吉田松陰の人材教育 (松陰研究家川口雅昭氏のお話より) | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

吉田松陰の人材教育 (松陰研究家川口雅昭氏のお話より)

川口雅昭氏は、山口県(長州)ご出身の松陰研究家ですが、大変心を打つ話し手でもあります。
長い間高校の先生をされておられたので、教育者としても大変豊富な経験を持っておられます。

そのお話の中で、松陰がいかに優れた教育者だったかを教えて下さいました。

(このような内容だったと記憶しております)

(中略)

松陰に戻ります。
野山の獄を出た後、松陰は一族の若者を中心に教育を続けました。
ところが、それが評判になり、私も一緒にという希望者がどんどん増えてきます。
最後には、松下村塾という形で多くの人が松陰を師と仰ぐ形になりました。

教育の世界では、よく使う表現があります。

「鳥が選んだ枝、   
 枝が選んだ鳥」

この意味は、

   生徒が先生を見つけて「この人だ」
   先生が生徒を見つけて「この子だ」

という出会いのことです。そういう出会いをすると生徒は大きく成長します。

しかし、残念ながら、この関係が成立するのは、そんなに高い確率ではありません。
ある先輩の先生からは一生の間に数人いればすばらしいことだとも言われました。

しかし、松下村塾では、まるですべての生徒にこのようなことが起きた印象があります。

また、人間は「育てられたようにしか育てられない」とも言います。

ちょっと考えてみてください。
猫や犬は、人間が育てても、猫や犬にしかなりません。というかしっかり猫や犬になります。

人間は、人間が育てないと人間にはなりません。
(以前インドで見つかった狼に育てられた少女は一生人間としては生きられませんでした)
しかも、結構時間がかかるわけです。

そこでしっかり辛抱できればいいのですが、ついつい苗を引っこ抜いてしまうのです。
田んぼに植えた稲の苗、実がつくまでには半年近くの辛抱と雑草を抜く手間が必要です。
苗ですらそうなんです。

人間は大人になるのに20年はかかるとわかっているのに待てないのです。

ダメ教師のもうひとつの面が、質問されるとすぐ答えるということです。

子供はわからないことを親や先生から教えてもらうことで成長する面がありますが、自分の考えるくせをつけないと頭を使わなくなってしまいます。
要するに、自分で頭を使い、考え、どこまではわかるけれど、ここからがわからないというときに教えを請うのが自己教育です。
もっとりっぱになりたいという人を育てるには、質問にすぐ答えるのではなく、どこがわからないのか質問してあげることが一番重要です。
これは相手のレベルがどの段階にあるかを把握するということですので、実際には一対一の関係の中でしか機能しません。

松陰先生は、どんな塾生も平等に扱ったというようなことを言っている元塾生もいます。
しかし、そんなことはありません。彼はちゃんとメジャーリーグと3Aを区別しています。
久坂や高杉に対する区別はそれ以外の塾生とは明らかに一線を引いていることがわかります。
また、門下生には江戸での勉強を勧めています。
自分の経験でも優秀な人材が集まる中で成長することの重要さはよくわかっていたのだと思います。
松陰先生は、同時に皆が落ちこぼれるであろうことも予想していました。
門人に持たせた手紙には、困ったら誰々のところに行きなさいと書いています。
そこには松陰先生の懇意にしている江戸での育て手が記されていたのです。
これが田舎者にはどれほどありがたいか。

実は、私の東京の友人にもそうしたありがたい育て手がいます。
自分の生徒が東京に出ると東京駅までわざわざ出迎えてくださる。
20年で200人ほどお世話になっていると思います。
その方の深い思いやりを考えるといつも私は感謝の心でいっぱいになるのです。

普通の先生は、なかなかこれができません。

さっきの話ですが、待つことができない、育つには時間がかかるイコール根を抜かないことが重要とわかっていてもそれができないのです。

松陰先生は、違います。門下生があれほど成長したのは、人間、年齢を重ねても師を見つければ死ぬまで成長できるということをちゃんと教えていたからです。

伊藤博文、大日本国憲法の起草者で初代総理大臣というとなんとなく文科系のイメージですが、彼はその前は理系でした。新橋横浜間の鉄道を引いた責任者は彼です。

それが、次の日本の体制を作る仕事に向かい合ったとき、彼はなんと古事記、日本書紀から勉強を始めるのです。
もちろん、専門家の意見も聞きに行きます。
そうした学習の仕方、正しいやり方を伊藤は松陰から学んでいたということです。

(以下略)

いかがでしょうか、毎日の仕事の中で、部下の成長が待てないで根っこを抜いていることはありませんでしょうか?
自分で考えることの意味を改めて考えさせられるお話です。