愛情表現は、いろんな形があるだろうけど、やっぱり言葉で表現されると
とても安心したり、素直に受け止めることができる。
だから。
言葉で表現すること、話しをすることは、とても大事なこと。

相手が何を考えてるかなんて、
伝えてくれなきゃ、全部を理解するなんて無理だから。


この頃とても愛情を感じる。
でも、わたしはどこかで、
本当は、わたしは幸せになってはいけないんじゃないか、と、
罰を受ける日がくるんだろう、と、
冷めた感情もなくなることがない。

本当は無邪気な気持ちで、幸せを受け止めたいのに…






ブログを書いて残すこと、それは、私にとってのある意味ストレス発散なんだろう。

「話すこと」は「離す(放す)こと」

実際に対面で話す相手がいないから
こうして胸のうちをブログに綴る。
そして、少しでも自分のモヤモヤを離していっているような気がする。

私はやっぱり誰かに必要とされたい願望がとても強くて、
仕事でも頼りにされたい、プライベートでも、必要とされたい、だから、頑張りすぎてしまう。
逆に、もう、君はいらないよ、必要ないよ、そんな風に言われた途端に、気持ちがとても沈んで世界の中で1人とり残されたように、全てが嫌になってしまう。


必要とされていない自分がとても悲しくて、
そうなりたくなくて、いつも何かにすがってしまっているようだ。


「…もう諦めたよ…」

その言葉はとても残酷で、私にとって
「あなたはもう必要ない人だよ」と死刑宣告されたような気持ちになる。


人の考えを変えることはできないし
私の捉え方を変えないと、苦しむばかり。

ポジティブに捉えることが、なかなかできないけれど、
それでも、ちょっとした優しい言葉や
相手が喜んでくれた一瞬をみれたことで、良かったなぁって、些細なことでも嬉しいなぁって気持ちを大事にしたい。

明日は少しでも笑顔でいたい、笑顔でいたら幸せがやってくるかな。





七夕がもうすぐだ。
そもそも織姫と彦星のお話、元々、勉強家で働き者だった2人が夫婦になってから、遊び呆けて仕事をしなくなったから、2人を離し、
まじめに仕事するなら一年に一度会えるようにしてやる、と、神さまがそう仕向けたお話だったと思う。
このお話って、遊んでばかりはダメだよ、
という戒めの話、ということなのか。
働くものこそ、正なるもの、という考えなんだろうか。


私も、結婚してから、あまり仕事をがむしゃらにしなくなった。自分で収入を確保しなくてもすんだから…
でも、別居、離婚となってから、また仕事しなきゃ!と思うようになった。
生きるために。
人はやっぱりずっと働いていかねばならないものなのか。

仕事にいきたくない。逃げ出したい。
何もかも放り出したい。
でも、仕事をして、生きていかなければいけないものなのか。


旦那に、
「なんで働いてるの?」と聞くと
「生きるため」と答えた。

「わたしの利用価値はなに?なんで一緒に暮らしているの?」
旦那はびっくりしたような顔で
「じゃあなんで、君は僕と一緒に暮らしているの?利用価値?存在価値のこと?そんな事思ったこともなかったよ。
何もしてくれなくても、別にいいんだよ?」


私が投げかけた言葉は、自分に対する問いかけでもあったのかもしれない。
じゃあ、私は何で旦那と一緒にくらしてる?利用価値があったから?と?

旦那から逆に自分にその言葉を投げかけられたとき、答えることができなかった。