癌になっても医師のいいなりにならず、自分の運命を自分で決める生き方、吉野ゆりえさん | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

癌になっても医師のいいなりにならず、自分の運命を自分で決める生き方、吉野ゆりえさん

JBPRESSの年末のネット記事でこんなものがあります。すでにネット上でも話題にのぼり随分拡大しているようです。

元ミス日本、ガンとの壮絶すぎる闘い http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36774
ご本人のブログはこちら、http://ameblo.jp/yurieyoshino/

生命(いのち)を自分の意思でどのように使うのかという視点で読むことのできる、非常に稀有な吉野さんの生き方の素晴らしさが伝わってくるインタビュー記事です。

前文は割愛していますが、ご興味のある方は是非、全文を上記サイトからお読みください。

吉野さんご自身のことは、以前、NHKでも取り上げられていたので存じ上げていたのですが、その後の活動のことやその考え方、生き方には他人を巻き込む力を感じます。

(引用ここから)

川嶋 吉野さんが、がんに罹患された時の様子からお聞かせいただけますか。

吉野 プロの社交(競技)ダンサーを2002年に現役引退して、その後は審査員や後進の育成などにあたっていたのですが、ちょうどオーストラリアで仕事をしている時に、激しい腹痛に襲われ倒れたのが始まりです。

 病院でいろいろと調べましたが、原因がはっきり分からない。ただ、婦人科系の疾患ではないかということでした。痛みもある程度治まったので、日本で診察してもらったほうがいいだろうということで急遽帰国しました。

 最初に行った大学病院では、卵巣が腫れているだけという診断でした。それで定期検診を受けながら様子を見ようと。病気ではないから薬もありませんでした。

 そうやって1年くらい経ったころに、また腹痛で倒れたんです。そこで画像を撮ったら、10センチの腫瘍が見つかりました。医師は良性だろうと言いましたが、私は少し怪しいなという感じがあったので、セカンドオピニオンをもらいに別の医療機関に行ったんです。

川嶋 怪しいなと感じたのはなぜですか。

吉野 その先生は婦人科系の腹腔鏡手術では有名な方だったんですが、患者を見下すような態度が信用できないなと思って。それで別の大学病院で診てもらいました。偶然にもこちらの先生も婦人科の腹腔鏡手術で有名な方でした。

 そこで血液検査や画像検査をしたところ、やはり悪性ではないだろうとの診断でした。ただ、腫瘍がどこから出ているかは分からないと。

 2番目の先生はいい方でしたし、腹腔鏡手術は傷が小さくて体に負担が少ないということで2005年2月に手術を受けました。10センチの腫瘍を取り出すために、お腹の中で腫瘍を切り刻んで、吸い出す手術です。手術中の細胞診の結果も良性でした。

川嶋 がんではなかったということですか。

吉野 その時点では。ところが、手術の2週間後の朝、自宅に執刀医から電話がかかってきました。病理検査の結果が出たので、今日できる限り早く来てくださいと。通常、先生が直接電話をかけてくるなんてことはあり得ないので胸騒ぎはしたんです。

 病院に行ったら、病理で詳しく調べたところ実は悪性だということが分かったというんです。つまり、がんです。しかも後腹膜平滑筋肉腫という種類の希少がんでした。

 肉腫というのは腫瘍マーカーが見つかっていないので血液検査では分からない。私の場合、PET(陽電子放射断層撮影)検査でもほとんど映りません。要するに、非常に希少ながんのため研究も進んでおらず、手術前にはほとんど診断ができないものなのですが、結果的に術前の診断が間違っていたということです。

 そして良性ということで安心して腫瘍を切り刻んでしまった。悪性腫瘍の場合、細胞診だけでも再発・転移の危険性があると言われているのに、10センチもの腫瘍を細かく切り刻んだわけです。

 結果的にがんの種をお腹中に播いてしまったわけですから、最悪の状態ですよね。

川嶋 それは怖ろしい話ですね。悪性だと知らされた時はどう思われましたか。

吉野 ど素人ですから、意味がぜんぜん分かりませんでした。悪性というのががんを指すのかも分からないし、肉腫と言われても分からない。胃がんや乳がん、子宮がんならまだしも、肉腫って何ですかという感じでした。

 気が動転するというよりも、訳が分からない状態でしたね。何が何やら分からない状態でがん告知されたわけです。

川嶋 その後どうされたんですか。

吉野 その日は帰りました。教授と今後の対応を話し合うので、1週間後にまた来てくださいと。1週間後に行くと、主治医が代わりますと言われました。腹腔鏡手術をした先生は良性腫瘍が専門でしたので、悪性腫瘍の専門の先生に代わると言われたんです。

 そこで新しい先生と面談をしたところ、話が一方的で、1週間後くらいに緊急手術をしますと。開腹して、バラまいてしまったがん細胞を目に見える範囲で取り、最悪の場合、卵巣と子宮も取るかもしれないという話でした。

 それで私がすごく驚いたら、お腹の中の悪性腫瘍で卵巣や子宮を残すほうがおかしいという話をされて、またまた驚いて。私にすれば、手術に失敗したのはそっちでしょみたいな気持ちですよ。

 もちろん、手術した先生は良性腫瘍だと信じていたわけです。私の肉腫は10万人に1人と言われていて、しかも原発が後腹膜となると100万人に1人か、それ以下。当初は婦人科系の臓器だと考えていたし、悪性である確率は非常に低いんです。

 ですからその先生を恨んだりはしていません。ただ、悪性腫瘍の先生の態度は納得できなかったので、主治医は最初の良性腫瘍の先生に戻してもらいました。


治療しないという治療。自ら情報収集し、抗がん剤治療を拒否

川嶋 それで最初の開腹手術を受けられたわけですね。

吉野 はい。その後も何回も再発・転移していて、お腹や肺など9回の手術を受けました。最初の腹腔鏡手術でがん細胞がバラまかれましたから、最初の開腹手術ではお腹の中は播種の状態で60個の腫瘍があったんです。

 これまでに100個くらいは取っていると思います。この12月中にも10回目の手術を受ける予定です。ちなみに、6回目転移の手術からは縁があって国立がん研究センターで受けています。

川嶋 そんなに手術をしているようには見えませんね。普通はゲッソリ痩せてしまうことが多いと思いますが・・・。

吉野 私もこんなに手術をしているのに、よく元気でいられるなと思っています。私はこのごろ講演などで最初に、「がん患者に見えないがん患者の吉野ゆりえです」と自己紹介しています(笑)。

 私のがんは5年生存率が7%と言われていました。でも、ある方から言われて、私がその7%に入ればいいだけのことだと信じて頑張ってきたんです。そして私が5年生きて、その数字を8%、9%に上げればいいんだと。

 最初はもちろんショックでしたが、そこは考え方の転換、何でも明るく楽しく建設的にという気持ちでやってきたので、8年間生きてこられたんだと思います。

 それとひとつよかったのは、私は抗がん剤治療を受けていないことです。抗がん剤は本当にゲッソリ痩せますから。私の肉腫には、エビデンス(科学的根拠)のある抗がん剤がないんです。

 実は最初の開腹手術をした時に、抗がん剤治療を受けるように言われました。エビデンスがないけれどもやろうと。なぜなら、ほかにやることがないからです。

 その時は私も少し勉強していて、治療しないことも治療の一つじゃないかと思っていました。抗がん剤で悪くなるんじゃ治療にならないですからね。しかし、医療者というのは何もやらないという選択肢は考えられないようで、とにかく抗がん剤をやろうと。

吉野 そこで私は拒否したんです。効かないものをやって、体を傷めつけて、また再発してなんていうのはイヤですから。残りの人生は短いかもしれないけれど、明るく楽しく生きたほうがいいと。

 そうしたら、大学病院の教授が決めた方針を拒否したということで、かなり波紋があったらしいです(笑)。

川嶋 それはスゴイことですよね(笑)。

吉野 患者になりたての頃ですからね。ただ、その2~3年後に、最初に手術をしてくださった先生が、抗がん剤をやらなくてよかったねと言っていました。やっていたら今ごろ君はいないと。その後に移った国立がん研究センターの先生も抗がん剤を使わなくて正解だったとおっしゃっていました。

川嶋 その抗がん剤のエビデンスがないというのは医師から説明を受けたんですか。

吉野 私にはがんに罹患する以前からホームドクターがいまして、その先生に相談しました。ほかにもオピニオンを聞きにいった先生もいました。結局、情報を集めるのも自分、判断するのも自分ということです。

 医者はこうしたほうがいいであろうという最善のことを提案してくださるとは思いますが、結果的にそれが失敗した時は私の体に返ってくるわけですから、最後は自分が決断するしかないと思っていました。

 私の場合、最初の腹腔鏡手術のことがありましたから、自分で情報収集して、専門家などの意見も聞いて、最終的に決断するのは自分だと決めました。そうすれば自分の責任だと納得できます。

 実は私とまったく同じ後腹膜平滑筋肉腫の方が2人、患者会に入ってこられたんです。私よりあとに病気になったのですが、昨年2人とも亡くなられました。

 抗がん剤治療が理由だとは言えませんが、抗がん剤を受けている間は再発・転移は抑えられるけれど、6カ月してやめた途端、再発・転移をしてしまいました。

川嶋 その判断は医者の責任ですか。

吉野 抗がん剤はやってはいけない治療ではありません。有効ながん種もありますから。それに病状は一人ひとり違うので、医者の責任とは言えません。

「患者力」を身につけ、自分の希望を医師に伝えることが重要

吉野 よくQOL(クオリティー・オブ・ライフ)と言われますが、近頃はQALY(クオーリー、質調整生存年)という概念があります。QOLの高さと生存年を面積で出す方法です。

 タテ軸をQOL、ヨコ軸を生存年とし、仮に私が100%健康なQOL状態で1年生きるとすると、100×1=100です。それが抗がん剤によってQOLが50%に下がるけれども、1年半生きられるとすると、50×1.5=75になる。

 つまり100%のまま1年間生きたほうが面積が大きい。QALYが大きいということです。どちらを選ぶかは個人の価値観ですが。だから私は手術の仕方にもいろいろ希望を伝えています。

川嶋 希望というのは具体的にはどういうことですか。

吉野 例えば、私は仕事でハイレグの衣装を着るので、手術時のドレーン(誘導管)の穴などはこの範囲にしてくださいと、油性マジックで自分のお腹に線を引くんです。この範囲で手術をしてくださいと。

 肺の手術の際は普通背中を切るんですが、私は背中のあいたドレスを着るので困る。ほかに方法はないんですかと聞くと、脇があると。脇でもドレスを着て見えないところ、下着で隠れるところにしてくださいとお願いしました。

 先生にすれば手術が少しだけやりにくいらしいんですが、命にはかかわらないというので、それでお願いしますと。それで手術の前日に先生が確認に来ました。脇に油性マジックで印をつけて、この範囲で手術をすればいいんですねと。

川嶋 それは面白いですね(笑)。いや、笑いごとじゃないですが。


吉野 いえ大丈夫です(笑)。だって「生きる」とは「生存する」ことも重要ですが、「楽しむ」「喜ぶ」ことも大切だと思っています。免疫力もそれに関係するじゃないですか。

 なるべく自分が「いきいき」していられる状態にするというのは大事なことだと思います。私にとっては、例えば司会業やダンスの審査員は仕事でもありますが、喜びでもあるわけです。

 命にかかわるということであれば諦めますが、聞かずして諦めるのはもったいないと思います。

川嶋 普通の患者だったら、先生の言いなりになりますよね。

吉野 それが良くないんですよ。だから私はこれを「患者力」と呼んでいます。長期にわたる疾患で患者を続けていく上で患者力は重要なものです。先生は神様ではないのに、絶対的な神様のように信奉するのが悪いんです。

川嶋 患者力がないから、横柄な医者を育ててしまうことにもなる。

吉野 そうですね。ただし、それは患者も医師も互いに気をつけなければいけないことです。私もこういう発言をしていますけれど、絶対にモンスターペイシェント(患者)にはなりません。

 なぜなら、事前に自分の希望は言う。それを言わないで、あとで文句を言うのはダメです。自分の意思を伝えることによって、コミュニケーションを取ることが医療では大切なことです。

 もちろん、医師によってはイヤがるかもしれません。たまたま私の執刀医たちは、吉野さんだからしょうがないなと思って希望を聞いてくださっているのかもしれませんが(笑)。

川嶋 吉野さんの場合は手術しか方法がないんですよね。抗がん剤は効かないし、放射線も使えないと。

吉野 そうですが、実は最近世界で初めて肉腫の中でも軟部肉腫(骨肉腫ではない)の分子標的薬(抗がん剤)が開発されたんです。普通の抗がん剤は細胞全部を殺す殺細胞性のものですが、分子標的薬は標的を決めて殺す。

 今年春に米国で承認され、日本でも今年9月に承認され先日発売されました。ただ、薬はできたんですが、私は使えません。

川嶋 なぜですか。

吉野 その薬は、抗がん剤を投与したことのある方でしか治験を行っていないので、薬を使える条件の中に抗がん剤治療を受けた人というのが入っているんです。

 私は抗がん剤をやっていないので、その条件に当てはまらない。使いたいけれど、使えない。それは残念だという話をしているんですが。

川嶋 保険の適用にならないということですね。

吉野 そうです。自由診療ならば可能ですが、たいへんな金額になります。さらに、分子標的薬には殺細胞性の抗がん剤とは別の副作用があるんです。今回の新薬はかなりキツイらしいんですよね。

川嶋 どんなふうにですか。

吉野 倦怠感が強くあって、かなりやる気がなくなるそうです。それはQOLを下げるじゃないですか。国内で治験をした先生によると、私のがんは悪性度が高くないので、新薬を使わないほうがQOLを高く維持できるという話です。

 実際にその新薬が使われ始めると、様々な副作用が出てくると思うんです。今まではあくまで治験レベルのものですから。そうした副作用も見ながら、自分がどうしても使ったほうがいいのであれば使うかもしれません。

(中略)


がんに罹患して得たものは、神様からの「贈り物」

川嶋 吉野さんのお話を聞いていて、本当に前向きだなと感じますね。もともとそういう性格だったということもあるんですか。

吉野 私は中学生の時にすでに、負けん気が服を着て歩いていると言われていましたから(笑)。

 私はよく講演でお話しするのですが、がんになったことはもちろんうれしくはない、けれども、がんに罹患したからこそ分かることや、そこで出会った人たち、モノ、コトとの関係で、自分のできることが新しく生まれる。

 私は肉腫に罹患したことを含め、すべてが必然だと思っています。当初は君ならきっと乗り越えられるだろうと神様から与えられた「試練」だと受け入れようと思ったんです。そうする中で、現在の患者さんもそうですが、未来の患者さんのために自分が立ち上がって活動しなきゃと思うようになった。

 試練はだんだん自分に与えられた「使命」かなと思うようになり、今は神様からの「贈り物」だと思っています。

川嶋 贈り物ですか。普通なかなかそんなふうには考えられませんよね。

吉野 私はもともと社会貢献やボランティアなどに興味があったんです。高校生の時から毎月老人ホームに慰問に行ったりしていました。今は「サルコーマ(肉腫)センターを設立する会」の代表を務め、がん全体の啓発や診療改善に取り組んだり、ブラインドダンス(視覚障害者のためのダンス)教師などもやっています。

 さらに最近ライフワークが増えました。「いのちの授業」というのをやっていて、中学生を中心に命の大切さを伝えています。自分の経験で得たものから、命の大切さや自分の存在価値などを、一番多感な次世代の子どもたちに伝えるお手伝いをさせていただいているんです。

 それはがんに罹患したからこそできることで、ダンスの世界だけにいたらできなかったことです。

 結局のところ、これは自分が選んだ人生なんです。他人が選んだわけでも、親が勝手に生んだのでもない。私は自分で発願して生まれてきたんです。私は自分でこの人生を選んで生まれてきたわけだから、それに負けてはいけない。

川嶋 そういう発想は大事ですよね。そんなふうに誰もが考えられるようになればいいですね。

吉野 人間は100%死にます。そのエンドポイントがどこなのか。それは神様にしか分からない。だから私は分からないことについては悩まない。

 最近、私が一番好きなのはマハトマ・ガンジーの言葉です。「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」――。

 明日死ぬかもしれないということを前向きに考えるわけです。明日かもしれないから、今日目いっぱい学ぶ、遊ぶ、楽しいことをする。それを毎日積み重ねていって、気がついたらおばあちゃんになっていた、というのを私は目指しているんですよ(笑)。

(引用ここまで)

絶対死ぬということはわかっている。
しかし、それがいつかは分からない。
分からないことには悩まない。
だから、今を精一杯生きることに集中する。

癌を経験したからこそできる、
「いのちの授業」が出来る自分がいることを、
ひとつの神様からの「贈り物」ととらえることができる。

ここまでの生命(いのち)への絶対肯定が、ご本人の生命力の強さなのかもしれません。
医師や薬に頼らない、自分で判断し、受け入れることで生きる力を研ぎ澄ませる生き方ですね。

引用された、ガンジーの言葉もいいですね。

Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.

後悔しないという決意を感じる言葉です。

素晴らしい勉強をさせていただきました。
感謝です。