堀米庸三氏の『歴史と現在』(中公叢書、1975年)を読みました。堀米氏(1913~75年)は、東京大学教授を勤めていらしたヨーロッパ中世の歴史の研究者で、『正統と異端』(中公新書、1964年)・『歴史の意味』(中公叢書、1970年)などの著書で有名な方で あり、亡くなられた後に編著『西欧精神の探究』(日本放送出版協会、1976年)などが出版されている方で、 フランスの歴史家マルク・ブロックの『封建社会』(岩波書店、1995年)の日本語訳の監訳者も務められています。

 本書は、『歴史の意味』が出版された後に公にされたものを中心とする15本の論文や 評論をまとめて一冊とされたものです。従って、亡くなられてから半世紀がたとうとされている方がその 晩年に公にされた思索の跡を明らかにされている一冊であると思えます。ここでは、20世紀後半以降の世界の歴史を、「人新世」と捉える視点から、本書での堀米氏の問いかけに応えることを試みてみたいと思います。

 本書に収録されている作品の中で、堀米氏は、日本でヨーロッパの、特にその中世というものの歴史に考察を加えて、その結果を日本語で発表したり、 論文に書いたりすることの意義が問われているように思えます。世界の中での日本、ヨーロッパと対比して日本について考えているところには、とどまらないように思えます。ヨーロッパでの「中世的自由とは事実上隷属にすぎない」のであり、近代国家での実定法に規定された権利としての人間の自由が人類を滅亡に導くことを逃れるためには、コンピュータなどを支配する技術原理の奴隷とならずに人間はコンピュータを駆使することを貫くべきであって、その逆ではないと説いた評論「技術原理と人間の自由」(1970年)、そして、1170年にイギリスのカンタベリー寺院で起こったカンタベリー大司教ベケットの横死と1970年11月25日に東京の自衛隊市ヶ谷駐屯地で起こった小説家三島由紀夫の自決が堀米氏には、関連付けることが可能な問題であると捉えられることを説いた評論「自決と殉教」(1972年)は、とりわけ感動的でさえあるように思えました。

 ところで、堀米氏は、1945年の敗戦が天皇制の神話からの解放である一方で、1956年のスターリン批判 は、わが国においても自由な思考や政治運動の新たな出発点を与えたと捉えていらっしゃっています。そして、堀米氏は、1960年代の資本主義の発展や情報社会の到来の背後に 近代ヨーロッパの合理主義が抱えていた課題があり、それが学生運動や公害問題に変容したのだと、1973年の評論「日本化と西洋文化」では捉えられています。また、自然の捉え方がヨーロッパと日本では、大きく異なっていることも指摘されているのですが、公害問題を地球環境の問題として捉え直し、人新世への道を拓くことは、1975年に亡くなった堀米氏には、果たしようもなかったのでした。

 また、本書に収録されているトインビー論とホイジンガ 論 も 堀米氏が人類の 文明とその歴史をどのように捉えていたかを示していて興味深く思えました。


 

 


 

 


 

 


 

 

 


 

  堀米氏が関わったのはこちら


 

 


 

  三島由紀夫にはこんな作品もあります。