具が入るだけで凛とした空気なのです!
この”世間から見捨てられたような部屋”につくられた”お茶室”という組み合わせがむしろ相乗効果となって、重みと軽さと、はかなさの同居する独特の空気感ができていたのでしょう。
なにしろ窓をあければ首都高も見えちゃうし、駅から徒歩1分の場所にあるのに、同潤会と同年代のビルです。


さて私は、お茶のたしなみまるっきりなしの私でもいいのかしら?と思いつつも、そんなこと言ってたら一生やれないじゃないか!と鼻息荒く、また主催者さんが「初心者でも大丈夫」といってくださったので参加させてもらいました。
お作法について少し調べてから行ったので、お茶ってなんだか作法がたくさんあって大変そうだと思っていたけれど。

お茶会、参加して気がついた。
全部お作法は”その場でスマートでいるためのもの”であって、作法がたくさんあるってことはむしろ簡単なものなんだってこと。
それって、”社会人のマナー”とか”大人のたしなみ”とか他にも全部そうじゃないですか!
わかってたつもりになってた自分に気づいたというか、やっぱそっかと再認識させられたというか。

あとね、あの独特の空気感…自然と姿勢が正されて、静かで良い緊張感のあの空間。
他人の一挙一動が全部空気の流れになっていくような。
みんなをはりめぐらしてつなげる、見えない糸があるような。
静かにお風呂でひとり思案するのと似ているようで全然ちがう、思考がクリアになっていく感じ。

佇まいそのものから意識してないといけないっていうのが、その時私が感じたお茶の醍醐味。
お茶の世界、もう少し足を踏み入れたいです。


またその日は、人が人を呼び、主催者さんの人徳だよって誰かが言っていたけれど、九段下ビルという廃墟にものすごいたくさんの人が集まりました。これもまた、対照的な組み合わせ。こういう組み合わせ方って好き。



あ、あとね、お茶とお茶菓子、おいしかったです。お茶って思ってたより苦くない!家でも飲みたいそんな味。