独立して4年目突入。

突然の独立宣言。

今から10年前に練馬区から引っ越して来た。
東東京から西東京だ。地理も解らず知り合いもいない過酷な状況で新たに1から生活基盤を作りあげた。それも離婚して。

再婚が今の街になった。
先ずは無職から。何も無いから何でも出来る。

とりあえず就職でもしてみょうと求人情報片手に面接に歩いた。

1件の求人募集に直接面接に行ったら即採用。1人採用が決まっていたけど急遽募集人員を増やして雇ってくれた。

給与は30万は欲しいと言う我が儘も通った。

通信の会社だ。研修受けた後の初日から調子よく営業した。いきなり契約が取れ出した。好調なすべり出しだ。そしたらそこの営業責任者が毎日遅刻して来る。一緒に入った営業と2人で文句言った。

そしたら即日解雇。まじで意味解らない。変な会社?たまたま一緒に入った方が弁護士の息子さん。弁護士入れて解雇された会社を訴訟。給与2ヶ月分振り込んで貰い示談。

さて何しようか?
不動産か車屋さんでもやるか!!てな事でちょっと興味あった車屋さんに勤めた。

そしたら売れるは売れる。こんなに簡単に?
ついでに車検や整備、板金なんかも手を出した。
あと交通事故処理。損害保険もやった。そしたらやたら詳しくなってしまい見る見る間にお客様が増えた。給与も歩合ついて40万。

特に事故の相談が多い。だから法律勉強した。今では下手な弁護士より詳しいし対応も出来る。

で賠償責任や火災や運送などいろんな種目も詳しくなっていった。

気がついたら開拓したお客様が400人以上になっていた。そこの社長も会社譲るとまで言ってくれたが、亡くなってしまった。社長の身内が出て来ていずらくなって、ついに会社を追い出されてしまった。

捨てる神あれば拾う神ありで保険会社がほっとかない。直ぐに声かかり独立の話しが持ち上がった。けど資金無しでは独立は出来ない。

多角事業してる社長が右腕探してるからどうか?と声がかかった。

とりあえず行く事にした。いきなり役職ついてマネージャーに昇進。部下も付けてくれた。給与も50万。支店展開したいと言われた。

さてさてと思うと会社の人達は受け入れてくれず最悪な状況に。

朝早くから夜中まで働いた。朝は早く事務所掃除に窓拭き。昼間は仕事して帰りはまず1人1人と面談しての話し合い。

夜11時に終わり社長の自宅に尋ねて行き話し合い。夜中2時に終わり朝は1番に会社に行き掃除。休みは支店の出店調査にマーケティングに家賃交渉と飛び回った。

かなりハードだ。まして営業成績は人の3倍あげた。従業員も少しずつ心が変わって来た。

いざ出店に、こぎつけ第1店舗が出来る矢先に社長と喧嘩になった。店を出す直前に家賃交渉とマーケティングと人材確保に手間がかかり今月の成績がいつもの2倍くらいしか出来なくて全体数字が目標に行かなかった。でも前年比で250%アップで推移してたから大丈夫と安心していたら、かなりきつく言われた。

まぁ言われたらやればいいのだからと思っていたら出店は辞めると言い出した。これは引けない。

かなり揉めた。全員の手前。しっかり約束していたのだ。でも出店は取りやめになった。

不信感をまた買い従業員は次々と辞めてしまった。原因は資金が工面出来なかったらしいと噂で聞いたから問い詰めたら解雇に。

サラリーマンはやり過ぎたら駄目なんだと勉強になった。

でも周りは見てる。1度 言い出した事は最後までやる。資料を片手に知り合った会社を回った。

そしたら自分でやればと言われた。

今の会社はこうして出来た。金融公庫と銀行に借り入れして株式会社にして事務所を借りて現在営業3人に事務1人。

後2年後にまたShopを出す。平成25年の2月5日にオープンさせる。

順調に行き今では、お客様は2000人はいる。

10年前に来た時は何もなかったけど今は色々抱えてる。

昨年の病気が無ければ順調に行っていたが、病気で赤字を何ヶ月か出してしまい今は無茶苦茶苦しい。

半年後はまた順調になると思うが、今から半年は油断したら会社は無くなると厳しい現状。

絶対に成功させる。と思っていたのに、、、、、
地震?

東北大地震。また試練かよ。絶対成功させなきゃ。ちなみに会社資本金は財布に2000円しかなく嫁も呆れていた。

今は嫁は立派な営業をこなしてる。ありがたい。

10年で50店舗。売上50億を密かに夢見て走り回る日々を過ごしているがこの先どうなる?


国際空手道連盟極真会館の黒帯になりました。

黒帯になる為には10人組み手をしなければなりません。既に1級でも10人組み手は経験済みです。4級と3級では5人組み手をしています。

最後の10人組み手は非常に恵まれて何ひとつ問題無く怪我も無く綺麗に決まりました。

二段や三段や四段の方とも組み手しましたが、問題無し。

さすが黒帯は格好いい。

支部の飲み会に出た時にガチライバルの方が極真は顔面無いから弱いと言い出し後輩に絡んでいました。この方に注意出来るのは師範と俺だけ。

止めたらじゃ顔面ありでパンチ止められるかと言われていきなり右ストレートでパンチ。とっさに前蹴りを出してしまい相手は吹っ飛びました。もう少しでブロックに頭打つ手前で相手は助かりました。良かった。周りはびっくり仰天。

しかしこれが後から致命傷になってしまいました。貰ったパンチ。相手も相当鍛えてるからパンチが重い。頚椎がズレて頚椎ヘルニアが発症してしまいました。

左手が腫れてしまい、医者に行ってもどうにもならず動けなくなってしまったのです。

空手は休み。先ずは怪我を治す事に。がしかし直らない。常に左手が痺れてしまい仕事にまで支障がでてしまいました。

あれから4年。今でも痛いが何とか痛さが和らぎました。

その間に病気があり。と空手から遠くなり今では復帰を願っています。

予定は今年5月にと思ってますがどうなるのか?

空手は今では大事な思い出に変わってしまいましたが、必ず再開します。

今道場に行ったら通用しないかもと不安です。また知らない人が一杯入ってると聞いています。

早く戻れますように。

次は二段を目指します。
組み手は30人組み手だそうです。その前に基本などついていけるか問題だったりしてね。

私にとって空手はとても重要で大事な存在です。

きっかけは、自宅ポストに空手練習生募集のチラシが入っていたから今の師範の携帯に連絡しました。

凄い気楽な気持ちで電話したのを覚えています。

見学希望して道場に行ったら、いきなり稽古に参加するはめに。

久々に汗流しながら息が切れていた。稽古は終了。なかなかきつい稽古内容だった。師範が来て申し込み用紙を渡されて、どうですか?と尋ねられて、日頃運動不足だから気持ち良かったです。と答えたら、入門でよろしいですか?とその場でサインした。サインさせられた?のかなぁ?

次回の稽古。道衣の注門とすねサポータと保険加入しました。皆さん強そうな人が揃っていて、直接打撃の組み手見てびっくり。目が点に。かなり不安になりました。

空手は極真空手でした。

よく知らないけど極真なんだ。名前は聞いた事あるし。まぁいいか、てな感じで嫌ならいつでも辞めればいいと安易に考えていました。

道衣と白帯とサポータが届いたので、早速着たら大きい。恐らく師範はサイズを間違えたんだろうとがっかりしたのを覚えています。

師範にクレーム!!
大き過ぎて着れません。

師範は空手衣は縮むから大きくていいんだよ。と言われた。何か腑に落ちない気が。

空手衣着て風呂入って縮ませたのを今でも覚えてます。鏡見ながら空手衣見て妄想に慕っていたけ。なかなかいじゃん。なんて。

大会があるから出てみない?と師範に言われて直ぐに了解しました。今考えれば無謀。また本当に出た俺も馬鹿。結構大きな大会だった。

体重が70kg以上は重量級になると聞いて減量したのを覚えてます。ギリギリ70kgだった。体重計った後、お腹空いていたから、おにぎり食べまくったっけ。

試合は直ぐに負けましたが、これが良かったのかやる気満々に変わりました。負けず嫌いにスイッチが入ったようです。

試合終了後稽古に力が入りました。組み手は特に積極的にやりました。

お蔭様で肋骨にヒビが入ったり折れたりと指の骨が曲がったり足の指にヒビが入ったりと毎回怪我して帰る日々が続きました。あざや血がでるのは当たり前。道衣に血がついているのを見て喜んでる状況でした。家族は冷たい目で怪我しないでと言ってました。

昇級審査もストレートで受けて次々と昇級して行き、道場の組み手では、足らず出稽古にも参加しました。

お蔭様で組み手が得意になり、上の帯の人とも互角に戦えるようになりました。気がついたら飛び級までしていて茶帯1級になっていました。

そのうちに、我が道場で師範以外で初めての黒帯を締めた人が出ました。1号だ。その方は、今ではもうガチのライバルで組み手では本気で殴り合いしてた方です。周りは呆れるくらいで師範はいつも苦笑してました。

道場で何人怪我させた事か。手加減出来なくて師範によく叱られました。

組み手見ると新人が入らないから全員がいなくなってからガチ組み手を稽古しました。

よし次は俺が黒帯にと燃えました。師範に頼み昇段試験を受けるのを無理に頼んだのを覚えています。思えば入門した時は先輩だらけで恐ろしいと思いましたが、道場で3番目の黒帯に。師範除けば2番手に。今では準指導員です。

順調に進み道場に行くと以前の先輩が挨拶しに来るし教えて下さいと言いに来る状況に。

自分より大きい相手も一発で倒せるしと調子に乗っていました。