高天原を訪れたスサノオを、弓矢を持って待ち受けるアマテラス。

この後、二神は「誓約」を行うが、生まれた子供が、

アマテラスの五男神、スサノオの宗像三女神。

この時、女子が生まれたのは私の心が澄んでいたからだと、

高らかに勝利宣言したスサノオは高天原で大暴れする。

すると、

荒廃した高天原に心を痛めたアマテラスは天窟屋戸に籠る。

アマテラスが天窟屋に籠ると高天原も豊芦原中国も暗黒の世界となる。

因みに私はこの神話を倭国大乱を指していると思っている。

その後八百万の神の必死な努力によりなんとかアマテラスが窟屋から出てくると、

スサノオは千倉の置き戸の罪を被され高天原を追放される。

 

即ち、『古事記』『日本書記』に記される、

アマテラス神話、スサノオ神話は、

八世紀における古代(弥生時代)の伝承から作られた神話と思われる。

 

アマテラス的女王

 

卑弥呼

 

言わずと知れた倭国=女王国連合の女王

西暦238年(景初二年)魏に朝献し、明帝から【親魏倭王】に制証される。

西暦240年(正始元年)、帯方郡使梯儁らが倭国を訪問した時の記事に「年已長大」とあるから、卑弥呼はもう既にかなりの老人だったのである。

又『新羅本記』に「紀元173年、卑弥呼新羅に朝貢す」とあり、この時卑弥呼の即位を祝う朝貢であり、その時卑弥呼の年齢が台与の即位時と同じ13歳であれば、卑弥呼は紀元238年には78歳であり、亡くなった紀元247年(正始八年)には87歳となる。但し、『魏志倭人伝』に「其人壽考、或百年、或八九十年。」と記されるので、当時倭人は80~100歳の長寿が当たり前だったかもしれない。

 

中国にも影響力を持ち、倭王として弥生時代の倭人たちに親しまれていた卑弥呼が、古代日本において、アマテラス信仰となった可能性は十分にある。

 

台与

 

西暦247年(正始八年)の卑弥呼の死後男王が立つと、倭国中から嫌われて

第二次倭国大乱を起こり、それを納める為に共立された新女王。
 

台与は天窟屋から出てきた後のアマテラスと言えよう。

何故なら窟屋に入る前のアマテラスは、自主的に動いていたが、

窟屋から出たあとのアマテラスの行動は高皇産霊神の意向に従っている。

これは共立時の台与が未だ13歳の子供だったからだろう。

 

スサノオ的男王
 

スサノオのモデルと思われる男王は複数存在する。

 

倭国大乱を起こし、小国王たちの協議で倭王を廃された男王。この特同時に卑弥呼が新倭王に共立された。

 

卑弥呼の死後、倭王として立つも、倭国中から嫌われて、第二次倭国大乱が起こり、台与が新倭王に共立されると同時に倭王を廃された男王。

 

二人の男王のように倭国においては男王が国民から嫌われ、女王になると国が治まるのは、アマテラス信仰(巫女信仰)なるものが太古の昔からあったからだろう。

これは大和朝廷時代になっても変わらない。

 

帥升

 

記録に残る最初の倭国王

考古学的には伊都国王に推定されている。

西暦107年(永初元年)後漢安帝に生口160人を朝貢する。

 

徐福

 

中国秦の時代、山東半島の琅邪郡から日本に渡来したとされる方士。

徐福は秦始皇帝を「東方海中に浮かぶ、蓬莱・方丈・瀛州の三神山には仙人が住んでおり、その元には不老不死の霊薬がある」と騙して東の海を渡り、「平原廣澤の地」を得て王となったとある。

この徐福の行動がスサノオによく似ている。

一度新羅国に渡るも「この地は気に入らない」と言い、倭に渡ってきたこと。

徐福は五穀の種を日本に持ち込み、スサノオは木の苗を持ち込んでいる。

徐福が連れてきた童男童女三千人及び百工を連れてきたところと、

スサノオが五十猛命、大屋津姫命、枛津姫命を連れているところ。

最後に徐福もスサノオも紀伊国で亡くなった伝説がある処。

 

①~④のようにスサノオのモデルと思われる男王は何人も存在する。

彼らは何れもスサノオ伝説として古代倭人の記憶に残り、

『記・紀』編纂時には須佐之男命神話となっていたのだろう。

 

 

 

 

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