感謝のできる人間を育てる、素晴らしい最後の授業 | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

感謝のできる人間を育てる、素晴らしい最後の授業

人間性の素晴らしい人、すごいなあと思える人に共通するもの、
それは、感謝のできる人だということです。

中でも、身近にいる親に感謝できる人間であるかどうかが、基本中の基本だと思います。

残念ながら、今の世界は、何もかも他人の責任にして、自分がどれほど周囲に支えられているかを忘れている人が多いようです。

本当は、教育者というのは、そういう生きる上で元気が出るようなことをきちんと教えていくのが仕事だと思います。
単なる知識を詰め込めば教育は終わりだと勘違いしている先生が多いとすれば、悲しいことです。

そんな思いの中で、出会った本物の教育者の素敵なお話です。

九州は熊本でいくつもの高校の校長を務められた先生(現在はすでに定年で校長からは身を引き、講演や大学での授業をなさっておられます)が、毎年、卒業式の日に卒業生に向けて行う特別授業のことを語られています。

その先生の名前は、大畑誠也氏。
誰もが知っている当たり前のことができなくなった現代に、しっかりと「挨拶できる、朝ごはんを食べる、手伝いをする」人間を作り出すことに成功されてきた方の話としてお読みください。

(引用ここから)

私が考える教育の究極の目的は
「親に感謝、親を大切にする」です。

高校生の多くはいままで自分一人の力で
生きてきたように思っている。
親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。

これは天草東高時代から継続して行ったことですが、
このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、
私は卒業式の日を選びました。

式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、
私が最後の授業をするんです。

そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、
後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、
生徒をその横に正座させる。

そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。

「いままで、お父さん、お母さんに
 いろんなことをしてもらったり、
 心配をかけたりしただろう。
 それを思い出してみろ。
 
 交通事故に遭って入院した者もいれば、
 親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんと
 お母さんの弁当に文句を言った者もおる……」
 
そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。

「おまえたちを高校へ行かせるために、
 ご両親は一所懸命働いて、
 その金ばたくさん使いなさったぞ。
 
 そういうことを考えたことがあったか。
 学校の先生にお世話になりましたと言う前に、
 まず親に感謝しろ」

そして

「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、
 いま、お父さんお母さんが隣におられるから、
 その手ば握ってみろ」
 
 
と言うわけです。

すると一人、二人と繋いでいって、

最後には全員が手を繋ぐ。

私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。

「その手がねぇ! 十八年間おまえたちを育ててきた手だ。
 分かるか。……親の手をね、これまで握ったことがあったか?
 おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。
 
 いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、
 おまえたちを育てるために
 大変な苦労してこられたからたい。それを忘れるな」

その上でさらに

「十八年間振り返って、親に本当にすまんかった、
 心から感謝すると思う者は、いま一度強く手を握れ」
 
と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。

私は

「よし、目を開けろ。分かったや?
 私が教えたかったのはここたい。
 親に感謝、親を大切にする授業、終わり」
 
 
と言って部屋を出ていく。

振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。



『致知』2011年1月号 特集「盛衰の原理」より

(引用ここまで)

多言はいらないでしょう。

私も、自分の親のことを思い出しながら、目がしらが熱くなりました。


もう一度、親の手を握りたかったと、自分の感謝不足も反省しつつ・・・。


皆さん、もしご両親がまだ生きていらしゃるなら、

是非、強く手を握って、ありがとうを伝えましょう。

照れくさいかもしれないけれど、きっと喜んで下さいます。


ではまた