父が他界した2000年の12月(記憶が確かなら8日)にチャーちゃんはまるで「お父さんの代わりに来ましたよ」とでもいうかのように、突然やって来た。
帰宅する母の隣を、いつの間にか並んで歩いていたそうだ。
その日あたしは派遣友だちと下北沢にいたんだけど、妹から「子猫が来たよ!」というメールをもらい急いで帰った。
チャーちゃんを最初に見た感想は
「思ったより大きいじゃん!」だった。(うちに来た時点で1歳前後だったと推定されている)
当時あたしは家族が住んでいるマンションの単身者用の別の部屋に住んでいて、実家にはシロちゃんとクロちゃんが居たので自然とチャーちゃんはあたしの部屋で暮らす事になった。
ご飯とお風呂は実家でお世話になっていたので、移動の時はいつもチャーちゃんを抱っこして行き来してた。
チャーちゃんもちゃんと理解してて、暴れもせずしっかりあたしの肩に手をかけておとなしくと抱っこされてて、その姿をあたしは見ることがなかったけど、すごく可愛かったって。
日中は外に出してあげていたんだけど、帰宅して鍵を開けようとしていると音を聞きつけて帰ってきて、必ず戻ってきて、一緒に部屋に入ってくれた。
野良時代の友だちを連れて来てご飯を振舞ったりと、兄貴肌なところも可愛かった。
実家を離れて暮らす事になったとき、あたしがいないと可哀想だろうからって一緒に連れて行く事になった。
二人っきりの生活になると、チャーちゃんはどんどん甘えん坊になった。
外出から戻ると、「おかえりー!」と言うかのように鳴きながら階段を降りてきて、その後もどんな一日だったか報告してるみたいにニャンニャン言って、あたしの後をついて回った。
テレビをつけてテーブルの前に座ると目の前に横たわって、お尻をポンポンとしてもらいたがった。
寝るよ。って電気を消すと、どこにいようが必ずすぐにベッドに乗ってきて、枕元で丸くなって一緒に寝てくれた。
そんな幸せな毎日を数年間。
12歳を過ぎた頃から、お医者さんに行かないといけないことが多くなった。
歯周病で抜歯したのが、初めての入院。
それから口内のできものの切除、急性肝不全、心筋症と甲状腺機能亢進症、と立て続けに病気をし、入院の度に毎晩無事を祈ってた。
そして毎回チャーちゃんは元気になって帰って来てくれた。
甲状腺が再発しないように手術をすることになり、2014年12月3日、再び入院。
今後も元気で過ごすための入院だったので、いつもより気は楽だった。
「お正月を元気に迎える為に、頑張っておいで。」って、送り出した。
手術は無事に終わり、順調ならその週末には退院できる筈だった。
手術の2日後、様子を聞く為に病院に電話をすると、食欲があまりないのでもうちょっと様子をみた方がいいかも。と言われてガッカリしたけど、会いに来てもいいと言われたのですぐに行った。
喉の下から胸近くまで縦に切開された手術痕は痛々しかったものの、思ったよりも元気そうで、一緒に帰れると思ったのかニャーニャー鳴きながらよじ登ってきた。
抱っこしてあげようかと思ったけど、期待させたら可哀想だし傷口に何かあったらいけないと思い、抱っこしなかった。
すごく不安だったんだよ。とでも言ってるかのように、ずっとあたしのお腹にそっと頭をくっつけてじーっとしてる姿がとても愛おしかった。
奇しくも14年前にチャーちゃんが家族になったその日、12月8日リンパ腫が発覚した。
ショックだった。
でも、思ったよりも長くはいられないかもしれないけど最善を尽くすつもりだった。
夕方妹が来てくれて、一緒にお見舞いに行った。
その翌日からチャーちゃんは保育器に入ってしまった。
入院してからほとんど何も食べておらず点滴で栄養を摂るだけだったので、日増しに元気がなくなっていたのだけれど、それでも最初のうちは、会いに行くとニャーニャー鳴いて、頭を撫でるとグッと押し付けてきたり、コロンとお腹を見せたりしてくれてた。
毎日、今日は昨日より元気になっているかも。と少しだけ期待しながら会いに行った。
きっとここから持ち直して退院できる。と信じて、毎晩祈ってた。
12月15日の月曜、夕方会いに行くと、チャーちゃんは輸血の最中で、ものすごく辛そうだった。
見てるあたしも泣き出しそうになるくらいだったけど、お家に帰りたい一心で頑張ってるチャーちゃんを少しでも癒してあげたくて、いつものようにお尻をポンポンと優しく叩きながら「大丈夫だよ。良くなるからね。」と声をかけた。
その間だけは少し安心出来るのか、うつ伏せになって目を閉じてじっとしてた。
「明日また来るからね」と笑って手を振って家に帰ったけど、夜になって何故かとても悲しくなってきて大泣きした。
そして翌日、12月16日の朝、電話で目が覚めた。
病院からだった。
すごく嫌な予感で電話に出ると、チャーちゃんが危ないという。
すぐに身支度をして、母に電話した。
状況だけ伝えたあと浮かんできたのは「どうしよう」って言葉だけ。
泣きながら病院まで行くと、治療台の上にチャーちゃんが横たわってた。
電話をもらう10分くらい前に、痰がからんでしまい、息と心臓がほぼ同時に止まってしまったのだと。
動かなくなったチャーちゃんの肉球はまだ少しだけあったかかった。
冷たくなる前に全身を撫でて、抱っこしてあげた。
綺麗にしてから帰してくれるというので、一度家に帰って泣きながら仕事をし、昼頃また迎えに行った。
闘病の汚れをすっかり落としてもらい、いつもの綺麗な姿になっていた。
すぐに姉と母がきてくれて、チャーちゃんをお花で飾り、その日のうちに火葬した。
家でゆっくりしたいのかもしれないと思ったので、お骨はしばらく置いておくことにした。
まさか生きて帰って来れないとは思ってなかった。多分チャーちゃんもそう思ってたんじゃないかなあ。
洗濯機の上でよく寝ていて、
太陽の光で輪郭をキラキラ光らせながら、綺麗なピンク色のツヤツヤしてあったかい肉球であたしの手をキュッと握ってくれる。
甘えてゴロゴロと喉を鳴らしているその姿を見てると、幸せってきっとこういう形に違いない。って思えた。
チャーちゃんも、あたしの声と手に安心しきって、綺麗なマスカットみたいな目を細めて、愛しそうに見つめてくれた。
そんな姿を思い出すと、もうそれが現実には見たり感じたりすることが出来ないんだと、ものすごく悲しくなって泣いてしまう。
小さなチャーちゃんが、自分にとってどれほど大きな存在だったのかを改めて知った。
自分の中の何パーセントかを失ってしまった気分。
とはいえ最期だけは本当に悲しいお別れになってしまったけど、基本的にはお互いとても幸せに過ごしてきたのは間違いないので、もう少し時間が経ったらきっと、とてもあったかい気持ちで思い出す事が出来るようになるんだろうな。
落とし込むまでにまだ少しかかりそうだけど、今チャーちゃんがあたしの側にいて甘えてるんだとしたら、泣いたり悲しんだりしてる姿をみて心配すると思うのでなるべく我慢しよう。
また会う日まで、元気でいなくては。
14年間の愛しい日々のダイジェスト。
追記
チャーちゃんが旅立った12月16日はとても寒い雨の日で、あたしは何度もチャーちゃんに向かって
「何もこんな日に行っちゃうことなかったんじゃないの?」
って言ってたんだけど、翌日は打って変わって気持ちのいい晴れの日で、その時にふと
「今日みたいな日だったらもっと悲しかったかも」
って思った。
あの日を選んだチャーちゃんは、本当に優しい。

▲今年の4月からお友だちになったマメちゃんとも仲良しでした。
▲今きっとこんな感じで部屋にいるんだろうなぁ。