今回は、黒死病が流行した14世紀半ばから百年戦争を経てバラ戦争の後、ブリテン諸島をウェールス出身のテューダー朝のイングランド王国が統一した経緯を整理してゆくことにします。
14世紀に中央アジアで発生した黒死病(腺ペスト)の流行は、1347年には、ヨーロッパに到来し、ヨーロッパ諸国の人口を激減させ、ブリテン諸島にも
大きな被害をもたらしたのでした。フランス王国の王位継承権や、フランス西部のワインの大産地や織物産業の大産地であるフランドルの相続をめぐるイングランド王国と フランス王国の王家同士の争いは、スコットランドやブル ゴーニュの支配をめぐるヨーロッパ諸国の王家の間での争いとも連動して、黒死病の被害とそれへの対策を挟んで、断続的に百年に渡って続くことになり、「百年戦争」と呼ばれるようになります。黒死病の流行やこの長い戦争は、ユーラシア大陸で起こった環境の変化と結びついたものであり、支配者の地位の 問題だけ ではなかったのでした。イングランドで農民の反乱とされているものが頻繁に起こっているのが、そのことを示しています。黒死病の流行や百年戦争が社会に及ばしたインパクトの大きさは、支配者たちについての記録である歴史書にも記されていて、ケリーの『黒死病の歴史』に集約されていて、石弘之氏の:『感染症の世界史』からもわかるのですが、
これらからは、人民が何を感じどのように行動したのかは、わかりにくい ように思えます。ところで、SF小説家のコニー・ウィリスには『 ドゥームズデイ・ブック』というタイムトラベル・テーマの小説があり、そこでは、黒死病に直面したある村落の人たちが生きた姿が活写されています。小説ですので、あくまでフィクションなのですが。
百年戦争は、イギリス とフランスの両者で、国王の下への権限と領地の集中 をもたらしました。現在のフランスにあたる地域にあった国王と家臣の領地を百年戦争での敗北によって、 すべて失ったイングランド王国では、プランタシネット 家の二つの分家、ランカスター家と ヨーク家の間でイングランド王の地位を巡って激しい抗争が起こ りました。ランカスター家とヨーク家のそれぞれが薔薇を徽章として用いていたことから、この抗争は、薔薇戦争と呼ばれています。この抗争は、両家と血縁関係を持つウェールズ出身のヘンリー・テューダーがヨーク家のリチャード三世を敗北させ、イングランド王ヘンリー七世となったことで終わりました。14世紀から15世紀までの長い年月の間に及んだ戦乱は、終わり、テューダー朝の下でブ リテン諸島は、イングランド王国の下に統一されるのですが、それについては、次回、詳しく扱うことにします。
なお、シェイクスピアの 歴史 劇は、百年戦争や薔薇戦争の経緯を踏まえた上で、テューダー朝の支配を正当化するための 宣伝としての役割を担っているものであったと考えることができるようです。
歴史推理の傑作とされている推理小説です。
スコットランドの統合を背景にしています。