二度とない人生だからにつながる道、坂村真民氏の対談より(昨日からの続き) | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

二度とない人生だからにつながる道、坂村真民氏の対談より(昨日からの続き)

さて、昨日紹介した坂村真民氏の対談の続きです。

お母さんの思い出として、大変印象的な母親の姿を語っておられます。(人間学入門、致知出版社より)
そのころは、まだ父親が存命で、一家としては不自由なく過ごすことができていたときでした。

(以下引用)

(坂村氏)母に関して、私にはいまだに忘れられない夢のような美しい思い出があります。
それは、まだ幼い私をおんぶした母が、田んぼの中にある共同墓地に行き、「乳が多くて」「乳が出てきて」といいながら、乳も飲めずに死んでいった童男、童女の墓石に白い乳をしぼってはかけ、しぼってはかけて拝んでいる姿です。

体格のよかった母は、私の妹に飲ませて、なお余りあるほど乳が出ていたんでしょうね。本当にたらちねの母という言葉通りの大きい乳でしあ。

(対談者)それは先生がおいつくくらいの時ですか。

(坂本氏)四歳くらいです。私はいまでも、その墓地で、おふくろが乳をかけて回っているのがはっきり浮かんできます。
「これはなあ、乳も飲まんで死んでいった子よ。だから、乳を飲ませてあげるのよ」と言うて。

(対談者)その姿が四歳の先生の心に焼きついたわけですね。

(坂本氏)ええ。私は、母がよう四歳の私を連れて行ってくれたと思うんです。私が今日信仰をしっかりと持つことができたのは、深く掘り下げていくと、ここに行き着く。

だから、私は若い母親たちに必ず、言うんです。こういうことは見たことも聞いたこともないだろうが、しなさいや、と。
そしたら、子どもが見とる。それだけ見せたら、あと、しつけも何も要らん、と。
だから、幼い子に何を刻みつけてくれるかということ、三つ子の魂の中に、何を注ぎ込んだかということです。

(引用ここまで)

まるで、絵のような風景が浮かぶエピソードですね。
乳児の死亡が、ほとんど無くなった今日の日本ではなかなかイメージできないですが、田舎では昔亡くなった小さな子供たちのお墓が残っていることも事実です。
そういう生命(いのち)を長らえることができなかった人がいることに思いをはせる力を失ってはいけないと思わされた話でした。

坂村真民氏は、97歳までの長命を全うされましたが、この対談によれば、胃がん、膵臓がん、肝臓がんにかかりながら、奇跡的な回復をされたようです。

そのような経験をされたうえで、紡ぎだされた詩だから、本当に言葉に魂がこもっていると感じられるのですね。

最後に、これも私が好きな坂村真民さんの一篇の詩を添えておきます。

題名「二度とない人生だから」

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないようこ
こころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事は必ず書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの星星の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を書きつづけてゆこう

(引用ここまで)


ではまた。