まきすむの日々GO生活

まきすむの日々GO生活

面白かったり大変だったり。

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グリちゃんは、姉の友人が子猫のきょうだいを保護し、次々ともらい手がつく中の最後の一匹だった。

うちの子にするつもりはなく、ただ見に行くだけ…と思っていたが、当然それだけで済むはずがなく…。

きょうだいの中でも一際小さなグリちゃんはたちまちわたしたちを虜にし、出会ってすぐに「家族にしたい…」と思った。

 

その翌日の2006年の5月28日。グリちゃんはうちの子になった。

 

「きょうだいの中で一番小さかった」ことが嘘のように、みるみる大きくなり、なんと一番太っていた時の記録は10キロ!

え…これって猫…?

と、困惑するほどの巨猫になってしまった。

 

体は大きいがとっても温厚で、真っ黒い塊の中で綺麗な緑色の目がキラキラしている、とっても可愛くて面白い男の子だった。

▲赤ちゃん時代。

 

▲あんなに小さかったのに…。

病気のはじまり

ここからは同じ病気の猫の為になれば。という思いを込めて、振り返ってみる。

 

扁平上皮癌と病名がついたのは2020年の12月9日。

歯を気にする仕草(歯に何か挟まったのを取りたがっているかのように、手で口を強くこする感じ)をするので、歯周病かと病院に連れて行き、治療のため一日入院。

その際に撮ったレントゲンで、左の下顎先端あたりの骨の影が他と比べて薄い。ということで検査に出してみたところ、癌であることが判明した。

 

進行が速いので早急に治療方針を決めねばならず、病気になってしまった現実にショックを受けたままどんどん何かしら決定していかないといけないのが、実は一番苦しかった。

 

治療方針は3つ

■外科

■放射線

■抗がん剤

 

妹と二人でものすごく悩んだが、グリちゃんに残された時間のQOLを第一に考えたいということから、抗がん剤治療に決めた。

加えて免疫療法を取り入れることにして、そこから3ヶ月は大体2週間に一度グリちゃんを車に乗せて2箇所の病院に通った。

 

そして、「患部が顎なので最終的に口から物を食べたり薬を飲むことが拷問に等しく、最終的には餓死してしまう」という事から、まだ元気なうちに胃ろうチューブを入れる事になった。

これについても、元気なグリちゃんをその為に入院させるのはどうだろうか…と相当悩んだが、弱ってしまってからでは手術自体に不安要素が増えるし、何より、ご飯はもちろん出された薬もちゃんと投与できるので、結果的には決断して良かったと思う。

▲検査や治療が始まり、あちこち毛刈りされる。

グリちゃん、服を着る

グリちゃんは退院後少しの間多分心を病んでいたと思う。
ずっと布団の中に隠れ、常に瞳孔が開いたようなギンギラの目をしていた。
それでもわたしたちが撫でたり声をかけたり、またはチューブからご飯を入れていたりすると「ゴロゴロゴロゴロ」と喉を鳴らして甘えていた。
 
一ヶ月くらいしてからようやく、家の外のお散歩を開始してみたり、多分一度だけだけど、大好きだった「洗濯カゴに飛び込んで運んでもらう遊び」を所望したり、布団の外で寝る姿も見るようになった。
妹に耳掃除をしてもらったり、ブラッシングや体を拭いてもらったりしている時はとても気持ちよさそうに目を閉じていた。
 
胃ろうチューブが付いたグリちゃんは、常にお洋服を着る事になったのだが、発注したものが少し大きいのか(採寸通りに作っていただいたのだが、実際着せてみると大きめだったタラー)脱げてしまうことと、着せ替え時のストレス軽減から、妹が問題点を改善した設計で何枚か自作した。最終的には全部で6着もお洋服を所持していた。
 
プレーンないわゆる裸の状態がもちろん一番なんだけど、お洋服を着ている姿もなかなかで、いつもおしゃれで可愛くて、布越しに触るお肉がとっても愛おしかった。
▲グリちゃんのお洋服全6着。右の2つがオーダーしたもので、左4つは妹作。背中でクロスさせることで手を通さなくていいような仕様に。

進行する病気

抗がん剤の副作用としては色素脱があったことと(黒かった鼻と肉球がピンク色になった)、最初の頃は少し抜け毛が多かったくらい。あとは腎臓に影響する場合があるので、3週間〜4週間に一度の経過観察が1年以上続いた。
 
初期段階で見つけてもらえたので早くから治療を開始できたことと、観察している限り免疫療法が合っていたようなので免疫力向上サプリを2種類(プライオとセンダンα)与えていたこともあったのか、しばらくはグリちゃんはとても元気だった。

時々てんかん発作のようなものがあったが、それもお薬で抑えることができていた。


10月頃から、血混じりのよだれ量が増え、左側の下の犬歯が外側を向き出した。素人目に見ても癌が進行していることが分かった。
扁平上皮癌には腫瘍が盛り上がっていくパターンとえぐれていくパターンがあるそうで、グリちゃんは後者。
じわじわと、あの可愛かった顎はなくなっていった。
 
骨が溶けていく痛みなんて想像できないけど、きっとものすごく痛いはず。複数の痛み止めを投与していたけど、それでもまったく快適だった訳はない。どうにもできないのはとても辛い。
 
それでもなんとグリちゃんは2021年を乗り越え、病気になってから二度目のお正月を一緒に過ごしてくれた。
▲あまり動かないのも良くないので、よくこうやって連れ出してお散歩をさせた。

そしてお別れ

2022年3月28日月曜。
グリちゃんの呼吸音がおかしいということで、夜間救急外来へ連れていくと、誤嚥性肺炎になっているようなので入院することに。
この時はまだそんなにひどくないし、今すぐ命がどうということは考えなくてもいい。と言われて一安心。
 
翌日火曜に少しだけなら面会してもいいと言われ、昼過ぎに妹と二人で会いに行った。
グリちゃんは酸素室の中にいてこちらに背を向けていたが、そんなに状態は悪くなさそうだと教えてもらい、これまた安心していた。酸素室のドアをあまり長く開けていない方がいいのかな、と思ったので、5分くらいでバイバイして、病院を後にした。
 
そして4月1日金曜日。
15:30頃に妹からLINEが。
肺炎が悪化している。顎がなくなったことでよだれや血が肺に流れ込んでいるとなると、病院ではもう何もできることがない。と知らされたのだと。
だったらあと数日かもしれないけど、家に連れて帰って看取ろう。と決まり、酸素室のレンタルを探していた。
 
1時間後、急変したとの連絡が。
急いで出かける準備をして、今からそっちに迎えに行くから!と妹に連絡をすると、「悲しいお知らせが」との返事が。
そのまま家を出て、妹と二人で迎えに行った。
 
病院につくと、グリちゃんは綺麗にしてもらって、お花を抱いて白い箱に入っていた。
ほとんど無くなってしまった顎からはカスカスになった骨が見えていて、こんな状態でずっと頑張っていたんだと驚いた。痛かったよねぇ…。
わたしたちが別れを言うためだけにグリちゃんをこれ以上頑張らせたくなかったから「蘇生や延命はしなくて良い」としていたので、急変してからすぐに息を引き取ったから、苦しい時間はとても短かった。と教えてもらった。それは本当に良かったと思う。
 
車まで主治医の先生が運んでくれて、看護師さんたちが三人も見送りに来てくれた。人気者だったんだねぇ。
夕空がとっても綺麗だった。
 
翌日には家族みんなで火葬場へ行き、先に行ったお兄ちゃん猫ズの元へと送り出した。とても天気が良くて、4月とは思えない気温だった。

グリちゃんと過ごした日々

病気が発覚した当初から妹と話していた事がいくつかある。
 
・奇跡は信じない。現実的にベストな選択をしていく。
・グリちゃんに少しでも多くの時間、安らぎを感じてもらう。
・通院の為のこのドライブを、後々悲しい思い出にしない。
 
これはクリアしたと思う。
 
加えて、「グリちゃんは死んでしまうんだ」という前提で接したくなかったんだけど、それも出来たと思う。
最後の最後まで徹底的に可愛がったし、どんな状態になっても昔と変わらず、ただただ、可愛いね、可愛いね。って、笑っていた。
 
グリちゃんが好きだったのは、
外に出て歩くこと、ご飯を食べること、寝ること、カーペットの下にもぐること、カゴに入って家の中をツアーしてもらうこと、母に撫でてもらうこと
 
体が大きかった事も関係しているのかもしれないが、グリちゃんの不在はとてもとても寂しいし、なぜこんな可愛い子がそんな病気になってしまったのかとも思うし、もちろんその死もとても悲しい。
だけど、先に旅立った子たちと違ってなんとなくある種の「納得」がある。あとはグリちゃんも私たちも、ベストを尽くしたな。という達成感のようなものも。
もちろん心残りはいくつかあるけど、後悔は少なめかもなぁ。
 
闘病中、布団の中にいるグリちゃんを「どこかな〜?」って言いながら見つける遊びをよくやっていた。
「ここだ!」と言いながら布団の上から触ると「ゴロゴロゴロ」って聞こえてきて、多分グリちゃんも見つけてもらうのをワクワクした気持ちで待っていたんじゃないだろうか。
 
居なくなってしまっても、つい布団の膨らみを見ると触ってしまう。
 
ゴロゴロ聞こえてきたらいいのに。
びっくりするけど、それ以上に嬉しいなぁ。
▲洗濯カゴに入るグリちゃん。はみ出た毛が可愛い。
 
▲多分本当はそろそろ放して欲しいな。って思ってるんだろうけど、私が満足するまでじっとしててくれる優しい子だった。

最近めっきりと何か起こらないと一切更新しないこのブログだけど、「残しておきたい!」と思ったことはFacebookとかではなくちゃんとここに書こう!

ということで、今回はタイトルの通り、

胃がん検診で飲んだバリウムが排出されずに腸閉塞で入院したよ笑い泣き

というお話というか記録でーす。

 

その週の水曜日、ずっとほったらかしていた健康診断と一緒に胃がん&肺がん検診も受けることにして朝から病院へ。

9:30過ぎくらいにバリウム飲んで全部の予定が終わって12:00過ぎ。病院を後にして近所のスーパーでお昼ご飯とお水を買い、近くの公園のベンチでまずは出された下剤を2錠飲んだ。

いつもならその2錠で大いなる効果が得られるんだけど、今回に限ってはなかなか効果がないので追加の2錠も服用。

いつ来るかいつ来るかとドキドキして待つも、結局その日は不発に終わった…。

 

翌木曜の朝、普通にビッグ・ベン来訪の兆しを感じ、バリウム混じりのやつが少量確認。

「あーよかった。少しずつでも出てくれればまぁいいや。後処理が大変だけど。」

なんて呑気に構えてたら、それ以降なんというか、腸の動き自体あんまり感じないしガスも出ないしお腹は張るし。それでもまぁもう少し様子みるかー。と放置していた。

 

金曜も同じく。

出ないとどうなんの?って思って色々調べてみたところ、とりあえず病院に行ってもっと強い下剤を出してもらうのがいい。とか、市販の下剤ならこれがいい。とか、とにかく出せ!ということなんだな。と思っていた。

そしてその日は旦那さんも健康診断でバリウム飲んできたというので、こりゃしばらくうちのトイレ大変な事になるんじゃないかなー。なんて、ここまでは割と楽観的だった。

 

土曜。友人と出かける約束があったのでお腹が張っているもののとりあえず外出。出かける前に旦那さんにまだ状況が変わってない旨告げると、自分は2錠で事足りたから、あと2錠残ってるからそれを飲めば?と提案されたので、早めに帰宅して提案通り2錠追加。

兆しのようなものを時々感じるも、どうしても出ない!

散々迷った挙句、「そういえば検診受けた病院って夜間外来もあるな…」と、とりあえず電話で状況を伝えてみたが、事務の人が応対しているので話にならない。じゃあもう徒歩5分だし行ってとにかく終わらせよう!と最高にめんどくさーい。と思いながらも23:30過ぎくらいに病院へ。この時のお腹はもう妊娠してます?ってくらいの状態だった。

診察してもらったところ、最初は当直の内科医も「あー。そう」くらいの態度だったが、レントゲン見て急に「これは入院してもらなわいと…」と態度が変わるほどわたしのお腹の中はやばかったみたい。

人生初のCTも撮ってみたけど、バリウムの親分みたいなやつが大腸の出口付近でどっかりあぐらかいてるみたいなイメージに詰まってる!!!!!そして親分の周囲に出口を求める民衆が大挙して押し寄せ、腸はガスで膨張していた。

そしてそのまま入院することに…。

 

入院なんて幼稚園の頃の川崎病以来だよ。

 

翌日が日曜で内科だと回診がないので、その間に腸が穴でもあいたら手遅れになるから。ってことで外科に入院。

ベッドに案内してもらったのは3:00くらいで、そこから点滴追加したりあれやこれやの処置をしてもらった。

結局親分に強制退去してもらうために行ったのは「浣腸」なのだけど、これ最強だった。あっという間に親分を押しのけたのか親分と共になのかわかんないけど民衆が我先にと飛び出してきて、ようやくお腹の張りが解消され、4:00過ぎくらいにやっと眠ることができた。

 

翌朝再びレントゲン撮影。

深夜の技師さんと同じお兄さんだったのだけど、「だいぶ解消されましたね!昨日の状態は本当に苦しかったでしょう」と優しい言葉をかけてくれた。

出ないからって下剤飲む人が多いんだけど、わたしのように出口が詰まってる場合は逆効果になるから、やっぱり浣腸が一番確実なんだと教えてくれた。

 

検診受けたのと同じ病院だったことと、レアケースだったから同情的だったのかもしれないけど、関わってくれたお医者から看護師さんから全員すごい優しかった。

 

出るものが出たわたしはすっかり元気になり、元気な人をいつまでも入院させとくのもよろしくない。という病院側との双方の意見がまとまったので、日曜の夕方には無事に退院できた!

 

しかしこの歳になっていちいち他人に「お通じありました!このくらい出ました!」って報告するとは思わなかったなー…。

今回の件で、とりあえず来年からの胃がん検診は、ずっと避けてきたけど胃カメラにしようと思った。

あと、バリウムが排出されない人はとにかくどんなにめんどうでもお医者に行くことをお勧めします!!

 

お通じ大事!!トイレ

今日、車を買い替えた。

 

バイクの免許は19才から持っていたけど四輪はかなり遅かったわたしですが、当時周囲の友人たちから「オートマなんか乗ったらぶっ飛ばすからな!」と言われたのもあり、マニュアルの方が運転していて面白かったのもあり、最初に選んだのは「日産パオ」。こんなに可愛いのに、なんと高知県までこれで行った事もある!!今に考えると相当無茶したなぁ…汗

 

▲初代マイカーのパオちゃん。

 

すーんごい可愛くて大好きだったんだけど、元々が中古車だったのでまぁ数回の車検ののち手放す事に。

 

パオちゃんがマニュアル車な上に見た目もとっても可愛らしかったので、じゃあ次の車は何にしようか…?

と友人が選んでくれたのは、「日産ラシーン」

わたしはライトが丸目が良かったので調べたところ、オプションで丸目になる!!!ということが判明したので迷う事無くそれを装着してもらった。

 

▲頼りになる兄貴。ラシーン兄さん。

 

パオちゃんと比べてラシーンはまさに「兄貴!」と言いたくなるような頼もしさで、運転していてとっても楽しかった。

平地ならそれなりの積雪でもノーマルタイヤで全然走れるし、とにかくパワフルで見た目もかっこよくて、とっても良い車だった。大好きだったラブラブ

そんなラシーン兄さんですが、パオちゃん同様元々が結構前の車なので、8年乗ったところでそろそろこれは…という状態になってきてしまった(そもそも手に入れた時点で既に走行距離が12万キロ超えてたのだけど)。
初代からずっとわたしの車を選んできてくれている友人に相談して、「今整備しても次の車検まで無事で居られる保証はないよね…」ということで、泣く泣く手放す事にした。
もうこの先マニュアル車を手に入れるのも難しくなるだろうというのは数年前から分かっていたので、(お金を積めば可能でしょうががま口財布)、「マニュアルは諦める。その代わり丸目だけはなんとか維持できないだろうか…!!」というわたしの気持ちを汲んでくれて提案されたのが「スズキ アルトラパン」
送ってもらった写真で見事ハートを射抜かれた恋の矢恋の矢恋の矢恋の矢恋の矢

現行でも販売している車なんだけど、最近のは丸目がデフォルトだそうで。でも、これは初期型なんだけど、その中で僅かな期間だけ限定で作られた丸目モデル目
即決まりました。
そして相談した翌日には友人が買い付けてくれました。


そんな流れで今日ラシーン兄さんとさよならして、新たにラパンが相棒になった。



▲新しい相棒のラパン!

 

軽だしオートマだしコラムシフトなのでまだ慣れないんだけど、見た目は今までの流れをきっちり受け継いでいて、本当に可愛いなぁラブ

 

今日少しだけ乗ったけど、やっぱり長年マニュアル車を運転していたので左手と左足が暇で落ち着かなかった…汗

 

今はまだラシーン兄さんの時の感覚が抜けていないのでしっくりは来ていないんだけど、多分段々とラパンとの息が合ってくるだろうと思う。

 

パオからラシーン、そしてラパン……

………!!!!

ビックリマークシーンビックリマークラパビックリマークビックリマークビックリマーク

 

今までの車たちから一文字ずつだ。

今気付いたビックリマーク

 

来るべくしてわたしんところに来た車だな。これは。

大事にしよう。

 


余談ですが、自動車保険の登録車両変更をした際、初めて車両保険を選ぶ欄が出てきて、地味〜に感動したにひひ

 

2017年11月11日、竹橋の如水会館にて結婚式を挙げましたビックリマーク

入籍は一年前に済んでいたのだけど、やはり区切りとしてやるべきだろう。いや、というか人生一度きりのイベントなんだから、やっぱりちゃんとやろうよ!!

と、今ひとつ乗り気でない旦那さんをあの手この手で説き伏せ、皆様同様大変な準備期間を経て迎えた当日は、とんでもなく楽しくて幸せで、現実だったのか疑ってしまうほどの一日だったキラキラ

 

半年前に試着したドレスが殺人級に苦しかったので、一食置き換え甘酒ダイエットを続けてゆっくりゆっくりと痩せ、仕事関係の方々に調整をお願いして2日前で手持ちの仕事を引き上げていただけたおかげで1DAYブライダルエステにもネイルにも行く事ができ、もちろん睡眠も充分に取る事が出来たので、お世辞も盛り込まれているとは思いますが「綺麗!」「似合ってる!」「痩せた!」と褒めちぎってもらえた照れ

 

表舞台にいるときはもちろんなだけど、裏で支えて下さるスタッフの方々も相性が良かったのか、準備の間もとても楽しく過ごした。控え室での行き戻りの際には「ただいま〜」「いってきま〜す」と自然に言ってしまうほど。

 

今回の結婚式で

「自分はなんて幸せなんだろう」クローバー

とつくづく思った。

 

それは「花嫁だから」という事ではなくて、今回の結婚式はたくさんの友人が協力してくれたから。

カメラマンも「二次会で遊ばせてくれたらそれでいいですよ」と無償で引き受けてくれたり、司会も「いつもお世話になってるから恩返しにやるよ!」と立候補してくれたり。

結婚式をやる。と決めた時から、プロフィールビデオはあの人に、エンドロールはこういう企画でやりたいからあの人に頼みたい!ウェルカムボードはあの人に…とそれぞれお願いすると、これまたみんな快く引き受けてくれて、完成したものはとても素晴らしくてそれぞれの技術や才能を惜しみなく使ってくれた。

 

披露宴では余興をやらないので、二次会で何か余興を入れたい。と考えて、よく集まるカラオケメンバーに何か頼もうビックリマーク

とその仲間内でリーダーシップがとれる友だちにお願いしたら、これまたもうみんな下準備から当日まで全力で頑張ってくれて、すごーーく良い物を観せてくれたキラキラ

しかもその二次会余興で、旦那さんがサプライズ部隊のメンバーになっていて(もちろんあたしは当日まで知らなかったガーン)、これ自体もとっても嬉しかったのだけど、何よりサプライズ企画の打ち合わせでわたしの友人たちと連絡を取っていたり、打ち合わせに参加したりと交流して、今までよりずっとみんなと仲良くなってくれたのが、とっても嬉しかった。

 

終わってみて、母が「とっても楽しくていい式だった」と喜んでくれたのも、親孝行出来たのも良かった。

 

いやでも本当にね、自分で言うのもアレなんだけど、いい式だったと思う。

二次会に参加した友人のお子さんが「まきちゃん、またパーティーやらないかな〜」って言うくらい楽しんでくれたという報告がきたり、一家で参加してくれた友人の中学生2年の娘さんが「自分が結婚式やるときはまきすむちゃんに手伝ってもらおう」って言ってくれたり、やたらたくさんいた一眼カメラ部隊からどんどん写真が届いたり……。と、嬉しかったことしかないからもう何も書かなくてもいいかw

 

とにかく、2017年11月11日は、間違いなく人生最良の日でしたキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

この日に関わってくれた家族、友人、旦那さん、スタッフのみなさん、本当にありがとうございましたビックリマーク

全員大好きですラブラブラブラブラブラブ

 

▲ちょっとは緊張するかと思ったけど、全然だったな〜

 

▲友人の漫画家トミイマサコちゃんの力作!

 

▲ファーストバイトってやつ。ケーキは鮫映画をイメージ!

東京で54年ぶりとなる11月の初雪が観測された2016年11月24日の早朝、我が家の「愛すべき初代」クロちゃんがこの世を去った。

 

その前日、車で買い物に出ていた私のところに母から「クロちゃんの様子がおかしい。」という旨のメールが届いた。

クロちゃんは今年で23歳になるご長寿猫さんだったので、どこかおかしくなってもまるで不思議ではないし年齢的にそろそろ考えないといけないな。とは思いつつも、やっぱり具合が悪いというのを放っておく訳にはいかないので、迎えには行けるから、とにかく行きだけ自力で病院に行ってくれ。と母に頼んだ。

 

検査の結果肺が炎症を起こしていたが、年齢的にもあまり積極的な治療はむしろストレスになるので、とにかく現状が少しでも楽になるような処置をしてもらい帰路につくため車に戻った。

助手席に、蓋を開けたままのキャリーバッグを置いて車を走らせると、少しは楽になったのかクロちゃんがもぞもぞと動きだし、ちょこんと座ってほんの短い間だけど私の事をまん丸い目でじっと見つめてきた。

それはいつも私とふれあう時のクロちゃんで、ああ、今回もなんとか持ち直してくれたのかな。と少しホッとした。

この時期だしせめてもう一回くらいお正月を一緒に迎えたいな。と欲をかいた私は、

「とりあえずもう少し頑張って、気が済んだら晴れた気持ちのいい日にそっと旅立ったらいいからさ」と声をかけたけど、

飼い主たちの「頑張れ!」っていう気持ちに動物は応えようと一生懸命頑張ってしまうという話を思い出したので

「でもクロがしんどかったら頑張らなくてもいいからね。クロが決めていいんだよ」と告げた。

 

翌日からまたクロちゃんに嚥下食を与えよう。

食べれば元気になるから、もう少し一緒にいられるだろう。

と思っていた。

 

翌朝、妹からクロの訃報が届いた。

ああ、やっぱりしんどかったんだな。お疲れさま。よく23年も頑張ったね。

とすんなり受け入れられたと思った。

飼い猫の死は3度目なのだが、その前の2匹はどちらも病院で寂しく逝かせてしまったのがものすごい心残りだったので、クロちゃんは23年も生きた上に最期まで母に撫でられて逝ったというので割と後悔は少なめだし、その死にも納得がいくと思えた。

でもその直後、ものすごい悲しさが押し寄せて来て、声を上げて泣いた。

2時間以上涙が止まらなかった。

仕方ないしある程度覚悟はできていたけど、実家に行けば毎日会えたのに、もう会えないし、あの柔らかい肉球に触れなくなるというのはどうしても悲しい。

 

わたしが行くと、必ず側にやってきた。

何故か向かい合って座るのが好きで、わたしがいつものその場所に座るのを静かに待ってた。

もうグルーミングもしなくなっていたので、抜けた毛がからまって固まったところをわたしにほぐされるのが好きだった。

自分でガジガジしなくなったので、何層にもなってしまった爪も、いつも寝たまま大人しく切らせてくれた。

 

心から信頼してくれていたと思う。

 

そして翌日、11月25日。

打って変わって気持ちの良い晴れの日に火葬した。

 

たまたま有給を取っていた妹と、姉とわたしと母。というクロにとっての「家族(父を除く)」全員と、訃報を聞いて駆けつけてくれた義兄のお父さんと、5人で見送った。

たくさん泣いたしようやく受け入れられたので、さすがにもう泣かないかと思ったけど、あの扉がしまる瞬間だけは悲しくてやっぱり少しだけ泣いてしまった。

 

クロちゃんのお骨は23歳だと思えないほどしっかりしていて、みんなで、すごいねすごいね。と驚いた。

 

シロとチャは先にふれたような死に方をさせてしまったのでしばらくは家にお骨を置いていたのだけど、さすがにクロちゃんはもういいだろう。

ということで、そのまま共同墓所に納めた。

いい機会なので、シロとチャのお骨も一緒に入れてもらった。

 

生前は雄猫同士の習性上「みんなで仲良く」とはいかなったけど、きっとあの世ではそんなこともなく、今頃は三匹で走り回っているのかもしれないな。

と思うと、すごく微笑ましい。

 

クロちゃん、

23年間毎日可愛くて癒してくれてありがとう。

お疲れさまでした。

また会おう!

 

▲若かりし日のクロちゃん。きっとこの頃くらいに戻ってるのかな。

 

▲やっと会えたね!って抱き合ってるのかも。

 

▲チャーちゃんのことも、もういじめないよね。

 

▲信じられないくらい気持ちのいい肉球の持ち主だったので

 「キング・ポゥ」と呼んだりもしてた。

 

▲ハイジさんが最初から最後までクロのお世話してくれてた。

 可愛い女の子ちゃんに好かれて、幸せだったね!

 

父が他界した2000年の12月(記憶が確かなら8日)にチャーちゃんはまるで「お父さんの代わりに来ましたよ」とでもいうかのように、突然やって来た。
帰宅する母の隣を、いつの間にか並んで歩いていたそうだ。

その日あたしは派遣友だちと下北沢にいたんだけど、妹から「子猫が来たよ!」というメールをもらい急いで帰った。
チャーちゃんを最初に見た感想は
「思ったより大きいじゃん!」だった。(うちに来た時点で1歳前後だったと推定されている)

当時あたしは家族が住んでいるマンションの単身者用の別の部屋に住んでいて、実家にはシロちゃんとクロちゃんが居たので自然とチャーちゃんはあたしの部屋で暮らす事になった。
ご飯とお風呂は実家でお世話になっていたので、移動の時はいつもチャーちゃんを抱っこして行き来してた。
チャーちゃんもちゃんと理解してて、暴れもせずしっかりあたしの肩に手をかけておとなしくと抱っこされてて、その姿をあたしは見ることがなかったけど、すごく可愛かったって。

日中は外に出してあげていたんだけど、帰宅して鍵を開けようとしていると音を聞きつけて帰ってきて、必ず戻ってきて、一緒に部屋に入ってくれた。
野良時代の友だちを連れて来てご飯を振舞ったりと、兄貴肌なところも可愛かった。

実家を離れて暮らす事になったとき、あたしがいないと可哀想だろうからって一緒に連れて行く事になった。
二人っきりの生活になると、チャーちゃんはどんどん甘えん坊になった。
外出から戻ると、「おかえりー!」と言うかのように鳴きながら階段を降りてきて、その後もどんな一日だったか報告してるみたいにニャンニャン言って、あたしの後をついて回った。
テレビをつけてテーブルの前に座ると目の前に横たわって、お尻をポンポンとしてもらいたがった。
寝るよ。って電気を消すと、どこにいようが必ずすぐにベッドに乗ってきて、枕元で丸くなって一緒に寝てくれた。
そんな幸せな毎日を数年間。

12歳を過ぎた頃から、お医者さんに行かないといけないことが多くなった。

歯周病で抜歯したのが、初めての入院。
それから口内のできものの切除、急性肝不全、心筋症と甲状腺機能亢進症、と立て続けに病気をし、入院の度に毎晩無事を祈ってた。
そして毎回チャーちゃんは元気になって帰って来てくれた。

甲状腺が再発しないように手術をすることになり、2014年12月3日、再び入院。
今後も元気で過ごすための入院だったので、いつもより気は楽だった。
「お正月を元気に迎える為に、頑張っておいで。」って、送り出した。
手術は無事に終わり、順調ならその週末には退院できる筈だった。

手術の2日後、様子を聞く為に病院に電話をすると、食欲があまりないのでもうちょっと様子をみた方がいいかも。と言われてガッカリしたけど、会いに来てもいいと言われたのですぐに行った。
喉の下から胸近くまで縦に切開された手術痕は痛々しかったものの、思ったよりも元気そうで、一緒に帰れると思ったのかニャーニャー鳴きながらよじ登ってきた。
抱っこしてあげようかと思ったけど、期待させたら可哀想だし傷口に何かあったらいけないと思い、抱っこしなかった。
すごく不安だったんだよ。とでも言ってるかのように、ずっとあたしのお腹にそっと頭をくっつけてじーっとしてる姿がとても愛おしかった。

奇しくも14年前にチャーちゃんが家族になったその日、12月8日リンパ腫が発覚した。

ショックだった。
でも、思ったよりも長くはいられないかもしれないけど最善を尽くすつもりだった。
夕方妹が来てくれて、一緒にお見舞いに行った。

その翌日からチャーちゃんは保育器に入ってしまった。
入院してからほとんど何も食べておらず点滴で栄養を摂るだけだったので、日増しに元気がなくなっていたのだけれど、それでも最初のうちは、会いに行くとニャーニャー鳴いて、頭を撫でるとグッと押し付けてきたり、コロンとお腹を見せたりしてくれてた。

毎日、今日は昨日より元気になっているかも。と少しだけ期待しながら会いに行った。
きっとここから持ち直して退院できる。と信じて、毎晩祈ってた。

12月15日の月曜、夕方会いに行くと、チャーちゃんは輸血の最中で、ものすごく辛そうだった。
見てるあたしも泣き出しそうになるくらいだったけど、お家に帰りたい一心で頑張ってるチャーちゃんを少しでも癒してあげたくて、いつものようにお尻をポンポンと優しく叩きながら「大丈夫だよ。良くなるからね。」と声をかけた。
その間だけは少し安心出来るのか、うつ伏せになって目を閉じてじっとしてた。

「明日また来るからね」と笑って手を振って家に帰ったけど、夜になって何故かとても悲しくなってきて大泣きした。

そして翌日、12月16日の朝、電話で目が覚めた。
病院からだった。
すごく嫌な予感で電話に出ると、チャーちゃんが危ないという。
すぐに身支度をして、母に電話した。
状況だけ伝えたあと浮かんできたのは「どうしよう」って言葉だけ。
泣きながら病院まで行くと、治療台の上にチャーちゃんが横たわってた。

電話をもらう10分くらい前に、痰がからんでしまい、息と心臓がほぼ同時に止まってしまったのだと。

動かなくなったチャーちゃんの肉球はまだ少しだけあったかかった。
冷たくなる前に全身を撫でて、抱っこしてあげた。

綺麗にしてから帰してくれるというので、一度家に帰って泣きながら仕事をし、昼頃また迎えに行った。
闘病の汚れをすっかり落としてもらい、いつもの綺麗な姿になっていた。

すぐに姉と母がきてくれて、チャーちゃんをお花で飾り、その日のうちに火葬した。
家でゆっくりしたいのかもしれないと思ったので、お骨はしばらく置いておくことにした。

まさか生きて帰って来れないとは思ってなかった。多分チャーちゃんもそう思ってたんじゃないかなあ。

洗濯機の上でよく寝ていて、
太陽の光で輪郭をキラキラ光らせながら、綺麗なピンク色のツヤツヤしてあったかい肉球であたしの手をキュッと握ってくれる。
甘えてゴロゴロと喉を鳴らしているその姿を見てると、幸せってきっとこういう形に違いない。って思えた。

チャーちゃんも、あたしの声と手に安心しきって、綺麗なマスカットみたいな目を細めて、愛しそうに見つめてくれた。

そんな姿を思い出すと、もうそれが現実には見たり感じたりすることが出来ないんだと、ものすごく悲しくなって泣いてしまう。
小さなチャーちゃんが、自分にとってどれほど大きな存在だったのかを改めて知った。
自分の中の何パーセントかを失ってしまった気分。

とはいえ最期だけは本当に悲しいお別れになってしまったけど、基本的にはお互いとても幸せに過ごしてきたのは間違いないので、もう少し時間が経ったらきっと、とてもあったかい気持ちで思い出す事が出来るようになるんだろうな。

落とし込むまでにまだ少しかかりそうだけど、今チャーちゃんがあたしの側にいて甘えてるんだとしたら、泣いたり悲しんだりしてる姿をみて心配すると思うのでなるべく我慢しよう。

また会う日まで、元気でいなくては。


14年間の愛しい日々のダイジェスト。

追記
チャーちゃんが旅立った12月16日はとても寒い雨の日で、あたしは何度もチャーちゃんに向かって
「何もこんな日に行っちゃうことなかったんじゃないの?」
って言ってたんだけど、翌日は打って変わって気持ちのいい晴れの日で、その時にふと
「今日みたいな日だったらもっと悲しかったかも」
って思った。
あの日を選んだチャーちゃんは、本当に優しい。




▲今年の4月からお友だちになったマメちゃんとも仲良しでした。


▲今きっとこんな感じで部屋にいるんだろうなぁ。

2013年8月20日、
ずーーっと乗ってた愛車・YAMAHAのブロンコを手放した。

本当は友人・虎ちゃんに譲るつもりで取りに来てもらったんだけど、
簡単な整備ではいかんともしがたい状況な事が判明してしまい、
これはもう王に頼むしかないね…という運びになってしまった……。
まきすむの日々GO生活
▲整備してくれてる虎ちゃん。

発売してからすぐに買って、記憶が正しければ最初の遠出は
あの伝説の、第一回フジロックあせる
嵐の中、会場を後にするのも一苦労だった人達を尻目に、
割と素早く地獄から抜け出せたのもバイク参加ならではだったな雷

そんでその年の夏には、本州南半分制覇の旅に出たんだ。
生まれて初めてのロングツーリングで、一日400キロくらいは
走らないといけないという超ハードな日程だったんだけど、
あんまり疲労を感じなかったなー。
四国の剣山スーパー林道でコケて足を挟まれて起き上がれなく
なったりもしたし、四国カルストで側溝に突っ込んじゃって、
やっぱり一人じゃどうにも出来なくなったりしたっけな…。
そんな事があってもブロンコは全然無事で、快適に走ってくれた。

翌年には今度は北海道へ上陸したビックリマーク
青森からフェリーで北海道へ渡る予定だったのだけど、
何故か前輪の空気が抜ける現象が起きてて、
恐山の頂上で前輪ぺしゃんこになってるのを見た時は
なんかの呪いかと思った。マジで。
そんでタウンページで麓で一番近いバイク屋探して
持ってったら、自転車屋だった時はもうダメだと思った。マジで。
(応急処置だけはやってくれたけど)
結局後日別のところで見てもらって、空気入れるところの
「ムシ」と呼ばれる部分を交換したら直ったから呪いじゃなかった。
北海道は後半雨ばっかしでめちゃくちゃ寒かった。
帰りのフェリーで暇つぶしにプラモデル買ったら酔っちゃって全然
はかどらなかったな~…。

佐渡・富山一人旅もした。
それがロングツーリングの最後だったなぁ。

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▲幾多の困難を共に乗り超えてくれたブロンコちゃん

遠出はしなくなったものの、気楽にどこにでも行けるので
バイクは本当に好きだった。
でも数年前にバイクの駐禁取り締まりが厳しくなってから
グッと乗らなくなったような気がする……。

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▲元は黄色いタンクだった。

王に引き渡すにあたり、タンクだけはペイントしてくれた
ハイジャンパー の兄貴にお渡ししようと取り外したんだけど、
ブロンコちゃん、タンク無くてもかっこいいねw
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▲トライアル車みたいでかっこいいな…

バイクに乗るの好きだったし、
バイクに乗ってる自分の事も好きだったし、
ずっと持っていたかったけど、乗らないで朽ち果てさせるのも
可哀想なので決断しました。

バイクに乗っていたからこそ行けた場所、
会えた人、生まれた恋
などがあったと思う。

ブロンコちゃん。
ありがとう。お疲れ様。大好きでした。
最近はあんまり乗ってあげられなくて、ごめんなさい。

出来る事なら王の力で蘇って、次の乗り手とまだまだ元気に
過ごして欲しいなぁ。

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いつかまたバイクが欲しくなった時に、
偶然買い戻しちゃったりしてw


『ウィッカーマン』の、生け贄の少女みたい…
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古い方探したかったけどなかったから
ニコラスケイジでリメイクした方と思われるヤツを。