佐賀県諸富町新北神社と御神木の飛竜木(ビャクシン)
初、五十猛神、天降之時、多將樹種而下、然不殖韓地、盡以持歸。
遂始自筑紫凡大八洲国之內、莫不播殖而成靑山焉。所以、稱五十猛命、爲有功之神。
卽紀伊国所坐大神是也。
初め、五十猛神(イタケルカミ)が天界を下った時に、多くの木の種を持っていました。
これを韓(朝鮮半島)には植えずに、すべてを持ち帰りました。
それで筑紫から初めて、大八洲国に蒔いたので、日本の山は青々としているのです。
紀伊国に居る大神はこの五十猛神(イタケルカミ)です。
私はこの五十猛神の話を聞くと必ず思い出すのは、
徐福と共に来倭した童男童女三千人、及び百工の話です。
彼らは五穀の種を倭国に持ち込んでいるので、そのことが五十猛神に通じるのです。
そうなると素戔嗚尊はやはり徐福と云うことになります。
そして、五十猛神は徐福と共に渡来した童男童女たちを比喩しているのではないのか?
五十猛神の妹には大屋津(オオヤツ)姫命と枛津(ツマツ)姫命が居ます。
五十猛神と姫神たちは降臨後、多くの木の種を持っていましたが、
韓の地には植えずに全て持ち帰り、筑紫から始めて、
大八洲国に撒き散らし、すべて青山にしてしまったとあります。
この行為はまさに徐福の連れてきた童男童女に繋がります。
徐福はビャクシンという木の苗を日本に持ち込んで植えたとされています。
ビャクシンは徐福上陸地とされる佐賀県諸富町の新北神社。
また、徐福渡来伝説のある和歌山県新宮市には天台烏薬(テンダイウヤク)があり、
宮崎県宮崎市に芳士に自生するハマユウも徐福が持ち込んだとされています。
つまり、素戔嗚尊という神になったモデルは何人もいて、その一人が徐福であり、
もう一人が倭国大乱を起こした男王=伊都国王の帥升の子孫、
あと一人が、卑弥呼が崩御した後に倭王と成り、国中が従わなかった男王となります。
古代の人たちが、これ等の人々の伝承をそれぞれ伝えているうちに、
彼らの名前が集合されて、素戔嗚尊という神名で残されたのでしょう。
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