心の置きどころを、実践を本当に重視した教育者・哲学者の森信三氏の言葉から学ぶ | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

心の置きどころを、実践を本当に重視した教育者・哲学者の森信三氏の言葉から学ぶ

森信三氏(1896-1992)には、「修身教授録」という名著があります。
とても参考になる素晴らしい本で、何度も読み返しています。
心の中では、恩書の一冊として、人生に迷いが生まれた時に特に参考にさせていただいております。
その人生信条を表したものに、次の一文があります。
ご本人は、読み人しらずとされていますので、そのままの引用とさせていただきます。

(以下引用)
人間の一生(読み人知らず)

職業に上下もなければ貴賤もない。
世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。
しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。
それから十年本気でやる。
すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。
すると、五十までには群を抜く。
しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。
「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。
すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。
だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。
すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。
しかし、それからまた、十年頑張る。
するとこのコースが一生で一番面白い。

(引用ここまで)
このブログの読者の年齢はさまざまだと思います。
今頃こんな話を聞いても間に合わないという思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、この言葉の本当に意味するものは、最初の3行です。
職業は自ら選べばよい。
但し、世のため、人のためになるものを選びなさい。
選んだなら、十年は続けなさい。
と読めば、年齢は関係なくなる。
今からできること、それに力を注げばよいという風に考えると元気が出てくる。
それを森氏は、別のところでこのように述べておられる。

世の中はすべて「受け持ち」なりと知るべし。
「受け持ち」とは「分」の謂いにして、これ悟りの一内容と云いて可ならむ。

要するに、今自分のいる場所で、何を受け持つのかが、世の中にいる人間が果たすべき役目であるということです。
それを、二宮尊徳翁の説かれた「分」のことだと説明し、それこそが悟りの一部であると言ってよいとされているわけです。
マスコミやインターネットの普及で、物欲や名誉欲ばかりが高まってしまった現代だからこそ、ここに説かれた「人間」としてのあるべき「人生」のことと今一度考えてみることが大事だと思うのです。
いかがでしょうか?