人生を真剣に生きるために必要なもの、森信三氏「修身教授録」より(1) | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

人生を真剣に生きるために必要なもの、森信三氏「修身教授録」より(1)

森信三氏は、どちらかというとこの10年くらいで再発見された、教育者、哲学者という印象があります。
その人生そのものも大変な苦労をしながら、学問を深め続けられました。
その結果生み出された言葉には、力があります。
自分だけでなく、学ぶ人がよりよき人生を送るにはどうすればいいのかが、さまざまな角度から説かれています。
学者の前に、教師として生徒の人生行路の灯りとなる「なにか」を伝えることを大切にしておられたからこそ、手を変え品を変え、どうしても相手に人生にとって重要なことを伝えようという情熱が伝わってくる内容になっています。
その代表的な著作に「修身教授録」があります。

この本も、これから、折にふれ、引用させていただきたい恩書のひとつです。

(引用ここから)

人生の意義を知るには、何よりもまずこのわが身自身が、今日ここに人間として生を与えられていることに対しての感謝の念が起こらねばならないと思うのです。
仏教にある、「人身受けがたし」という言葉の響きの中にこもっているように、昔の人は自分が人間として生を受けたことを衷心から感謝したものであります。
しかるに現代の人々はそのことに対し、何ら感謝の念がない、ということは、つまり自らの生活に対する真剣さが薄らいでいる証拠であります。
というのも、われわれは、自分に与えられている、この根本的な恩恵を当然と思っている間はそれを生かすことができないからであります。
(修身教授録 第二講より 森信三)

(引用ここまで)

人生そのものを、ありがたいと感謝一念で生きることができるかという問いは、本当に大切だと思います。
昔の日本人の生活には、仏教の話を聞く機会が多かったので、「人身受け難し」という言葉も知っている人が多かったのです。
私が小さい時には、そうした人が他人を元気づける時に、いのちがある、人間としていのちがあることを大事にすることを強調していました。
そういう言葉が使われていたのは、実際に懸命に人生を生きるときに、そういう言葉に支えられていたからという真実があったからでしょう。
人間と生きている以上、人間としての務めを果たすんだという真剣さが生まれることをわかっている知恵だと思います。

しかしながら、都市化と核家族化が進んだ今の日本は、ここで森信三氏が説かれている戦後日本の時以上に、受け継がれてきた知恵が消えています。
こうした知恵をどう取り戻すかを現代の私たちは真剣に考えていきたいと思います。
(村上和雄氏のように、人間として生まれることが「宝くじに百万回も当たったような奇跡」であるとわかりやすく説明しておられる方もいらっしゃいますが)
人間同志がお互いを支えながら、素晴らしい人生と言えるように生きていきたいものですね。