「光」があれば「影」があるのは今生(こんじょう)の話だ。

人は一生を終え死を迎える時、憑いていた背後霊は役目を終え肉体から離れる。同時に影のない世界に変わる。それが来世。そうして憑いていた「影」は今度は「先達」として目前に現れるのだ。


「影」は汝の事を細大漏らさず知っている。生きている間「影」となって汝自身を見つづけてきたのだから、本人が忘れ、気がつかないことさえ見て知っている。誤魔化しは効かない。


黙々と背後について来たものが、今度は正面から語りかける。



「さあ、行こう。この世は今しがた終わった。来世に案内するのはお前の背後で全て見守ってきた私の役目だ。汝の来世はこれまで汝が積み重ねてきた行い、ーーーーそれは徳であり悪行であり全ての振舞いだが、一つ一つが漏らさず判断される。「罪」には「罰」が、「徳」には「恩」が待っている。全ては報われる。死を境にこれからは先達としての私に従うのだ。」


生きるという事は来世のための修行の場だったと気づくのは今から。ここまでが現世、扉の先は来世だ。さて、お前はこの扉を開いた時、何に生まれ変わるのか。