一般に卑弥呼の鏡と云われている三角縁神獣鏡
(原文)
今以絳地交龍錦五匹・絳地縐粟罽十張・蒨絳五十匹・紺青五十匹、答汝所獻貢直。
又特賜汝紺地句文錦三匹・細班華罽五張・白絹五十匹・金八兩・五尺刀二口・
銅鏡百枚・眞珠・鉛丹各五十斤、皆裝封付難升米・牛利。
還到録受、悉可以示汝國中人、使知國家哀汝、故鄭重賜汝好物也。
(書き下し文)
今、絳地交竜綿(コウチコウリュウキン)五匹・絳地縐粟罽(コウチスウゾクケイ)十帳・
蒨絳(センコウ)五十匹・紺青(コンジョウ)五十匹を以て、汝が献ずる所の貢直に答う。
又、特に汝に紺地句文綿(コウチコウモンキン)三匹・細班華罽(サイハンカケイ)五帳・
白絹五十匹・金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹(エンタン)各々五十斤を賜い、
皆装封して難升米・牛利に付す。
還り到らば録受し、悉く以て汝が国中の人に示し、国家汝を哀れむと知らしむべし。
故に鄭重に汝に好物を賜うなりと。
(現代語訳)
今、絳地交竜綿(濃い赤色の綿地に二匹の龍が交差した柄をあしらえた布)五匹(十反)・
絳地スウ粟ケイ(ちぢみ毛織物)十帳・蒨絳(茜色の織物)五十匹(百反)・
紺青(紺色の生地)五十匹(百反)を以て、汝が献ずる所の貢ぎ物に直(じか)に答えよう。
また、特に汝に紺地句文綿(紺色のカギ模様のついた錦)三匹(六反)・
細班華ケイ(模様を細かく斑に表した織物)五帳・白絹五十匹(百反)・
金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各々五十斤(八百両)を賜い、
皆(目録を)装封して難升米・牛利に付す。
還り到れば録受し(目録と照らし合わせて受け取り)、
悉く以て(全ての下賜品を)汝が国中の人(倭国の人々)に示し、
(魏の)国家(即ち明帝)が汝(卑弥呼)を哀れむ(慈しむ)ことを知らしむるべし。
故に鄭重(ていちょう)に汝に好物(良い物)を賜うなりと。
ここで一匹とは二反のことである。1反は幅9寸5分~1尺、長さ2丈8尺~3丈の布。
皆装封して難升米・牛利に付すの意味は、
下賜品のリストを封に入れ、難升米と都市午利に渡す(持ち帰らせる)こと。
つまり、これ等の下賜品は難升米と都市午利が直に持ち帰るわけではない。
実際、これ等の下賜された品々は帯方郡に一旦持ち込まれると、
正始元年に帯方郡使弓遵に遣わされた、正使の梯儁らが倭国に齎している。
さて、明帝が卑弥呼に齎した下賜品の中で特に問題なのが、銅鏡百枚である。
この銅鏡は【卑弥呼の鏡】と呼ばれ、今迄【三角縁神獣鏡】がこれだとされてきた。
【三角縁神獣鏡】には景初三年、及び景初四年銘の入った鏡が確かに存在したからである。
だが【三角縁神獣鏡】は国内から既に五百四十枚以上が出土し、百枚には多すぎる。
それに対し、中国からは失敗品、破損品、鋳型を含め、一枚も出土していないのである。
つまり、【三角縁神獣鏡】は卑弥呼がこの時、明帝から貰った鏡とは考えにくい。
但し、最近洛陽近辺では一枚の【三角縁神獣鏡】が見つかったとされるが、
それは出土品ではなく、古物商から買ったものらしいので、
どうやら精巧に作られた偽鏡である可能性が高いと云われている。
また、【三角縁神獣鏡】には呉の銅が使われているらしいことからも、
呉の職人が倭国内で作った鏡である可能性が高い。
ご存じの様に呉は魏に滅ぼされるが、その時呉人の多くが倭国に亡命したと思われ、
呉の鏡職人たちが倭国内で【三角縁神獣鏡】を制作するようになったと考えられる。
現在の処、魏から卑弥呼が貰った鏡は、
【蝙蝠鈕座内行花文鏡】或いは【方格規矩鏡】ではないかと言われている。
このうち、【蝙蝠鈕座内行花文鏡】は径11~18cmほどで、
洛陽焼溝漢墓からも洛陽晋墓からも出土している。
そうすると、西暦190年ごろから300年ぐらいまで、
洛陽の都では蝙蝠鈕座内行花文鏡が使われ続けたことになる。
すなわち、蝙蝠鈕座内行花文鏡は邪馬台国の時代に中国で行われていた鏡である。
卑弥呼が魏からもらった鏡は、
当時の都の洛陽で行われていた蝙蝠鈕座内行花文鏡のような鏡であろう。
そして、その鏡は、日本では九州を中心に出土し、奈良県からは全く出ない。
(以上、『邪馬台国の会』より)
後漢が滅亡して魏が成立し、官営工房の尚方が再建されると、銅鏡の製作が始まった。
この時代に鋳造された鏡は、内行花文鏡・獣首鏡など、すべて後漢以来の旧式鏡であった。
ただ、いくつかの鏡で文様が簡略化され、内行花文鏡では、鈕座(紐を通す穴)の周囲の
スペード形の文様が蝙蝠の形になってしまった。これを「蝙蝠鈕座内行花文鏡」とよぶ。
「蝙蝠鈕座内行花文鏡」は魏の時代に出現したことがほぼ確かな鏡といえる。
そして、九州の墳墓から殆どが出土し、畿内の墳墓からは殆ど出土しないとされている。
方格規矩(ほうかくきく)四神鏡(径25.7cm)
中央の方格(方形の紋様)と、規矩(きく=コンパスと定規)に見立てた
TLV字形の幾何学紋を主紋とする鏡で、方格規矩鏡と呼ばれる。
方格は地を、外形の円形は天空を示し、立体的で壮大な天地の構造を表現している。
その間に四神や瑞獣、仙人などが配置されていることから、当時の宇宙観が反映されると考えられる。
日本にも持ち込まれ、弥生時代の北部九州の墓から出土する他、古墳時代前期にも見られる鏡式で、
その後日本国内でも真似て製作されるようになる。
ただし、本鏡のように紋様が細密かつ極めて繁縟なまでに表現される事例は知られていない。
なお、本鏡には鏡架(鏡を置く台)が伴っている。
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