秋葉原の事件、戦慄が走りましたね・・・。
その後の、報道を見聞きするにつけ、子供の頃からの、親の関わり方というのは、本当に、大事なんだな、と、またしても痛感しています。

かく言う私も、一児の母。

どうしても、我が子には、もっと頑張って、もっと~~して、と、望んでしまう、親の心も、よく分かります。

勉強にしても、ピアノにしても、スポーツにしても、ある程度、親が関わった方が、良い結果が出るのは当然だと思います。

勉強だって、子供の勉強に無関心な親と、毎日チェックする親と比較すると、やはり、毎日関わる親の家庭のほうが、子供の成績が良いそうです。(ベネッセの記事より)

スポーツも、例えば、子供が野球をやっているとして、毎日庭で、キャッチボールしたり、素振りしたり、ネット張ってバッティング練習とかしてる家の子は、やはり、何もしてない子より、レギュラーになれる確率は高いことでしょう。(もちろん、もともとの運動神経にもよりますが)

ピアノも然り。
家での練習に無関心な親と、毎日、横について練習を聴いている親と、だと、やはり、毎日関わる家庭のお子さんのほうが、伸びるのは、圧倒的に早いです。
特に、小学校低学年までは、顕著に出ます。

ただし、何にしても、節度が大事なんですよね。

事件を起こした被告の言葉通りだったとすると、作文まで親が書いていたとか・・・?!絵も親が、と報道されていましたね。

ピアノは、親が代わりに弾くわけにはいかないから、それはあり得ないとして、でも、小さい子の場合、よくコンクールなどで、目にするのは、先生のコピー状態で弾いている子供達。
何週間も、学校休んでまで練習して、ビデオを見て、家でも、先生のとおりに弾けるよう、徹底的に覚え込ませる。
自分の意志というより、言葉は悪いけど、まったくの猿まね状態。
小学校低学年までは、それが出来ちゃうんですよね。
それで、入賞したとして、その後は・・・。10年後は・・・?

レッスンも、子供より、親が必死だったり。
でもね、挙げ句、ピアノは好きじゃない、なんて言われたら、哀しすぎます。
10年後に、あのとき、無理矢理やらされたから、大きくなって自分の力じゃうまく弾けなくて、挫折して、一番になれないから、もう嫌だ、とか・・・。

ただ、考え方の一つとして、たとえ、ピアノはやめてしまっても、その時入賞した、というその事実が、その子にとっての、大きな財産であり、人生の糧になるんだという考え方もあるし、事実それで成功している人もいるようです。
(私としては、ピアノを嫌いになってしまうことのほうが哀しいですが・・・)

いえ、親が関わることが悪いと言いたいのではないのです。
適度に、そして、適切に、が、大事だと思うのです。

実際、私自身、子供の頃、親には、かなり厳しく練習させられました。と言っても、小学校低学年まで。
その後は、親が、お手上げ状態だったので、それを良いことに、サボり放題(苦笑)でしたが。
でも、その低学年までの間に、出来るようになっていた「貯金」(あの被告も、その言葉を使っていましたが)のおかげで、その後も練習しなくても、何とかなっていったのは確かで、無理矢理にでも、させられたからこそ、今の私があるのかもしれません。
もっとも、何があっても、ピアノは、大好きだったし、練習は嫌でも、ピアノは絶対にやめたくない!と、言い張っていたのは私ですが。

でも、私の場合は、何を置いても、将来はピアノの先生と、決めていたから、それで何とかなってきたし、その後も万事うまくいったから良かったけれど、皆が皆そうだとは限りません。

やはり、一番大事なのは、自分自身なんですよね。
ピアノに限らず、どうして練習するのか、どうして勉強するのか、どうしたいのか、どう弾きたいのか、どうなりたいのか。

そして、どうしたいのかを、引き出してあげて、それを、サポートしていくのが、親なのかな。
放って置いても、どうしたいのか、なんて、子供は、多分考えないし、そのためには、どうしたらいいのか、なんてもっと考えない。

やみくもに、頑張れと、頑張らせるのではなく、どうして頑張るのか、どうして努力するのか、その結果、何が得られるのか、たとえ、良い結果が出なくても、努力したことへの、心からの賞賛と、次へのステップアップの希望を持たせること、そういう関わり方ができたら・・・と、私は思います。

なんて、またまた偉そうなことを書いていますが、これまた、対我が子となると、こんなに冷静になっていられないんですよね・・・(苦笑)
こうやって書くことで、自分自身に、言い聞かせてるような気がします。

あくまでも、私個人の、私的な見解なので、同感されない方もいらっしゃるとは思いますが、こういう考え方もあると、読み飛ばして下さいませ。