一流になるために必要な条件、野村克也氏の昔のインタビュー記事より
楽天の監督を退かれてからは、マスコミでの露出度は下がりましたが、それでもいろいろなところで野村さんの話を聞くとなかなかの含蓄があります。
10年ほど前に阪神の監督時代に雑誌(致知)のインタビューでこんな話をされています。
(引用ここから)
「人間を一流に導く根源」
阪神にSという選手がいます。
足が速い。肩が強い。運動神経が鋭い。
だれが見ても抜群の素質ですよ。
事実、阪神の歴代監督はみんなその素質に惚れて期待した。
だが、期待され続けて、すでに9年です。
守備は素晴らしいが、打撃は一向に芽が出ない。
すごい脚力を持っているのに、
昨シーズンの盗塁数はわずか1です。
最近は、自分はこんなもんだといった
発言をするようになっている。
現状への妥協、満足、限定、
これは二流のラインにとどまらせる根源です。
私はね、Sと共通するものをヤクルトのIにも感じるんです。
そこに共通するものは鈍感です。
何も感じない。
何も考えない。
鈍感は二流の思想とイコールです。
二流の思想では決して一流にはなれません。
野球は実に失敗の多いスポーツなのです。
三割打者が一流の目安とはいっても、
残りの七割はどうしたか。
失敗しているわけです。
パーフェクトの十割に理想を求めたら、失敗だらけです。
恥ずかしくて顔を上げられない。
その羞恥心の感覚は人間を謙虚にせずにはおかない。
謙虚であれば、人間、いろいろなものに気づくものです。
鈍感ではいられません。
謙虚さこそが人間を一流に導く根源だと思います。
(引用ここまで)
確かに、大きな事を実現した人や組織に共通するものは、
どんどん新しいものにチャレンジする、改善を続けるという継続的な行動です。
そして、その行動のもとになるこうしたい、ああしたいという状態を明確にするには、
今の自分とそうなりたい自分の間のギャップに気づく必要があります。
その手前に、謙虚さが必要だという、一見当たり前のことがこうして語れる野村さん。
リーダーは部下に、そんなことで恥ずかしくないかと語らなければならない。
部下は、その言葉を正面から自分のこととして受け止めなければならない。
そう考えると、なかなか深い教えです。
やはり、苦労人には、教えられることが多いですね。
10年ほど前に阪神の監督時代に雑誌(致知)のインタビューでこんな話をされています。
(引用ここから)
「人間を一流に導く根源」
阪神にSという選手がいます。
足が速い。肩が強い。運動神経が鋭い。
だれが見ても抜群の素質ですよ。
事実、阪神の歴代監督はみんなその素質に惚れて期待した。
だが、期待され続けて、すでに9年です。
守備は素晴らしいが、打撃は一向に芽が出ない。
すごい脚力を持っているのに、
昨シーズンの盗塁数はわずか1です。
最近は、自分はこんなもんだといった
発言をするようになっている。
現状への妥協、満足、限定、
これは二流のラインにとどまらせる根源です。
私はね、Sと共通するものをヤクルトのIにも感じるんです。
そこに共通するものは鈍感です。
何も感じない。
何も考えない。
鈍感は二流の思想とイコールです。
二流の思想では決して一流にはなれません。
野球は実に失敗の多いスポーツなのです。
三割打者が一流の目安とはいっても、
残りの七割はどうしたか。
失敗しているわけです。
パーフェクトの十割に理想を求めたら、失敗だらけです。
恥ずかしくて顔を上げられない。
その羞恥心の感覚は人間を謙虚にせずにはおかない。
謙虚であれば、人間、いろいろなものに気づくものです。
鈍感ではいられません。
謙虚さこそが人間を一流に導く根源だと思います。
(引用ここまで)
確かに、大きな事を実現した人や組織に共通するものは、
どんどん新しいものにチャレンジする、改善を続けるという継続的な行動です。
そして、その行動のもとになるこうしたい、ああしたいという状態を明確にするには、
今の自分とそうなりたい自分の間のギャップに気づく必要があります。
その手前に、謙虚さが必要だという、一見当たり前のことがこうして語れる野村さん。
リーダーは部下に、そんなことで恥ずかしくないかと語らなければならない。
部下は、その言葉を正面から自分のこととして受け止めなければならない。
そう考えると、なかなか深い教えです。
やはり、苦労人には、教えられることが多いですね。