その知らせは突然だった。
iPhoneにまだ不慣れでメールや電話の着信にすぐに気付けずにいた8月20日の夜。
家事も一段落しiPhoneを手にすると着信履歴がたくさん示されていた。
(父、母、父、、、母、、、)
もうそれだけで嫌な予感がよぎった。
でも、心理に抗う様に行動が走った。
条件反射?
いや、その行動に抗う心理があった、そんな感じだった。
気付いた時にはリダイヤルをしていた。
母はこう告げた。
「叔父さんが死んじゃったの」
「・・・」
・・・
(なんで?・・・)
瞬間的に頭がしびれていく、その遠くで母が何か言ってた。
「これからすぐに熊谷向かうから・・・」
「・・・」
唖然としている。
呆然としている。
その数分後に父からの電話。
信じられない、信じたくないと、心の置き所を探している矢先。
「叔父さんはプールで倒れてそのまま蘇生できなかったようだ」
「家空けるからばあちゃん頼むな」
・・・
頭を整理するにはちょうど良かった。
すべき事を与えられたことでなんだか落ち着いた。
悲しい出来事を受け入れられないのは事実。
でも、頭の中はそれだけじゃなかった。
叔父さんは母の最愛の弟。
どんなに辛いだろう。どんなに悲しいだろう。どんなに悔しいだろう。
母は血を分けた唯一の家族を亡くしたのだ。
病気という病気をすることもなく元気に、そこに存在していた人が突然いなくなってしまったんだ。
言葉なんか浮かばない。
どんな考えも及ばない。
無念てこういうことだろうか。
残された家族を想うと、ただただ辛いだけだった。
通夜は23日
告別式は24日
そう聞いた。
それまでの2日間は頭がしびれたままだった。
23日は兄と上野で待ち合わせて熊谷に向かった。
道中は沈黙の連続だった。
どうしようもなく集中力がない感じだった。
受け入れがたい事実から逃れたい。
いっそ目的地にたどり着けなくとも良い。
そんな無気力な状態で電車に乗っていた。
熊谷に到着しタクシーで葬祭場へ向かう。
記録的な暑さを誇る熊谷もこの日は肌寒く雨を降らせていた。
正装を終え叔父さんの祭壇に線香をあげに。
いつもとまるで変わらない姿がそこにあった。
まるで眠ってるようだって誰かが言ってた。
本当にそんな感じだった。
でも
現実なんだと、思い知らされた。
成人してから、あまりエピソードはない。
だけど、オレにはお世話になった大切な叔父さんだった。
小さな頃は良く遊んでもらった。
口に人差し指を入れて頬を弾いて「ポン」と音を鳴らせて喜ばせてくれたのを覚えてる。
それで付いた呼び名が「アポン叔父ちゃん」
あと、近い記憶で思い出すのが「男がめそめそするな」って肩をがっしりと掴まれたこと。
母の実母、オレのおばあさんが亡くなった時の話だ。
もちろん叔父さんにとってもお母さんだし悲しいはずなのに。
涙を押し殺し「姉ちゃん頼むな」って言ってたのを覚えてます。
葬儀中はずっとそんなことを思い出してました。
涙を流さぬように。
でも、思い出していたら逆に堪えられなくなり、少し泣きました。
2日間は体も頭もしびれっぱなしだった。
葬儀もたんたんと進み早く過ぎていってしまった。
「止まない雨はない」なんて誰の名言だったっけ。
その2日間の雨はずっと止まなかったよ。
いつも思う。
人の死をどうにも考えを凝らしても答えなんか見つからない。
しびれた頭で考え過ぎて疲れて、いずれ考えるのを止めてしまうんだ。
博学な叔父さんなら分かるかな?
もう、そんな話も出来ないんだ。
分かってるけどやっぱり辛い。
それでも
これからも、どうにかこうにか生きて行くんだろうね。
mkъ
iPhoneにまだ不慣れでメールや電話の着信にすぐに気付けずにいた8月20日の夜。
家事も一段落しiPhoneを手にすると着信履歴がたくさん示されていた。
(父、母、父、、、母、、、)
もうそれだけで嫌な予感がよぎった。
でも、心理に抗う様に行動が走った。
条件反射?
いや、その行動に抗う心理があった、そんな感じだった。
気付いた時にはリダイヤルをしていた。
母はこう告げた。
「叔父さんが死んじゃったの」
「・・・」
・・・
(なんで?・・・)
瞬間的に頭がしびれていく、その遠くで母が何か言ってた。
「これからすぐに熊谷向かうから・・・」
「・・・」
唖然としている。
呆然としている。
その数分後に父からの電話。
信じられない、信じたくないと、心の置き所を探している矢先。
「叔父さんはプールで倒れてそのまま蘇生できなかったようだ」
「家空けるからばあちゃん頼むな」
・・・
頭を整理するにはちょうど良かった。
すべき事を与えられたことでなんだか落ち着いた。
悲しい出来事を受け入れられないのは事実。
でも、頭の中はそれだけじゃなかった。
叔父さんは母の最愛の弟。
どんなに辛いだろう。どんなに悲しいだろう。どんなに悔しいだろう。
母は血を分けた唯一の家族を亡くしたのだ。
病気という病気をすることもなく元気に、そこに存在していた人が突然いなくなってしまったんだ。
言葉なんか浮かばない。
どんな考えも及ばない。
無念てこういうことだろうか。
残された家族を想うと、ただただ辛いだけだった。
通夜は23日
告別式は24日
そう聞いた。
それまでの2日間は頭がしびれたままだった。
23日は兄と上野で待ち合わせて熊谷に向かった。
道中は沈黙の連続だった。
どうしようもなく集中力がない感じだった。
受け入れがたい事実から逃れたい。
いっそ目的地にたどり着けなくとも良い。
そんな無気力な状態で電車に乗っていた。
熊谷に到着しタクシーで葬祭場へ向かう。
記録的な暑さを誇る熊谷もこの日は肌寒く雨を降らせていた。
正装を終え叔父さんの祭壇に線香をあげに。
いつもとまるで変わらない姿がそこにあった。
まるで眠ってるようだって誰かが言ってた。
本当にそんな感じだった。
でも
現実なんだと、思い知らされた。
成人してから、あまりエピソードはない。
だけど、オレにはお世話になった大切な叔父さんだった。
小さな頃は良く遊んでもらった。
口に人差し指を入れて頬を弾いて「ポン」と音を鳴らせて喜ばせてくれたのを覚えてる。
それで付いた呼び名が「アポン叔父ちゃん」
あと、近い記憶で思い出すのが「男がめそめそするな」って肩をがっしりと掴まれたこと。
母の実母、オレのおばあさんが亡くなった時の話だ。
もちろん叔父さんにとってもお母さんだし悲しいはずなのに。
涙を押し殺し「姉ちゃん頼むな」って言ってたのを覚えてます。
葬儀中はずっとそんなことを思い出してました。
涙を流さぬように。
でも、思い出していたら逆に堪えられなくなり、少し泣きました。
2日間は体も頭もしびれっぱなしだった。
葬儀もたんたんと進み早く過ぎていってしまった。
「止まない雨はない」なんて誰の名言だったっけ。
その2日間の雨はずっと止まなかったよ。
いつも思う。
人の死をどうにも考えを凝らしても答えなんか見つからない。
しびれた頭で考え過ぎて疲れて、いずれ考えるのを止めてしまうんだ。
博学な叔父さんなら分かるかな?
もう、そんな話も出来ないんだ。
分かってるけどやっぱり辛い。
それでも
これからも、どうにかこうにか生きて行くんだろうね。
mkъ