テストです
さて本邦で当駄ブログを継続的にご覧頂いている、ごくごくごく少数の僅かなほんの一握りの奇特かつ貴重なる方々に、超ウルトラ大好評のもとに進んでまいりました、「プロ野球名言十選」シリーズも、いよいよ10番目、ラストであり最終回であり大団円の時を迎えました。
やはり最終回にふさわしい名言を、ということで・・・。プロ野球の歴史の中で数々生まれてきた名言。その中で大団円にふさわしい、パリーグ好きなら、プロ野球好きなら、涙と感動と感慨なくして聞けないこの名言・・・。「出師の表」を読んで泣かざる者は男子に非ず、というがこの名言を聞いて泣かざる者はパリーグ好きに非ず・・・。
「胸を張ってプレーしろ。お前たちの背番号は、すべてが近鉄バファローズの永久欠番だ」
(近鉄バファローズ監督 梨田昌孝)
(近鉄バファローズ監督 梨田昌孝)
合併により消滅が決定した近鉄バファローズの本拠地最終戦。小生もなんとか行きたいもの、とチケット取りかけたが、仕事の都合がつくかどうか決断がつかず、逡巡しているうちに売り切れた記憶がある。今にして思えば、小生如き者より長年近鉄のみを愛し続けたファンにこそふさわしいチケットだったろう。
上記の名言はシーズン最終戦の前に選手たちに言ったものだとされている。まあ素晴らしい名言が生まれたものではある。梨田という人物は「梨ダジャレ」なんて言葉遊びが好きな人物らしいが、これほど素晴らしい言葉でこの苛烈かつ劇的かつ悲壮な状況を締めくくることができるとは・・・。
梨田自身の資質を否定する気は毛頭ないのだが、やはり苛烈な状況が言わせた部分も大きいと思う。梨田自身もこういう名言を吐いたことを誇りにしているらしく、なんかのインタビュー記事で触れてましたな。
この名言、そして当時の状況を思い出すたびに浮かんでくるのが、仏文学短編の傑作、「最後の授業」という作品。教科書に載ってましたよな。1873年、ドーテという人の作品だ。普仏戦争に敗れ、ドイツに占領されたフランス。占領下ではドイツ語しか教えてはいけないこととされた。
その日、主人公の少年は、いつものとおり授業に遅刻した。そして少年は知る。フランス語の授業は今日が最後であることを。そして最後の授業は始まる。平素碌に授業を聞いていることもなかった少年は、初めて熱心に授業を聞き、最後になるのならもっとまじめに勉強すればよかった、と後悔する。そしてフランス語の先生は、授業の最後に黒板に「フランス万歳!」と書いて授業を終える・・・。
この少年の想いには「フランス人なのにフランス語ができないなんて・・・」という悔恨もあり、その辺が実際の社会的状況と違うといった批判も多いらしいが、それはどうでもよい。梨田がこの名言を語った状況が、この「最後の授業」と場面と重なって仕方がないのだ。聞いた選手の中には、これで最後になるのなら、なぜもっと練習しなかったか、なぜもっと必死でやらなかったか・・・と思った者もいただろうか・・・。
そしてファンも・・・。ファンの想いも強かったろう。小生も思いましたよ。これで最後になるのなら、なぜもっと近鉄の試合を球場に行かなかったか・・・。なぜもっと一つ一つのプレーを目に焼き付けようとしなかったのか。行こうと思えば、もっと行けたのに。最後になることがわかっていれば、わかっていれば・・・。
この名言で秀逸なのは、「永久欠番だ!」のフレーズの前に「胸を張ってプレーしろ」の一言があることである。この一言で、そうした選手の、ファンの悔恨を救ってくれている。近鉄バファローズは滅んだ。しかし球団はさておき、選手たちは闘って、前を向いて闘った結果滅んだのだ。
今季西武躍進の原動力として名を高からしめたデーブ大久保は、当時のニュース番組で、「近鉄はプロとしてぎりぎりだったんで客が呼べなかった」と発言して、同席した近鉄OBの関根潤三が激怒した、という話がある。
過激な発言で注目を浴びたいという自己顕示欲と、痛烈なエリート意識を感じるが、永久に不滅である球団からすれば、滅んだ球団は敗者でしかないのかもしれない。歴史は結局勝者の歴史だ。勝者がやったことはすべてが素晴らしい努力と研究と能力によるものとされ、敗者はその逆だ。
だからこそ「胸を張れ!」となる。嘲りの罵声を浴びせる者もあろう。しかし嗤わば嗤え、西本幸雄、鈴木啓、井本、平野、マニエル、代走屋藤瀬、百姓顔小川・・・大石大も吉井氏もいるぞ!そして岡本太郎の帽子のマーク・・・小生にとっては、不滅の球団より百倍魅力的な球団でした。
っと感情移入しまくってますが、しかし素晴らしい名言でした。パリーグ好きとして、もっと近鉄の試合に行けばよかったな・・・マリンでも。幕張の住人となって最初の観戦は近鉄戦だったんですが。マリンスタジアムベストゲーム
にあげた試合も近鉄戦でしたな。
プロ野球史に、少なくともパリーグ史には永遠に留まる名言でしょう。座布団何枚、なんて言ってられない、苛烈であり、劇的であり、悲壮である状況のなかでの名言。語り継いでいきたいものですな。
さてこれをもってプロ野球名言十選シリーズ、10集めることができました。他にも「グラウンドの恥は、グラウンドでそそぐ・・・」(水原茂)とか、「ぼちぼちいこか」(吉田義男)とかやりたいのはあったんですが、ひとまずきりがいいので。
これにて大団円・・・って待て!プロ野球史上、最も有名で、人口に膾炙したあの名言が抜けた!上記にちょこっとだけ出てきてますが、一番メジャーなやつを抜かしていいのか?番外編でもやるか・・・。
ヤフースポーツを開いても、ロッテの記事は「西岡ハワイでイベント」・・・。ストーブリーグも終了か?あとは新外国人くらいか・・・。いや待て、まだあの男が残ってる!清水、もそうだけど、入るか入らないか、気持ちは「半々」のあの男!半々を承知で博打うった賽の目は、チョー野とでるか半野とでるか・・・。
「半々」じゃなくて「五分五分」なら笑う犬の冒険、のネプチューン原田の「センターマン」もありましたな。武富士のCMのダンスミュージックで・・・
お前は巨人ファン でも24歳 ホントに五分五分なのか~♪
お前はプロ志望 もう24歳 ホントに五分五分なのか~♪
お前はプロ志望 もう24歳 ホントに五分五分なのか~♪
本当に 五分と五分か
本当に 五分と五分か~ チャラララ♪
本当に 五分と五分か~ チャラララ♪
なんて交渉の仕方はよくないか?大事なのは、チョー野君が栄光の巨人軍への入団を熱望していることをわかってやることでしょう。個人の考え方として。年齢強調して「最後のチャンス」みたいにもってくのもよくないかもしれん。ということは「センターマン」式交渉はよくないということか?
巨人じゃないなら入団しない、とはいかなることか!というのが一番いかん。誰しもファンの球団はあるし、プロ野球選手になるより、栄光の巨人軍の一員になることが生涯の希望であったとしても、別に法に違反するわけではない。まあ小生には理解できませんが、彼の人生ですからな。
この彼の希望に対して「君は間違っている。プロは実力の世界、どこでも同じ」と言ったところで、彼にとっては同じじゃないわけだから、平行線のまま。そして「君は間違っている」という方向に持っていくと、一番悪い事態に・・・。
それは「意地になる」ということ。結局皆これなんでしょう。江川はあるインタビューに、「意地もあった」とのたまってるし、小池も一時入団に傾いた時期があったと伝える本もある。ところが「金を積めば小池は落ちる」という球団関係者?の話?がマスコミに載ってしまって・・・と。
交渉事で避けるのは、まずこっちが熱くなること、次に相手を熱くさせること。チョー野君の希望が間違ってるかどうかについて議論したところでなんの意味もない。チョー野のプライド、立場を立ててやる形の落としどころを見つけなくてはならない。
「栄光の巨人軍の一員になることを夢見ていたが、ロッテさんの熱意にほだされました」という形か?何様じゃ!などと怒ってはいけない!入ってから働きやすい雰囲気を作ってやらねば。とにかく入ってからの活躍がすべて。
まあチョー野君なんざ可愛いもんですよ。プロ野球史上、ドラフト史上最大のあの事件に比べれば・・・。かくいう小生もガキの頃はご他聞に漏れず巨人ファン、その小生を巨人から離れさせた大事件、そして栄光の巨人軍が決して栄光の球団なんぞでないことを満天下に証明した大事件。今日の名言はその大事件から・・・・。
「僕に対する、世間の感情というのは、かわいそうとか、そういったものになると思いますが、あくまでプロ野球の選手ですから、向こうへ行ってからの仕事で判断されたい。同情は買いたくない」
(巨人→阪神 小林繁投手)
(巨人→阪神 小林繁投手)
世に言う「江川事件」。作新学院卒業の73年は阪急1位指名も一蹴。法大に進んでさらに名声を挙げ、「栄光の巨人軍以外絶対拒否」を明言して臨んだ77年のドラフト。当時のドラフトは抽選で指名の順番を決め、指名していく。重複は認められない。つまり、抽選による「順番」がすべて!
巨人の指名順は2番目!1番目はクラウン。クラウンは福岡、経営危機が噂されていたパリーグマイナー球団。栄光の巨人軍の影に脅え、回避するか・・・江川指名!かくして江川の希望はついえた。クラウンは西武に身売りし、西武も猛攻撃をかけたが断固拒否。そして運命の日を迎える・・・。
78年ドラフトの前日。「交渉権は、翌年ドラフトの前々日まで」という一文を利用し、前日はどこと契約してもいい、という恐るべき理屈で、江川は巨人と契約した!世に言う、「空白の一日」である。ガキだったけど固唾を飲んで見守ったねえ。現実にこんなことおこるのか・・・。
この契約はセリーグ会長が却下。ドラフトは巨人欠席のまま行われ、江川は阪神が指名した。一体どうなるのか?とここで信じられないどんでん返しが・・・。トレード!巨人阪神間でトレード、巨人が放出するのは、なんとエースの小林繁!
驚きましたねえ。小林は76、77年18勝、78年13勝。特徴のあるサイドスローのフォーム、なにより二枚目だった。サダ坊みたいな○○系でなく、大人の香りというか・・・。子供たちの人気も絶大でした。それに対して江川の顔は・・・。とにかく理不尽、なんで小林が横紙破りの新人のために巨人を後にせねばならぬのか。
かくてガキは、じゃなかった少年は栄光の巨人軍を離れたのである。小林は宮崎キャンプに行く途中で呼び戻され、トレードを告げられた。上記は記者会見のときの一言。この名言を聞いて、どたまかち割られたような衝撃を受けましたな・・・。
なんと理不尽な、なんと可愛そうな・・・そうとばかり思っていた小生。恥ずかしくなりましたよ。同情してくれるなら、してくれるだけして欲しい、と思うガキだった・・・って今もか?そういう考え方もあるんだ・・・いや、これこそ「プロ」だ!「プロフェッショナル」とはこういうものだ!と少年たちに教えた忘れえぬ名言です。
また「巨人と巨人以外」という視点しかもってなかった多くの日本のプロ野球ファンにとっても、目から鱗が落ちる名言だったのではないか。小林は79年のシーズン阪神で22勝で最多勝、巨人からは8勝無敗。小林が投げる阪神巨人戦は熱狂しましたよ。伝説を作りましたな。通算139勝。31歳、13勝して引退・・・。記憶に残る、顔も生き方も二枚目な投手でした。
こういう人もいるんだよ、チョー野君!ってそれじゃ最初に書いたことと矛盾してるか?いや栄光の巨人軍の一員になることは素晴らしいことでしょう。それはわかりますよ。実際若手も育ってきてるしね。でもロッテも貴君を熱望しとるんですよ。ボスはいなくなっちゃったけど・・・。ネタ軍団だから、ボスはボス、ネタ戦士はネタ戦士なんですよ。
誰しも希望は、夢はある。でもそのとおりにならないのも人生。そんな時に、流れに逆らわず、眼前そこにある仕事に最善を尽くす・・・そしてその仕事を成し遂げると、いつの間にか思い通りにならなかった悲しみも乗り越えている。それに気づいた瞬間の快感!俺は変わったんだ、生まれ変わったんだ、もう大丈夫だと思える瞬間・・・。
そんな瞬間をロッテで味わってみないか?指名しといて言うなって?いやファンは皆心待ちにしてますよ。少なくとも小生は。チャンスで打席回ってきて強攻策、「チョー野か半野か、さあ張った張った!」って使わせてもらいますぞ!打てなかったら「グニ(5と2)の半野だった」って・・・。
運命に逆らい続けた江川、運命に逆らわずに眼前の仕事にベストを尽くした小林・・・。青年はどちらを選ぶのか。とにかく自分の意志でな。周囲の思惑もあろうが、周囲が責任とってくれるわけじゃないし。って言うは易し、義理がからむと人間弱くなるのはわかるけど。
でも「意地」は張らないでもらいたいねえ。とにかく素直に、自然体で考えろ!生涯の夢が潰えかけてるんだから、割り切るのに時間はかかるだろう。それでもロッテで練習をこなし、試合でプレーし、ってしているうちに、いつしか乗り越えてるさ。そして乗越えたとき・・・マリンスタジアムの万来の歓声が君を待っている!
