2008年NHK土曜ドラマ「フルスイング」のモデル高畠道宏氏を偲んで(元校長隈本豊氏) | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

2008年NHK土曜ドラマ「フルスイング」のモデル高畠道宏氏を偲んで(元校長隈本豊氏)

わたしがアジア勤務をしていた時にとても感動したNHKドラマ「フルスイング」。

このモデルになった高畠氏の物語は、「甲子園への遺言」門田隆将氏によってベストセラーになりました。
それを元に、彼の最晩年の高校教師(本人役に高橋克美さん)としての1年を描いたドラマでした。
脚本もスタッフも、もちろん出演の皆さんんも素晴らしくて毎回毎回涙したことを覚えています。

その当時の高校の校長先生(ドラマでは小林克也さん)であった隈本豊さんが雑誌「致知」12月号の随想で次のようなお話を披露してくださっています。

(引用ここから)

 「高畠導宏さんに学んだ本物の生き方」
    隈本豊(筑紫台高校前校長)

八年前の夏、一人の高校教師が膵臓がんでこの世を去った。
高畠導宏、享年六十―。

プロ野球七球団で約三十年にわたり打撃コーチを務め、
落合博満、イチロー、小久保裕紀など、
数々の好打者を育て上げた指導者でもあった。

彼との出会いは平成十四年秋。
福岡の筑紫台高校で私が校長を務めていた時、
共通の知人を通じて知り合った。

かつてダイエーホークスで打撃コーチをしていた高畠さんは、
チームの本塁打数が激減した要因を、
本拠地がドームに変わり、球場が広くなったことに対する
精神面の変化にあるのではないかと考え、
五十代半ばにして心理学の勉強を始めるようになる。

心理学を学ぶのには教職課程が最適とよくいわれるが、
彼はコーチ業の合間を縫って
日本大学の通信課程を五年掛かりで履修。

その上で教員免許の取得に必要となる教育実習を、
私の高校で受け入れてもらえないかと
相談を持ち掛けてきたのだった。

私は実習期間中に全校集会で講演してもらうことを
条件に引き受けることにした。

実際に講演を聴いてみると、実に話が上手い。
自らの失敗談も交えながら、その失敗に挫けず、
経験として生かしていくことが大事だと語る。

本校の生徒には県立高校の受験に失敗し、
挫折感を抱えている者が少なくない。

高畠さんはそういう彼らに
「君たちは物凄いバネを持っているんだ」
「失敗を生かせ」と逆に励ましてみせる。

素晴らしいと感嘆した私は、彼にこの学校で
教員免許を生かす気はないかと持ち掛けた。

高畠さんはプロ野球の世界で、複数年契約をせず、
常にクビと隣り合わせの一年契約を自ら志願してきた人である。

監督の指導方針と合わなかったり、
自分の持つ能力を十分に活用してくれないのであれば
いつでもチームを変わる、
そういう覚悟を絶えず持っていたのだろう。

私は四十年近く県立高校の教員をし、
校長も何校かで経験してきたが、
大半の教員にはそれだけの覚悟がない。

加えて、初めて赴任する私立校は県立校とは
質の異なる様ざまな問題を抱えており、
彼ならばきっとこの学校の体質を変えてくれるに
違いないとの期待があった。

その頃、すでに某プロ野球チームからの
オファーが掛かっていたが、結果的に彼は
その誘いを断って本校へ来る決断をしてくれた。

新校長として赴任した私に対して
「教育の素人を雇うような中途半端なことをやっとって、
学校教育ができるか」
と厳しい言葉もいただいた。

私は反論こそしなかったが、
人にものを教える際に問われるのは、
教養もさることながら、一人の人間としてのあり方だ
という信念があった。

高畠さんにはここで通用しなければいつでも腹を切れる
という覚悟が備わっており、彼はまたそのための努力を人一倍し、
持てる愛情のすべてを子供たちに懸けるという姿勢を貫いていた。

高畠さんは本校へ来て
「三年以内に甲子園で全国制覇する」と宣言していた。

もっとも、プロ野球の経験者は教師になっても
二年間は高校野球の指導が禁止されているのだが、
私も彼にならそれができるはずだと信じていた。

だからこそ、病院の検査を受けた彼から
「余命六か月です」との報告を突然受けた時は
返す言葉もなかった。

膵臓がんは進行が早いのとは対照的に、
症状が乏しく早期発見が難しい。

体の丈夫さには誰よりも自信を持っていただけに、
普段のケアが疎かになっていたのかもしれない。
まだ六十歳の、あまりにも早過ぎる死だった。

高畠さんが本校にいたのはたった一年半にすぎなかったが、
その後、大学への進学率が着実に伸び始めた。
さらに彼は剣道部の生徒たちの持つ目に惚れ込み、
試合の応援にも欠かさず駆けつけた。

剣道部にはいまも高畠さんの書による
「氣力」の文字が飾られており、
女子剣道部はインターハイで二年連続日本一になるなど
全国有数の強豪校となっている。

また直接指導することはなかったが、野球部には
「伸びる人の共通点」として彼の挙げた七つの言葉が残っている。

一、 素直であること
二、好奇心旺盛であること
三、忍耐力があり、諦めないこと
四、準備を怠らないこと
五、几帳面であること
六、気配りができること
七、夢を持ち、目標を高く設定することができること

高畠さんの影響を受けたのは生徒たちばかりではない。
彼の生き方に触れ、教員たちの間にも変化が見られた。

私自身が彼から学んだのは、教育者が決して諦めてはいけないといこと。
同時に、こうなりたいという夢や目標を子供の側から持たせるということである。

高畠さんはある時、コーチとして一番大切なものは何かと聞かれ、
「教えないこと」だと答えている。

これは野球選手ばかりではない。
教師があれをせよこれをせよと指示するのではなく、
生徒たち本人が持っているよい部分を上手く引き出してやることが
教育の要諦と言えるだろう。

高畠さんは最後の授業の時、
渾身の力を振り絞って教壇に立ち、
黒板に「氣力」と買いて、
「どんなことがあっても氣力で乗り越えてくれ。
いいか、人生は氣力が大事なんだよ」
と生徒たちに語った。

高畠道宏、享年六十。
短くも鮮烈な人生を送った男が、人間としての本物の生き方を教えてくれた。

(引用ここまで)

いいエッセイです。
もし、ご興味があれば、いまは文庫で「甲子園への遺言」が読めます。
ドラマもDVDになっていますので、もしご覧になるのなら、ハンカチを用意して観てください。

連休中に読まれるか、視聴されることをお勧めします。

ではまた。