本田宗一郎氏が現役社長だったころ、話されていたこと(「俺の考え」を読む) | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

本田宗一郎氏が現役社長だったころ、話されていたこと(「俺の考え」を読む)

本田技研工業創業者の本田宗一郎氏が50代半ばのバリバリの現役社長だったころ、昭和38年(1963年)に出版された「俺の考え」ですが、ありがたいことにまだ求めることが可能です。

 

そもそも社長が出す本のタイトルに「俺」という言葉を選ぶこと自体が不思議な感じがします。この本の冒頭でご本人が出版社が考えたタイトルだと言い訳しながらも、普段の自分の言葉使いはその通りなので了承したとあります。

ご本人にとって仕事以外のことは些細なことであり、このこだわりの無さがその人間性を表しているように感じます。

 

さて、この本を取り上げたのは、本田宗一郎氏がどのように戦後日本の環境激変を乗り越えたのか、その思考の秘密が伺えるからです。

 

本田技研工業は、もともと二輪メーカーとしてスタートしました。多くのライバルとの競争に勝ち抜いた結果、昭和30年代には本田宗一郎氏は「カミナリ族(暴走族)の大親分」というありがたくないアダ名をつけられます。普通なら嫌がるところだと思います。

 

それに対して、こんなことを本の冒頭でおっしゃっています。

 

『世間の人は悪口のようにいっているけれども、私にとっては悪口じゃない。

それはなぜかというと、カミナリといわれるような性能のオートバイをつくったということが、要するに現在の輸出を支えている、こう私は自負しているからだ。

もしカミナリ族にならんような、世界各国からみて性能の悪いオートバイだったら、おそらく外国のあの立派な道路へは輸出できなかっただろう。その意味において「カミナリ族の大親分」というのはほんとうにいい名前だと自負し、感謝しているわけである。』

 

いかがでしょうか?否定的な印象が見事に肯定的な印象に転換しています。もちろん、本人が心からそう考えておられることも伝わりますが、なによりその積極的な思考、ものの考え方が普通の人と違うと感じます。

 

その大元にあるのは、次のような考え方です。

 

『われわれの知恵は見たり聞いたり試したりの三つの知恵で大体できている。

そのうちで見たり聞いたりなんてものは迫力もないし、人に訴える力もないと思う。ためしたという知恵、これが人を感動させ、しかも自分のほんとうの身になる。血となり肉となる知恵だと思う。

(中略)

真理はわれわれの周辺にはいくらでもどこににも転がっているはずである。それをくみとったか、くみとらんかっただけの問題である。』

 

試すことの意味、行動して真理かどうかを確認し続けることをいかに大切に考えておられたかが伝わってきます。

お薦めの一冊です。