失明して末期ガン 父親と家族の日々

失明して末期ガン 父親と家族の日々

くも膜下出血の手術後、父親は失明して光を失いました。その後、入院中に肺がんが発覚。ステージ4でした。父親との日々を忘れないために、ブログに記録を残したい。

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週末に実家に帰りました。
父親が入院してしまったため、病院に行きました。

ほんの2週間前まで、自力で歩きトイレにも行けてましたが、
突然、歩くことも起き上がることもできなくなっていました。

「ちくしょう」と父親が漏らします。

なんでも自分で出来ていたのに、
出来なくなってしまったことに、相当イライラしてる様子でした。
ガンは止まることなく父親を苦しめます。

11月22日に妹の結婚式があるので
本人はそれに出席するために必死で生きています。

「結婚式まであと何日?」と聞いてくる父親。

なんとかそれまでは生きていて欲しい。
結婚式が終われば、次は家族みんなでクリスマス。
クリスマスが終われば、大晦日。大晦日が終わればお正月。

ひとつひとつ
家族みんなでイベントを迎えたいです。
自宅でのんびり過ごしていた父親ですが、
ガンはのんびりといてくれません。


僕はいま、実家に住んでいないので一昨日、父親に電話をしました。


僕「どう調子は?」

父「絶好調だよ」

僕「今週末、実家に帰るからよろしく~」

父「わかったよー」


こんな他愛もない電話をした翌日に、父親は入院となりました。
ひょっとしたら、心配かけさせまいと無理をしていたのかもしれません。

母親に状況をきくと
ひとりで歩けない状況で、ご飯も食べられないそうです。

すごく心配だ。。
はじめまして。マココと申します。
父親と生きた記録を残したく、ブログをはじめました。

現在、父親は肺がんのステージ4です。
抗がん剤治療をしていましたが、本人の意思で抗がん剤はやめました。
抗がん剤では、がんを小さくすること、進行をとめることもできなかったからです。

副作用による発熱や気だるさも
父親の「生きる」生活におては負担になっていたようです。


父親は、2014年にくも膜下出血のため手術しました。
早期発見できたので、医者から「破裂してたら大変でした。運がいいですよ」と言われ
術後2週間ほどで退院できるという話だったので、僕たち家族も安心していました。

ところが…
予想外の出来事が起きてしまいました。

くも膜下出血の手術は無事終えたのですが
医師から「両眼を失明した可能性がある」と宣告されたのです。

なぜこんなことが起きたのか
病院側は「わからない。こんなことは初めて」の言葉だけ。
かなりショックを受けました。

一番、ショックを受けていたのは父親です。
手術前は「光」を感じていたのに、手術後は「闇」に変わっていたのだから。

その後、1年ほど入院していました。
なぜここまで長引いたのかというと、自営業だったため、
仕事の体制を整えたり、今後の生活をどうするか考えたりしていたからです。

半年間、視覚障害者の訓練施設で点字や白杖の使い方を学び、
少しずつ社会復帰させていこうという話で、まとまっていた時にまた予想外のことが起きます。


父親に進行性の肺がんが見つかったのです。
ステージ4で、すでにすい臓に転移し、手術しても治らないと言われました。

なぜずっと入院していたのに、肺がんに気付けなかったのか…
僕たち家族は、病院に対して怒りがこみあげてきました。

こんなこと「ありえない」。

父親はようやく目が見えなくなったのを受け入れ、
今後の生活を頑張ろうとしていたとき、告げられた「末期がん」。

父親のことを思うと、胸が張り裂けそうで、
どちらかひとつの病気でいいじゃないかと思いました。

父親との一緒にいられるのは、もう長くありません。
だから、父親と生きた証をどこかに残したいと思いました。

自分だけにしか見られない日記にしようとも思いましたが、
少しでもガンのこと、全盲のことをわかって欲しかったので、ブログにしました。

よろしくお願いします。