ワシのばあちゃん。名前は、マキノ(本名)ちいうだらあ。
もおずいぶん前にチンだにょで、ココでは本名で登場~。

去年、墓マイリに行ったのは、コノばあちゃんの墓ぢゃあ。
ま、墓の中にはぢいちゃん(ら)もおりゅち言えば一緒におりゅケロな。

このばあちゃんは、ワシの母ちゃんメリコの母でありゅ。
ちなみに、ぢいちゃんはワシが生まれた翌年にチンでちもて、
マキノばあちゃんは、わずか54歳で未亡人となってちもただらあ。

その頃には、7人のコロモ(ホントは8人ぢゃケロ、1人は養女に。)の子育ては
すでに終わっておったでテンテコマイにはならんかったそうぢゃ。
もおすっかり大人になったコロモは、嫁をモロタリ嫁にモラワレタリ。

んーで、7人のコロモがコロモを産み、孫は総勢17人になったがや。

こんにゃにも、孫がおりゅさけえどの孫にも、腸キビチイマキノばあちゃんぢゃった。

泣いてばけっけちおりゅと、仏壇の横にありゅ押入れに入れられるだらあ。
声を殺して泣かにゃあイカンかったワシらぢゃあ。

烈火ちゃんは、このマキノばあちゃんのコトを
"マキ雄ばあちゃん"ちニッキュネイムを付けてコッソリ呼んでおったがや。

そりは、やっぺち言うまでもねぐ、ぎょっつオトコラチイばあちゃんぢゃったから。



先日ガッコーで、
生まれてからの記憶を元に『自叙伝』を書きなちゃい。ちう課題があったれ。
そちて、そりを『アスキーアート』にせえ。ぢゃと。
むぢかちいこと言うノウ。 アスキーアートて・・・。

制作のポインチョ聞いたら・・・、
記憶の起(点)から現在までのセルフスチョーリー書いたらええ。ち言われて
必死のパッチで書いたがや。あのトイデ通いの蝶宴明けに。
アスキーアートも頭を抱えなぎゃら・・・。

ほちて、ワシはこのスチョーリーに、マキノばあちゃんに出演ちてもろただらあ。
出け上がったやつは締め切りがあったさけえ、烈火に見せんと大急ぎで提出ちた。

んーで、先日、無事採点され単位ももらえて帰ってきたで
「チミにもワシのセルフスチョーリー見ててやりょ毛?」ち言うタラ、


「ワシは、疲れてりゅのにこげなもん読みたない。」ち毒づかれながら、シブシブ読みだした烈火やった。

「そこまでちて読んでイランど。」ち言うたが読み始めると最後まで読む毛になったらちい。
んーで、読み終わった頃、烈火を見りゅと、なんや目ぇが、すこちウルっとるがな。
年をとると涙もろくなりゅのう。


ワシはどうやら、根が暗いかもちれんだら。



コミデ エチネンテー めちっと
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■は く さ い
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幼いコロ、冬の時期になると大きなダンボールがわが家にトドイタ。

荷物の送り主は、北陸に住む田舎の祖母である。
毎年、冬になると離れた田舎から大阪の実家に白菜が届くのだ。
スーパーなどには並ばないような、大きくみずみずしい重たい白菜が・・・。

祖母は農業を営んでいた。畑では野菜も作っていた。
とにかく、自分の年齢も考えず、一年中忙しく働くバアサンである。
老いても自転車に乗り、自宅から田んぼや畑へ向かいひとしお汗を流して働いていた。
祖母は農業を生きがいにしてずっと生きてきたのだ。
田んぼのお米はもちろん、畑ではきゅうり、なす、いんげん、とまと、じゃがいも、
ピーマン、とうもろこし、にんじん、だいこん、白菜と数えるとキリがないほど多くの野菜が祖母に収穫されていた。
どれもこれもカタチは悪いが私はもぎたてを味わったことも、漬物になったものを食べたこともある。
その味は、今もしかっり覚えている。

しかし、白菜だけは違った。
味も絶品でありながら本当に美しい形をしていた。

畑で収穫された白菜はダンボールに積められ我が家に送ってくる。
それは、立派な葉が重なり合った白菜だった。
幼い私の眼に映ったものは、まるで赤ん坊がやわらかなタオルに包まれているような感じに見えた。

とてもみずみずしく、炊くと甘くておいしい白菜なのだ。
母は、決まってそれをお鍋の材料にしていた。
祖母の白菜は、いくら食べても切り足され大きかった白菜は半分になり、そして4分の1と小さくなる。
こうして、幾日かかけてようやくダンボールの中の白菜がなくなるのだが、また別のダンボールがわが家に届く。


何年かたって、私は思春期に入りすこしばかり家族との間に距離ができた。
食事も別々に済ませることもしばしばあった。
それでも冬は祖母から送られてくる白菜が届き、食べ切れず残ったまま台所に置かれていた。
ある時、ダンボールの送料が目についた。送料は、1300円とある。
近くのスーパーで白菜がいくつか買える金額なのに、祖母はわが家に送り続けた。
「おいしい。」と言って喜んでいる私たちの言葉が、うれしいと言っていた。
孫に媚びたりなどしない祖母は頑固ものだが、家族が喜ぶことが一番幸せだと言っていた。
甘くみずみずしい祖母の白菜は、遠く離れた家族の心と体を暖めてくれた。


社会に出て、仕事をするようになり再び家族と食事を共にするようになった。
もちろん、祖母からは白菜が届く。
このコロ、白菜を切る係りは私になっていた。
幼少の時に大きいと感じた白菜は、一人前になった私でさえもやはり大きかった。
しかし、かわらないのは大きさだけではなく、味も甘くてみずみずしく変わらないままだった。


7年前の春、祖母が亡くなった。
そろそろ田植えの季節が始まろうとする時期だった。
この祖母が、田んぼに入る姿をもう見ることができない。

私は結婚し実家を離れ、以前とは違った生活を送っている。
縁があって祖母が居た北陸が居住地になった。
生活はあわただしく、そして時には緩やかに時間が流れる。


田植えの光景と耕運機がつけた道路のドロを見ながら春を迎える。
夏には太陽を浴びた野菜を収穫するご婦人が汗をぬぐっている前を通りすぎ、
秋になれば稲刈り機を手際よく操縦しながら黄金色の稲を収穫しているおじいさんの生き生きした顔を見つけることが出来る。
冬が訪れると、はす向かいの玄関先に吊るされた大根が少しずつ乾燥していく様子。
この冬が訪れると必ず祖母の大きな白菜を想い出す。
家族を暖めた甘くてみずみずしい祖母の白菜。
見ることのない祖母の大きな白菜。

幼きコロからずっと味わったあの味覚は、記憶の中だけになってしまった。

(word 1484)




ああ。はきゅさい。
あちた、はきゅさい食べよ。


きょお食べたもの

■サラダスパベッチ


■ラーミン


■キャベチとベーキョンのスープ
■オムリャーアス
■エビと部六個李ーの痛めモン