イギリスは、第二次世界大戦 の戦勝国の一つとして、アメリカ・フランス・ソビエト連邦・中国と共に、国連の常任理事国の一つとなりました。

  しかし、ロンドンなどの都市への空襲で受けた施設 やインフラへの被害と、世界の至る所で行われた戦闘による人命の損失は、大英帝国の威光を大きく損なうことになりました。それらは、アメリカによる復興への援助と植民地からの移民の大量の受け入れによって補われ、イギリスでも急速に経済成長が進行し、イギリスも大加速の時代を迎えたのでした。戦時中の 経験 を生かした女性の社会進出 の急増や福祉国家建設 の加速は、日本の戦後改革のモデルにもなっているようです。東西冷戦によって失わることになる希望を、あらん限り詰め込んだものが日本国憲法ですあるように私は思います。経済成長 優先の政策を政府や企業が採用したことは、ロンドン・スモッグのような公害や環境破壊を引き起こし、植民地維持にイギリスがこだわったことは、植民地での独立運動を激化させ、「マウマウ団 」の反乱と呼ばれることになるものなどを引き起こしたのでした。 

  その一方で、英語の国際語としての普及やビートルズの歌や『サンダーバード」などの番組の流行も行ったのでした。なお、第二外国語としての英語教育 の手法は、戦前の日本で英語教育に携わったイギリス人教師たちの体験に基づいたものであったそうです。アフリカ南部の国、ナミビアが 公用語を英語とし英語で書かれた憲法を採用し、 ロシア連邦の一角を占める国ジョージアが、国の呼び名を 現地語読みのものから英語読みのものに変えたのは、現在の国際情勢の中でイギリスとその文化が占める地位を象徴しているように思えます。

 イギリスの植民地であった地域の多くでは、独立運動が第二次世界大戦後、活発化しました。戦前から独立が決まっていた  英領インド帝国が、インド・パキスタン・スリランカに分割されて独立したのに続き、ビルマ・マレーシア・ナイジェリア・コンゴ・タンザニア・シエラレオネなどの国々が熾烈な独立戦争を経て独立したのでした。これらの新しい独立国では、人口を増やし、経済を発展させることが、国民に幸福を齎すとの信念に基づいた政策の遂行が なされたのであり、驚異的な経済成長が多くの地域で実現した時代、大加速の時代を迎えたのでした。

 その一方で、大英帝国の衰退に危機感を覚えた人々の間で保守勢力が拡大し、保守党のサッチャー政権が成立しました。サッチャー政権は、フォークランド紛争を 武力で解決したり、福祉 重視の政策からの脱却を図ったりしたのでした。また、国際政治の場では、アメリカと協調 する姿勢を貫いていた ものの、フランスやドイツとの世論の違いから、EU からの離脱に 導かれたのでした。さらに、北アイルランドの領有を 巡って長期に渡る紛争が起こり、スコットランドの連合王国からの分離独立の動きも高まっています。

 なお、 地球温暖化や 気候変動の問題に対する 国際協力 の中で、イギリスが果たさ ねばならない役割につい ては、真剣な議論が、 今も 継続しています。