野球の美学、王と江夏、後藤正治氏の日経新聞エッセイについて | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

野球の美学、王と江夏、後藤正治氏の日経新聞エッセイについて

紹介しようと思っていた記事を一つ思い出しました。
日経新聞に連載されたノンフィクション作家の後藤正治氏のエッセイです。
実際に、王さんがダイエーホークスの監督時代にインタビューされた上でのエッセイですので、ある意味、野球というスポーツに含まれているプレーヤーの生き方が透けて見える好エッセイになっています。

(引用ここから)

王と江夏、名勝負裏の美学
デッドボールはひとつもなかった
http://www.nikkei.com/article/DGKDZO48775560U2A121C1MZH000/

 王貞治が福岡ダイエーホークスの監督をつとめていた日である。現役時代のある打席について証言を得たく、ドーム球場を訪ねた。バックネット裏の小部屋。試合前の打撃練習の時間帯で、ぽんぽんと打球がスタンドに飛び込んでいく。

 1971年9月15日、甲子園球場。巨人・阪神戦での打席である。9回表二死でランナー二、三塁。ここまで2対0と阪神がリード。マウンドにあったのは江夏豊。この日、江夏は絶好調、逆に王は“絶不調″であったが、ここで劇的な逆転ホームランを放った。

□  □  □

 遠い日のこと。私は翌日の新聞記事のコピーを手にしていた。それを読んでもらって、記憶を甦(よみがえ)らせてもらおうと思ったのである。

 コピーを手にした王は、側にいたマネージャーに「悪いけど読んでみてくれるかい」といった。細かい字がつらいのだ。お互い様だな……と思った。

《まさか王の一発が土壇場で飛び出すとはだれも思わなかったろう。ホームラン打者の代名詞でもある彼に「まさか」という言葉は失礼かもしれない。が、最近スランプのどん底であえぎ続けている王のバッティングから推しても、またこの夜、江夏から3三振を奪われていることからも、逆転本塁打は、到底考えられなかった……》

 マネージャーの声を、うん、うんと頷(うなず)きつつ、やがて王は途中で声をさえぎった。読んでもらうまでもなく、記憶に刻まれた一打であったからだ。

 王特有の、打った瞬間にホームランという当たりではない。ぼーんと舞い上がった打球は、秋の「逆浜風」に乗ってライトのラッキーゾーンを越えた。

「藁(わら)をもつかむといいますか、なんとかせにゃいかんという思いが伝わったといいますか、その気持がわずかに江夏の球威を上回ったのでしょうね。内側の球であるのも幸いした……」

 この日、王は外角の球にまったく手が出なかった。カウント二―三。キャッチャーからのサインも外角だった。が、江夏は二度三度と首を振り、あえてインコース真っ直(す)ぐで勝負した。

「あのときにね、外角に投げる気にはどうしてもならなかった。王さんの手の出るコース、そこへ自分の最高の球を投げ込みたかった。それが、ライバルへのいわば礼儀だと」

 勝負にプラス、ある美学をもって立ち向かったのが江夏という投手だった。

 現役時代、王は通算868本の本塁打を放った。そのなかでもっとも思い出深き本塁打としてこの一打を挙げた。不調のどん底でのひと振りだったからである。

 小部屋での話は長引いた。試合開始が迫っている。マネージャーに促され、王は腰を上げた。別れ際、こんなひと言を残して出て行った。

「江夏とは12年間闘ったけれど、確かデッドボールはひとつもなかったと思いますよ」

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 江夏の阪神在籍は9年。広島での3年間を加えるとセ・リーグ12年になる。この間、二人の対決で残っている数字は以下である。

 二百五十八打数、七十四安打、二割八分七厘、二十本塁打、五十七三振。

 江夏によっても王によっても、最後の勝負球は常にインコース膝もとのストレートだったという。そこに王の弱点があり、またツボがあった。センチ、あるいはミリをめぐるぎりぎりのせめぎ合い。

 仮に一打席四球あったとすれば計千球を超える。一球も死球がなかったとは不思議である。いかに江夏のコントロールが良かったか。加えて、この投手がぶつけても仕方ないと割り切って投げるピッチャーではなかったことを示している。勝負においてクリーンだった。

『牙』と題する阪神時代の江夏物語を書いた。王のひと言が書きたいという気持を後押ししてくれた。江夏は卓越した技量をもつ投手であったが、常に“問題児″であった。歴代の監督にはことごとく反抗し、マスコミとも衝突した。現役引退後は覚せい剤取締法違反で有罪判決を受け、刑務所暮らしも体験している。

 上梓(じょうし)後、またいまも訊(き)かれることがある。江夏とはどのような投手であったのか、と。いつもこう答えてきた。

 ――ことグラウンドにおいてはすばらしい選手だった、と。

(引用ここまで)


本日は余韻に浸りたいと思います。

では。