19世紀前半のイギリス帝国が奴隷解放とユダヤ教徒の解放を連動させて捉えていなかったことは、『講座世界歴史』第16巻で北村氏が指摘されているように、事実です。

 ところで、『エディンバラ・レビュー 』に奴隷解放の必要性を説く論説で 1825年にデビューしたマコーリーが1830年にイギリス議会 で行った最初の 演説がユダヤ教徒の解放を扱うものであったことは、あまり注目されていない ようです。奴隷解放運動の活動家としての評価を確立させたマコーリーが、ユダヤ教徒解放の必要性を説いた演説で、議会生活を始めた というのは、奇妙なこと のように思えます。ロンドンの金融市場の実権を握っていた ロスチャイルド家の意向を踏まえてホィツグ党の有権者層拡大への 意思を示したものと捉えるなら 不思議ではないように も思えます。しかし、奴隷解放のための言説を積み重ねてきたマコーリーが、議員生活をユダヤ教徒解放のための演説から始めたことには違和感を感じてしまいます。信仰の違いを理由に有権者資格に制限を設けることを不条理 と捉える中道自由主義者として のマコーリーの出発点とみるなら疑問ではないのですが。

 マコーリーの評論集や演説集に奴隷制廃絶論が 採らなくて、ユダヤ教徒解放論が採られていることも気にはなっていて、ウォーラステインの近代世界システム論の第4巻を 読んで以来、疑問を新たにしていたとことを、講座世界歴史の第16巻で確認した次第です。

 ということで、 詳細は、後日。 


 

 



 

 


 

  


 

  カラー図版が載っていることが 捨てがたいのですが、文庫本で補訂が加えられています。