生命(いのち)をしっかりと使い切って生きること | 生命(いのち)を輝かせる言葉の森

生命(いのち)をしっかりと使い切って生きること

生命(いのち)を使い切りたいという思いは、誰もが心の中に持っています。

ただ、忙しい日常に囚われて、気付かないふりをしていることが多いのです。

時に短い言葉が、

時に長い物語が、

その心の中の思いに触れることがあります。

意識的にそういう機会を増やしていくことが、

一番大切なことだと強く思うこのごろです。

このブログでは、そうした言葉や、物語をいろいろな角度から提供していきます。


それでは、今日の物語をお届けします。

渡部昇一氏の著作の中で、同氏が同郷の先輩で田中菊男氏という方を取り上げておられます。

田中菊男氏は岩波英語辞典の編纂者もされた英語学者ですが、実は最初の学歴は高等小学校中退。

家が貧しいため、学業を断念し、いち早く社会に出て苦労された方であるが、そのときの思いを
次のように表現されているそうです。


私は小学校を出ると(いや、まだ出ないうちに)すぐ、鉄道の列車給仕になった。

辞令を受けて帰って、神棚に捧げた時の気持ちは、いまでも忘れられない。

そしてその辞令をいまでも大切に保存している。

ほかの少年は親から充分費用を出してもらって学校へ通える。

しかし、私はあすから働いて父母の生活の重荷の一端をになわしてもらえるのだ。

私の働いて得たお金で父母を助け、また私の修養のための本も買えるのだ。

私は本当の学校、社会という大学校へ、こんなに幼くて入学を許されたのだ。

ありがたい。

本当によい給仕として働こう。

こう思うと熱い涙がほおを伝わって流れたのである。


こう述懐された田中氏を渡部氏が評して、

 十三、四歳の少年が初めて仕事に就いた時、心に誓った決意である。
 
 なんと立派な決意だろうか。

 少年期より人生に誓うものを持つことによって、氏は自らを修養し、人生を構築していくのである……。


私(ブログ作者)が確認したところによると、田中氏は明治23年生まれである。
ということは、当時尋常小学校は4年、高等小学校4年であるから、中退をすると最低で10歳、最高でも13歳くらいのイメージとなります。しかし、同氏は客車給仕係をしながら寸暇を惜しんで勉励され、十八歳で小学校の代用教員となられました。そして、それに満足することなく、歩み続け旧制の中学、高校の教員資格を取り、後年は山形大学の教授にまでなられたのです。

それにしても、わずか10歳程度の少年が、このように自分の人生を捉えることができたことの素晴らしさ、そして、その思いを一生忘れることなく、生き通すことができたことに震えるほどの感銘を受けました。