散歩のススメ、『最善主義が道を拓く』(タル・ベン・シャハー著)の中のヘレン・ケラーの言葉 | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

散歩のススメ、『最善主義が道を拓く』(タル・ベン・シャハー著)の中のヘレン・ケラーの言葉

今日は三連休の真ん中の一日、行楽を楽しんでいらっしゃる方も多いでしょう。
そうでない方も、もし、気分転換がしたいなと思ったら散歩をお勧めします。

散歩に出かけるのに、目的は要りません。
散歩自体だから、感じられるものがあるからです。
できれば、緑のある場所、森があれば最高の散歩になるでしょう。

ここで取り上げる物語は、『最善主義が道を拓く』(タル・ベン・シャハー著)の著者が、その昔、恩師の大学教授から掛けられた言葉から始まっています。

(ここから引用、冒頭の一文だけ、表現を簡素化しています)

教授は、午前中の講演を終えると、私に言いました。
「散歩に行こう」
「どこへです?」。私は訊きました。
「どこでもいいんだ。ただ歩くのさ」
それは、私が受けた最も重要な教えのひとつでした。
これといった目的もなく、ただのんびりするためだけの――世界の豊かさを体験し、味わい、堪能するための――散歩をしましょう。
ゆっくりと、街の鼓動を、村の穏やかさを、大洋の広大さを、森の豊かさを、感じとるのです。
“ただ歩くだけの散歩”を習慣にしましょう。

ヘレン・ケラーが、森への散歩から戻ったばかりの友人について書いています。
「何を観察したの?」とケラーが問うと、「とくに何も」と友は答えました。
ケラーは次のように書いています。

一時間も森の中を散歩してきて、興味深いものを何も見なかったなんて、ありうるでしょうか?
目の見えない私だって、何百というもの――葉の優美なシンメトリー、アメリカしらかばの樹皮のなめらかさ、松の粗いゴツゴツした木肌――を見つけるというのに、目の見えない私が、目の見える人たちに、ひとつ助言を差し上げましょう。
それは、明日、急に目が見えなくなってしまうかのように目をお使いなさい、ということ。
明日、急に耳が聞こえなくなってしまうかのように、人の声が奏でる音楽を、鳥の歌を、オーケストラのとてつもなく素晴らしい旋律を、お聴きなさい。
明日はもう触覚がなくなってしまうかのように、ひとつひとつのものにお触りなさい。
明日はもう嗅覚も味覚も失せてしまうかのように、花の匂いを嗅ぎ、おいしいものをひと口ひと口賞味しなさい。
あらゆる感覚を最大限に活用しなさい。
世界があなたに明かすあらゆる相貌、喜び、美に、栄光と恵みが宿っているのです。

(引用ここまで)

小さな時の大病で、三重苦に突然になってしまったヘレン・ケラーさんであるだけに、この言葉には重さがあります。
人生の中では、照る日もあれば、曇る日もあります。土砂降りの日もあるでしょう。
そんなときには、ぜひ散歩することを思い出して下さい。
どんなことがあっても、自然がそこにあり、自分のことばかり考えている自分に新しい視点を提供してくれます。
同時に自分がここで生きていることの奇跡を感じることもできるでしょう。

お勧めです。

ではまた。