おかげさまで体力が徐々に回復してまいりました。

 朝一番で所用を済ませて、ご神水をいただきにお参りへ行きました。



 良いお天気です晴れ


1396967170029.jpg


 明日は春の大祭なので準備がされていました。


1396967202517.jpg


 お参りをしながら進んでいくと掲示板に目が行きましたので、帰りに立ち寄ってみることに。


1396945178477.jpg


 おっsei

 見えてきた。


1396967201827.jpg



 うわぁー。


1396945138616.jpg


 

 桜にあまり思い入れのない私ですが、これは感動しました。 


 一面ピンクです桜 


 すごくきれいでした。




1396945139533.jpg


 やはり混んでいますね。


1396945136947.jpg



 大鳥居、二上山、畝傍山、耳成山・・・


 この大美和の杜展望台からは奈良の景色が見渡せます。



1396957779217.jpg


 帰り道は何故か気持ちがスッとして、


行ってみて良かったなぁ!と思いました。




 先日来たときには列ができていたので遠くからで失礼したのですが、


今日は近くで、なでうさぎさんに


宮崎のなでうさぎさんのところへ行ってきたことを報告してきました。


 『へぇ、そうだったんだ』というかんじで、

やはり堂々としたたたずまいです。

1396967201110.jpg



 帰ろうとするとどこからともなく楽器の音が聞こえてきて、テントの下に鳥居から本殿に向かう形で列ができていました。


 ほとんどが神職さんや巫女さんで、

「何が起きるんだろう・・・」と驚きました。


しばらくすると輿を担いだ列が上って来られました。


 白い正装で、笙の演奏と共に通り過ぎ・・・

輿はすばやく本殿へ。


1396967203213.jpg

 目の前を通るときにはみんなが頭を下げたので神様だというのは分かったのですが、どこから??


 若宮社からだったようです。


 静かですが迫力がありました。


 大神神社は本当に色々な行事があるなぁと思います。


 午後からは藤原京に行った後、家の掃除をしました。

お天気も良く、家全体の空気がクリーンで気持ちいいですね。


 

 走ったりすると痛いですが、急激に身体が回復したので掃除までできて、本当にありがたいです。

 



 ここ最近は、何気ない生活の場面や、他人との関わりなどを通して


 「もう少し自分らしさを見つけてみたいな」


 「個性を出してもいいんだ、


 というかその方が楽しそう」

と思うことが多くなりました。


 実際、そんな方々といるととても面白いし心が和みます。



 しかーし…自分の『個性』がイマイチ分かりません。


 自分のことを知るのが難しい、ということは当たり前なのかもしれませんが、小さい頃からの「自分を隠したい」癖が問題かなと思っています。

 

 恥ずかしがり屋、自信のなさと思っていましたが、それと同じくらい


 失敗することがとても怖いのです。


 ≪誰でも最初から完璧にできる人はいない≫ということも何度も頭の中で言い聞かせていましたが、心配な行事や授業のある前日には眠れないこともありました。




 それに加えて、「自分自身」があるにもかかわらず、他の人の個性を『いいなぁ~』と思ってしまいます。。



 それゆえ、「同じくしなきゃ!」という考えにばかりとらわれてしまい、他人ばかりを目で追って…

いつの間にか自分がよく分からなくなってしまった感じです。

 羨ましがっている他人の個性は“その人”が持っているから良いのではないか??



 では私の持っているものは?

…と考えると分かりません。



 

 霊視のメモを見返していても、初めて先生に会ったころから


「常に他人に頼っていては自分らしく生きられない」と言われていたなぁと思い出します。



 そして最近やっと、その大切さと、それができない窮屈さを実感するようになったのでした。




 先月の霊視でも

 常々思ってはいるものの、なかなか改善できない自分の“思い癖”を指摘され、より意識するようになったかもしれません。


 耳の痛いお話でしたが・・・・(笑)そういうことをお聞きできる場があるということはありがたいことですね。


 私は小中学生のころから人の目を気にして過ごしていました。


 中学生になったころから不安障害のような状態までひどくなり、授業中発表することや、


 高校では人の多い廊下を通ることも苦痛になり、休み時間にトイレに行くにも一大決心が必要なほどでした。


 机で静かに勉強する授業はまだ大丈夫だったのですが、みんなが好きな体育の授業や給食はとても困難なことでした。


 視線が怖いということ以外に、小学生のころからどういうわけか


 “みんなが楽しいと思うことを私はしてはいけない”

という≪とらわれ≫もありました。


 中学二年生のときにはそんな毎日から「どうにか抜け出さなきゃ!」という気持ちが強くなり、


 机やメモ帳に「誰も私のことなんて見ていない」とノートやメモ帳に何度も書いて自分に言い聞かせていました。



 不思議と、最初から頭では理解はしています。


分かってはいるけれどどうしてもその恐怖からは抜け出せないのです。


 パソコンで調べると、頭では分かっているがどうしても症状がでてしまう。というそのままの病名が見つかったので大学に入ると、とうとう安定剤を服用するようになってしまいました。

 

 それをきっかけに改善していったと思っていたのですが、


今でも自分にとって問題点と感じるということは、


 

 薬では問題の本質は改善されていなかったようです。

(薬でなく心の修行だったのですね)

 

 とらわれについては霊視でも指摘されビックリしました。

 

 「○○してはいけない」ととらわれているうちに、とらわれがとらわれを生んで、自分で自分を縛ってしまった のかなと思います。


 「頭で考えるべからず」という言葉もそれにつながる気がします。



 「頭で考えないこと!」と同じくらいに『焦らないで』と未だに言われ続けてます。

 今は仕事をしていないことに焦っているのですが、


 今焦って仕事を見つけても身体がしっかりしていないので前職の二の舞となってしまうことも頭では分かっています。

 昼間に道を歩いたり、(自宅に)不定期な時間に出入りをしているので近所の人に


 「夜の仕事をしているの?」という具合に聞かれ、それから余計に人目を気にするようになったのですが、そんなものを気にしていたらまた窮屈ですよね。


 自分の人生を自分らしく生きられなければやっぱり楽しくないです。


 そのための準備期間なのだから、たとえ他人に何を言われても堂々としていれば良いんです。


 自分の人生なんだから。。。


 

 そして、いろいろ考えながら今日のブログを作りましたが、多分これも無駄なのです・・・。


 (笑)


 頭で考えずに修行する!


 正しい努力を間違わなければ、そこから自ずと答えが出てくる・・・



 そして、今私が必死で探しているもの、それこそが、誠の会の活動目的 でした。


 今必要なのは「どうしたら自分らしく生きられるか」という


 答えを見つけようともがくことではなく、


 その時々に必要なことを指導をいただきながら、ひたすら誠の会の修行をしていくことです。



 …って自分に言い聞かせているようで可笑しいですねase