ミスチルの「HANABI」 | 週刊まきうさぎ・ブログ版

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日常生活の中で、見たり感じたりしたことが独自の視線でおもしろおかしく書かれています。

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昨年の夏のドラマ「コードブルー 」は山下智久(通称やまぴー)大好きなミーハーな私としては絶対に見たいドラマだったので見ていました。 でもエンディングの歌を聴いてすぐにミスチルだとわかって「なんていい歌なんだ!」と感動しました。最近やるべきこと、やりたいことが多すぎてお疲れ気味な私は、優先順位をつけて物事をやっているつもりではいますが、気持ちが先走ってしまって迷ったりすることもあります。


週刊まきうさぎ・ブログ版-ミスチルの「HANABI」_2 たいがいの事は、その場その場で「楽しく生きていけばいいや」と、自然に任せているのですが、一度こうと決めたことは必ずやり遂げるのが小さい頃からの私の信条なので、それが自分を追い込んでしまうこともあります。

投げ出してしまえば楽なのかもしれないけれど、自分自身に負けたくない、しなかったことを後悔したくないと思うと、投げ出すことはできません。「真面目に頑張りすぎだよ」と彼氏に言われるのですが、人間人生の中で何度か頑張らないといけない時もあるのです。

私は人から見ると、たいていのことは大して頑張らなくてもサラッと手にしているように見えるようです。実際にたぶんそういう部分は多いと思いますが、時々頑張りすぎたり抱え込んだりしてしまってうこともあります。そうして彼氏に甘えたくてつい自分の悩みをぶつけても、彼氏も戸惑って上手に受け止めてくれないこともあり、些細な言葉のやりとりで喧嘩したりもします。ただ黙って「よしよし、大丈夫だよ」と言って頭を撫でて欲しい子どものような気持ちなのに、「誰もやれとは言ってないやん」「しんどかったらやめたらいいやん」と返されると、実際にそれが真実であるだけに、私自身反論もできずに余計イライラしてしまいます。

子どもが転んだり躓いたら「よしよし痛かったね、大丈夫だよ」と抱きしめてもらえるのに、大人になるとそれはどんな時も許されず、総てを自分で抱え込むしかないのでしょうか?誰かに甘えたい時もあるのに…。私は甘えちゃいけないのか?

悶々としている時にこの歌を聴くと涙が溢れそうになりました。


週刊まきうさぎ・ブログ版-ミスチルの「HANABI」_3 歌詞の中にこんな部分があります。

「誰も皆、悲しみを抱いてる
だけど素敵な明日を願っている
臆病風に吹かれて、波風がたった世界を、
どれだけ愛することができるだろう?」
「考えすぎで言葉に詰まる
自分の不器用さが嫌い
でも妙に器用に立ち振舞う自分は
それ以上に嫌い」

結局人間は「自分に恥じない生き方」がどれだけできるのでしょうか?簡単そうで難しい問いかけです。やりたくてできないことの言い訳を山のように探して生きていく人が多いように思います。環境のせい、忙しさのせい、年齢のせい…。そうやって理論武装して結局自分自身をも騙しながら生きていくのは簡単かもしれませんが、一度きりの人生なのにもったいないと思います。

なんだか偉そうなことを書いてしまいましたが、行き詰った時に私は、これからもこの歌を聴いてしばらく癒されて頑張ることにします。頑張りすぎない程度に…。

そうそう、でもこうした喧嘩の後、必ず彼氏は「まきちゃんは十分頑張ってるのにこんな言い方しかできなくてごめんね」とヨシヨシしてくれます。これが今の私には一番の特効薬であることはいうまでもありません。