『古事記』本文には次のような須佐之男命に関する記載があります。
於是 八百萬神共議而
於速須佐之男命負千位置戸
亦切鬚及手足爪令拔而
(読み方)
是に八百万の神、共に議りて、速須佐之男命に千位置戸を負せ、
亦鬚と手足の爪を切り祓へしめて、神やらひやらひき。
(現代語訳)
そして、八百万の神々は共に相談して、速須佐之男命にたくさんの贖罪の品物を科し、
またその鬚と手足の爪を切って祓えをさせ、高天原から追放した。
ところで、この千座置戸であるが、過去の訳では殆どが、ここにもあるように、
千の座(台)に乗せる程の多量の品物(宝物)と訳しているのだが、
その訳では(戸)の意味がまったく解らないことになります。
過去の訳者はほぼ全員が(戸)を無視してきたのである。
ところが、戸を文字通り、一戸、二戸の家のことだと考えると、
千座置戸は千戸の家を置いていくと訳すことが出来るようになる。
そうなると、須佐之男命=素戔嗚尊は倭国大乱時の倭王だったと考えられるから、
倭国大乱を起こした男王(須佐之男命)は八百万神(倭国を構成する小国王たち)から、
倭国を追放されたときに、家屋を千戸置いていったと考えられるのである。
すると戸数千余戸の国とは、『魏志倭人伝』の記す伊都国がある。
ところが、『魏略』によると伊都国の戸数は戸万余と記されている。
つまり、男王須佐之男命の統治時に伊都国は戸万余の大国だったのだが、
須佐之男命が倭国大乱に敗れ、倭国を追放されると、
千余戸の置き戸をして、出雲国に下って行ったとする推定が成り立つわけである。
そして、須佐之男命は髭と爪を切られて、高天原=倭国を追放されるのだが、
髭=祭器、爪=武器と考えることが出来るであろう。
このように考えることで、『魏志倭人伝』と『魏略』及び、
『古事記』『日本書紀』を統一した解釈をすることができるのである。
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