先日Eテレで「生きづらさに向き合って」という、札幌のある精神クリニックの
ドキュメントをやっていたので、なんとなく見てみた。

と言うのも、このクリニックは「当事者研究」で有名なとあるグループホームを
創設した方が理事をしているから。
なんで興味があるかというと「当事者研究」はリワークセンターで何回か耳にした
言葉だったから。
実際にセンターでも「自分で自分に病名をつけてみよう」というワークショップをしたらしい。
(私はその時まだコーディネイト期間だったので、参加できなかったけど)

「当事者研究」とは精神疾患を患った人が、自分はどんな人間か?
どんな時に症状が出るか?それが出ないようにするにはどうしたらいいのか?等
自分自身を客観的に眺めて、そして、自分で自分に病名をつけること。
自分で自分を研究する事で現状に向き合って、生きていきやすくするのが狙いだそうだ。
これを何回か繰り返していくと、例えばリストカットをしなくなったり
奇声を発したりがなくなっていったりして、そういう自分を自分が認めてあげられるように
なっていって、どんどん症状が治まっていくらしい。

見終わった感想は「やっぱりな」と「なるほどな」
「やっぱりな」は精神疾患を患ってしまうと、社会になかなか復帰できない
社会に受け入れてもらいにくくなる、そして、そんな自分が嫌になる。
自分で自分を嫌いだから、人も自分を好きじゃないだろうと思い込んで
周りの人と上手くやっていけない。つまりとても生きづらいということに対して。
具体的には、会社に勤めても病気の症状で迷惑を掛けてしまって
その場にいられなくなってしまうとか。
どれだけ当事者研究を頑張っても、症状が出てしまって自分で自分を消したくなるとか。
希死念慮のある私には良くわかる話だ。
そして、メンタルヘルスの重要性や人間関係からくるストレスによるうつ病が
ニュースでも取り上げられて、心療内科、精神科が混んでるような昨今でも
近所に作業所やグループホーム、診療所ができる事に対して、地元民から反対運動が
起きてしまうという現実。

そして「なるほどな」は、リワークセンターでやってた実践的なプログラム
グループミーティングやSST、そして、リワーク室での同期生との関係。
これらは、メンタルを病んだ人間が回復するに当たって、とても重要だったという事。
「私はここにいてもいいんだ」と思える場所を提供してくれた事が
復職への弾みになってるんだなと思った。

実際「当事者研究」をやってるところの映像を見たけど、
やってる事はリワークセンターでやった「グループミーティング」と「SST」
「認知的対処法」のミックスだなと感じた。
もっというなら「大人数でやるカウンセリング」って感じ。
臨床心理士が相手ではなく、同じ病気を持った人同士でのカウンセリング。
だから、同じようなことで悩んで考えた経験があったりするので
意見交換が活発にできるし、参考になるアドバイスが出てくるらしい。
流れは自分の問題を提議して、それに対してどう対処したらいいか意見を募る。
自分にできそうなことを選んで、今後実践して行く・・・そんな感じだった。

そして、結局のところ
・自分がいてもいいと思える場所=自分の居場所がある
・自分の意見を聞いてもらえる
・他人が自分の事を大事にしてくれる
・自分の事を他人に知らせてもいいと思う=自己開示ができる=信頼関係ができている
・自分が他人を大事したくなる
この5つ(昨日気付いただけだから、もっと他にもあると思うけど。)ができないと
人は精神のバランスを崩しやすくなる。そして、反対に、この5つが整った環境であれば
たとえ精神を病んだとしても、症状を軽くしていく事ができる、もっと言えば寛解に
持っていけるまで回復することができるんだとろうなと思う。

実際、私もりワークセンターやカウンセリングで自己開示ができたことや
カウンセラーさんやリワークセンターの友達が、私を大切に思ってくれていることを
実感して「自分を大切にしよう、自分なんかいなくていいんだなんて思ったらダメだ」と
思えるようになったから。

ただ、この手のグループホームだったり、サークルだったりする所は
「自分らしく生きていく」っていうお題目があるんだけど、
それを聞くたびに「自分らしくって何?」といつも思う。
そして、自分らしく生きてる自分を誉めてあげるというんだけど、
「自分らしく」の提議がわからない。
それゆえの「自分を眺めて、どんな人間かを把握する」=「当事者研究」なのかな。

自分で自分の病名をつける。
考えてみたら面白いかもしれない。
カウンセラーさんに伝えたら、なんて言うだろう?(笑)