当代きっての名優、十八代目中村勘三郎さんのインタビューより学ぶこと | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

当代きっての名優、十八代目中村勘三郎さんのインタビューより学ぶこと

昨日は阿久悠さんを取り上げましたが、その仕事ぶり見ていた人に声をかけてもらった話は印象的でした。

さて、本日ご紹介しようと思っているのは伝統芸能の歌舞伎の世界で当代切っての名優として、おそらくほとんどの方がご存知の十八代目中村勘三郎さんです。
今年は、一時体調不良でお休みをされ、先日松本での復帰公演では、感激のあまり、涙と流されたとの報道もされていましたね。
また、歌舞伎に行く楽しみが増えたという方も多いと思います。
個人的には、私も案外歌舞伎はファンで年に数度は見に行くようにしています。
伝統美の中にもモダンさのある演目もあり、まだ、一度もご覧になっていない方は、是非一度は体験してほしいと思います。

その勘三郎さんが、十八代目を襲名された直後にインタビューを受けて次のように語っておられます。

(以下引用)

 次々と新しい仕事に挑んでいると、よく、他分野の演劇人や演出家とたちまち話がまとまったのかと誤解されます。
相手の良い仕事を見てコラボレーションを企画したのか、とかね。
 でもそれは違う。
「野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ」を書いてくれた野田秀樹さんも、先日の中村座ニューヨーク公演を共にした串田和美さんだって、もう20年、30年の付き合いです。
若い頃に出会い、飲みながら演劇の夢を語り、いつかいつかと熱を込めながら育てて花開いた舞台なのです。
その間に互いの仕事をきちんと見てきたし、何を考えているのか、どんな舞台を目指しているのか、腹の底まで知り尽くしてきた。
そのくらいの友人でないと本音で新しいことに体当たりすることはできない。
 今は働いている土俵が違っても、あいつがあそこでがんばってるなと思うから、自分もいい加減なことはできないぞというの、あるでしょ。
仕事への熱さが同じ人間は互いに分かりますからね。
やはり類は友を呼ぶ。
そしてその友人たちがまた、私にエネルギーを注いでくれる。
 ただ自分の居場所にじっとしていてはだめなんですよ。
外へ外へと出て行って、巡り合って育てていかないと。
机の前に座って情報を集めるだけでは、そこに熱がない。
あなたを認めもしないし、刺激もしないし、ホロリともさせないじゃないですか。
私は運がいい、とても良い縁に恵まれていると感じていますが、突き詰めていくとそれは友人の存在なのです。
人間って一人で仕事をしていることってないですね。
たとえ山の中で黙々と一人で木を切っていたって、親とか師匠とかの視線を心の中に持っている。
ずさんな仕事をすればあとで仲間に伝わる。
 歌舞伎を見に来る評論家の中に、私が演じている間ずっと寝ている人がいたのです。
翌日、涼しい顔して評論を載せたりしていましたが、こっちは舞台の上から寝ていたなと分かっている(笑い)。
そんな仕事を重ねていくのはもったいないことですよね。
私たちのような表現の仕事に限らず、お店をずっと続けている人だって、勤め人だって、その仕事の火を燃やし続けていくのは大変なことです。
だからその火に水をかけるようなことをしたら、必ず誰かに見られていると思ったほうがいい。
 十八代目勘三郎を襲名して私もいっそうご先祖の視線が気になるようになりました。
それぞれの時代にどの勘三郎も命懸けだったと思いますから、好きなだけおやりと言ってくれるはず、と解釈しています。
ばくちをやっても、私は運良く十八代目、一か八かですから(笑い)。
いつも新しいことをやるのは、心臓が破裂しそうなほど怖いけど、ご先祖と友人に背を押してもらってると思っています。

(引用ここまで)

なるほど、こういう生き方が、あの勘三郎さんの根っこにあったのか。
それにしても、やっている仕事は誰かが見ているという意識、そしてそれが先祖にまでさかのぼって自分が新しいことに命懸けで挑戦する力にしていく姿は、ある意味爽快ですらあります。
どんな人間にも親がいて、先祖がいて、もちろん、一緒に仕事をする友人もいてとなる現実を踏まえて、勘三郎さんの言葉からエネルギーをもらえるのではないでしょうか。