反省の習慣は、ビジネス成功の第一歩(二宮尊徳に学ぶ) | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

反省の習慣は、ビジネス成功の第一歩(二宮尊徳に学ぶ)

ビジネスにおいては、日々生じるいろいろな出来事に対して、お客様の目線で考え、お客様に役立つように判断できれば大体上手くいくようになっているものです。
ところが、上手くいかない時は、逆に自分にとって有利になるように考え判断していることが多いものです。

このことを、先哲、二宮尊徳翁は、ある人に向けて話しています。

 

ある知人が郷里に帰る挨拶に来た。その人物がいつもおしゃべりだったので次のように諭された。

 

お前は故郷に帰ったならば、人に説くくせは止めた方がよい。人に説くことを止めて、自分の心で自分の心に意見しなさい。自分の心で自分の心に意見するのは、ちょうど、自分の斧で、その斧の柄(え)になる木を伐るくらいに簡単だからだ。(手元に見本となる斧があるので、どれくらいの長さに木を伐ればいいのかすぐわかる、という意味)。

 

その場合、意見する心はお前の私欲のない心であり、意見されるのはお前の私欲ある心だ。寝ても覚めても、座っていても、歩いていても、私欲のない心と私欲のある心とは離れることがないから、どんな時も油断することなく意見をするがよい。

もし、自分が酒を飲みたいと思えば多く飲むなと意見し、すぐにやめればよし、やめないならば何度でも意見せよ。驕りの心が起こるときにも、安逸の欲が起こるときにも、同じように自分で自分に意見せよ。

すべてのことがこのように、自分で自分を戒めることができれば、これは最上の工夫である。

 

このように工夫を重ねたのち、自分の身も修まり、家もよく治まっていけば、それすなわち自分の心が自分の心の意見を聞いたことになり、そうなれば、そのときこそお前の説を聞く者も現れるだろう。自分が修まってこそ人に及ぶからである。それゆえ、自分の心で自分の心を戒め、自分が聞かなければ絶対に人に説くことはしないほうがよい。

またお前が家に帰ったならば、商売に励むことになろう。土地柄といい、代々の家業といい申し分がない。しかし、決して儲けようと思うな。ただ商道の本意を勤めよ。商人たるものが商道の本意を忘れれば、当座の利益を得たとしても、結局は滅亡を招く。よく商道の本意を守り努力すれば、財宝は求めずとも集まり、富貴、繁盛は計り知れない。(
二宮尊徳翁夜話37より)

考えてみれば、人間は崇高な心と本能的な欲の心を一緒に持っています。そのことを腹に入れたうえで、自分の判断と行為が、自分の良心に背かないように努めることができるようになることこそ人間の面目を保つことに繋がるのだ、という二宮翁の訓えには深く感じ入りました。

 

二宮尊徳翁夜話(37より)