こんにちは!
9歳と7歳の子を育てています
第22回が放送されました
秀吉が記憶喪失になるという
トンデモ展開でした
でもこれは
圓教寺に現存する「羽柴小一郎」の柱の落書きから着想を得た
見事なストーリーでした!

「名前を書いた者の身には大きな災いが降りかかる」
「災いを半分引き受けてやるわ」
という言葉は
小一郎が秀吉より早く亡くなる
伏線かもしれません
そして官兵衛の野心と腹黒さ。
もうすぐやってくる「本能寺の変」
その黒幕は官兵衛…とまでは考えにくいものの
野心があったからこそ
明智討ちをいち早く行えたのかも。
予告では慶が小一郎の子を出産してました
長女、三八(みや)でしょうか?
その子を半兵衛が抱いていました。
史実では、半兵衛の妻は安藤守就の娘ですから、
このドラマでは小一郎と半兵衛は
義兄弟ということですね。
今後の展開も楽しみです!
放送予定・年表・キャスト紹介の続きを書きます!
本稿は第24話~です!
第1~23回
1536 藤吉郎(後の秀吉)生まれる
1540 小一郎(後の秀長)生まれる
1543 藤吉郎は寺に預けられる
1543 種子島に鉄砲伝来
1551 藤吉郎 今川家臣である松下之綱に仕官
1554 信長に仕官(小者として)
1559信長上洛中に、齋藤義龍の放った刺客が信長を襲う
1559 岩倉城攻め(vs織田伊勢守=岩倉織田家、信賢)
1560 桶狭間の戦い(vs今川)
1562 秀吉:足軽百人頭に昇進
織田と松平元康(後の徳川家康)が同盟を結ぶ
1563 信長:居城を小牧山城に変更
1564 鵜沼城攻め(vs大沢次郎左衛門)
1565 尾張統一
1565.6三好一族による室町幕府将軍 足利義輝暗殺事件
1566 墨俣一夜城
竹中半兵衛が藤吉郎に仕官
1567 信長:居城を稲葉山城改め岐阜城に移す
1568 義昭を護衛しながら上洛戦
芥川城の戦い(vs三好一族)
足利義昭が15代将軍に任命される
1570 一乗谷の戦い(vs朝倉)
浅井の同盟離反により金ケ崎の撤退戦
姉川の戦い(vs浅井朝倉連合軍)
1571 比叡山延暦寺焼き討ち
1572 三方ヶ原の戦い(vs武田信玄)
1573 槇島城の戦い(vs足利義昭)室町幕府滅亡
一乗谷の戦い(vs朝倉)
小谷城の戦い(vs浅井)
1573 秀吉:木下から羽柴に改名
北近江の大名になり、長浜城主になる
藤堂高虎が小一郎に仕える
荒木村重が織田家臣になる
1575 長篠の戦い(織田徳川vs武田)
秀吉、筑前守に任官
播磨(兵庫)の小寺家が織田傘下に
1576.1 安土城築城開始
1576.2 足利義昭が鞆幕府を樹立し信長包囲網を再構築
1576.5 英賀合戦(vs毛利)
1576.7 第一次木津川の戦い(vs本願寺、毛利)
1577.10 手取川の戦い(vs上杉)
1577.10 播磨国へ進軍(vs赤松、別所)
1577.11 信貴山城の戦い(vs松永久秀、奈良)
1577.11 但馬国(岩洲城、竹田城)へ進軍
秀長:竹田城代に。
1577.11第一次上月城の戦い(vs毛利方赤松政範、播磨)
1578.6 荒木村重謀反
1578.7 第二次上月城の戦い(vs毛利)
1578.9 三木合戦(vs別所)。秀吉による「三木の干殺し」と呼ばれる2年に及ぶ兵糧攻めに突入
1579 竹中半兵衛病死
1579 徳川信康、築山殿(家康の嫡男とその母)を処刑
信長の5男=於次丸(秀勝)を秀吉の養子に迎える
1580 有岡城没落 官兵衛救出
荒木村重を説得しに行ったまま捕らえられ幽閉されていた官兵衛を救出。このとき官兵衛は手足が不自由になっていた。
村重は逃亡。美しい妻だしは、処刑されました。
村重の息子は、明智の娘と結婚していましたが、
このとき離縁して、娘は明智に返されました。
官兵衛は小寺家と決別し、秀吉の直臣になります。
1580.1 三木城攻略…1年半かかった!
秀長:出石城主になる。
1580.5 竹田城が完全に落城
因幡鳥取城を兵糧攻めで落とす
吉川経家が守備する毛利方の城。
わずか5ヶ月で攻略。事前に周辺の米を高値で買い占めておいて、飢えた民に城へ逃げるように仕向けた
第25回 変事の予兆
6/28放送予定
1580.8月 安藤守就が野心ありとの嫌疑をかけられ追放される
安藤守就の他、働きの悪い年老いた家臣を解雇します。
その様子に、他の家臣は明日は我が身と震えます。。
本作では小一郎の妻慶は安藤守就の娘で、織田の人質という設定。ここで小一郎は慶や義父を救うために奔走するのではと。
1581 信長は長宗我部との約束を撤回し、領土返還を要求。光秀との仲が不穏に。
第26回 信長を笑わせろ 以降
(1576.2 足利義昭が鞆幕府を樹立し信長包囲網を再構築)
1581 天正伊賀の乱(vs伊賀の国衆)
家康はこのとき伊賀の忍者に恩を売ります。(家康の家臣、服部半蔵の父親は伊賀出身)
信長を刺客が襲う(vs伊賀の忍者=木戸弥左衛門)
第27回 本能寺の変
1582.3月 徳川vs武田 徳川の勝利
光秀罵倒事件
信長は武田戦勝利の家康を接待。その準備役(饗応)の明智光秀に信長が難癖つけ叱責殴打。
1582.5 織田信孝(信長の三男)四国征伐総大将に。
長宗我部元親が光秀側に、信長への恭順を示す
備中高松城の水攻め(vs毛利、清水宗治)
高松城周辺の地形を利用して水攻め作戦(黒田官兵衛のアイデア)
秀長は大規模堤防を築くための軍資金を集めた。そしてまた抜群の兵站力を発揮。
しかし、水攻めの最中、本能寺の変勃発。
1582.6.2 本能寺の変
信長が明智光秀に討たれる
明智光秀(演:要潤)
「本能寺の変」において、天下人である主君・織田信長を自害に追い込み、時代の流れを大きく変えた奸臣。領民に慕われ名君と称された人格者であり、教養に長けた文化人であったともいわれている。
信長の筆頭家臣。晩年は褒美として与えられていた領地を没収されるなど、ひどい扱いを受けました。
信長がいては戦いは終わらないことを悟り、信長を討ちます。
本作では、幕臣として織田家に入り込むスパイ役。
織田家の家督を継いだ信忠も殺害される。
第28回
高松城攻撃中だったが急遽毛利方と和睦(清水宗治の切腹、開城)し
明智光秀を討ちに京へ向かう「中国大返し」
第29回
山崎合戦(vs明智光秀
大返しで殿軍を務めた秀長軍が天王山の高地を先に占領して戦局を有利に。信長家臣の池田恒興も秀吉に協力。
中央&側面攻撃で光秀軍を圧倒し光秀軍は総崩れ。光秀は敗走中に土民に襲撃され自刃します。
この頃、羽柴与一郎が亡くなる(没年は1580~1582)
第30回
千利休が秀吉に仕える
清洲会議(信長の跡継ぎを決める会議)
羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興が参加
第31回
丹羽長秀の三男、高吉を小一郎の養子に迎える
柴田勝家とお市(信長の妹)結婚
近江佐和山入城
小一郎美濃守と称す
第32回
1583 賤ヶ岳の戦い(vs柴田勝家)
信長の跡継ぎをめぐって意見が対立
前田利家は柴田勝家の与力であり、秀吉とは友人。どちらの味方にもつけないため参戦せず。
美濃大返しし秀吉軍勝利。
柴田勝家と妻のお市は自害。三姉妹は秀吉に引き取られるが、茶々はまたしても父親を殺害され秀吉を恨む。
1983年 賤ヶ岳の戦い: 秀吉は実権を握るため、信長の孫・三法師(3歳)を信長の後継者に推し、 意見の分かれた柴田勝家と激突
勇敢に戦った七人の武将は後に賤ヶ岳の七本槍と呼ばれます。
片桐且元
平野長泰
加藤嘉明
福島正則
加藤清正
脇坂安治
粕屋武則
第33回
柴田勝家と市自刃。
市の娘たち(浅井三姉妹)の長女茶々は、継父と母までも殺した秀吉に恨みをもつ。
第34回 以降
1584 大坂城築城(摂津 石山本願寺があった場所)
小牧・長久手の戦い(羽柴軍vs織田徳川連合軍)秀長は秀吉の名代として信雄と和睦
1584年小牧長久手の戦い
秀吉に不満を募らせた織田信雄が徳川家康と手を組んで秀吉に戦いを挑みます。
秀次の失態で大損害。
秀長の活躍で伊勢、伊賀の城は片っ端から落城し織田(北畠)信雄は戦闘不能に。
秀吉は負けたけど信雄とだけちゃっかり仲直りし、家康から戦う大義名分を失わせます。
家康はしぶしぶ秀吉に従います。(人質を要求され、差し出す)
この頃、寧々の甥(後の小早川秀秋)が秀吉の養子になる
1585 雑賀衆(鉄砲)、根来衆(僧兵)を壊滅させ紀伊国を配下に入れる
和歌山城築城の総監督に藤堂高虎を指名(高虎はなんとゆってぃの先祖らしい)
秀長:総大将として四国の長宗我部を征伐。
堺から出航→淡路で秀次と合流→阿波上陸。蜂須賀、 黒田、宇喜多も合流。小早川、毛利も伊予に侵攻。
秀吉:藤原の養子になり改姓、関白になる。薩摩の島津を抑えるため九州の大名に「惣無事令」を出す。
島津を恐れ助けを求めに来た大友宗麟に
「政治軍事は私秀長に、内々のことは利休に相談せよ」
上洛しない家康に、人質として妹である旭を嫁がせる
※旭は元の夫と離縁させられ家康の妻になる
1585.5 秀長:大和郡山入城。100万石の大名に!
大和検地(太閤検地の前身)、武器回収(刀狩りの前身)
近畿~中部にかけてM7.8の大震災(家康討伐計画が頓挫)
島津と激突して秀吉大敗。
島津義久、義弘(関ヶ原の撤退戦はこの人)、歳久、家久(軍師)
1586 秀吉:太政大臣になり、天皇から姓をもらい豊臣に改姓。これは武家大名から天皇の側近になったことを意味する。
家康がやっと上洛。式のリハを秀長宅で行う?
この頃秀長は光秀尼という女性に見惚れて城に連れ帰り一夜を過ごす。きっと直とそっくりな女性かと♡
1587 九州を治める島津を再び攻撃。秀長や黒田官兵衛、毛利軍が南下し、日向国根白坂の戦いで島津軍を撃破。 島津義久を降伏させる。(秀長はこの辺りの軍功を全て兄者秀吉に譲っていた!!)
キリスト教勢力を警戒してバテレン(キリスト教宣教師)追放令を発布
権大納言に任官
光秀尼(お藤)と生まれた女子きく(後の大善院)を城に迎える
1588.1 足利義昭は正式に征夷大将軍職を朝廷に返上。豊臣政権の一部になる。
聚楽第(天下人としての秀吉の居城)築城
後陽成天皇を聚楽第に招く
茶々を側室に迎える
刀狩令を出す
丹羽長秀が亡くなり、高吉を藤堂高虎の養子にする
秀保を養子に迎える
家康宅の建築木材についての揉める
1589.5 秀吉と淀殿の子、鶴松誕生
秀長家臣吉川平介が不正をし秀吉激怒。秀長は秀吉と面会できなくなる
秀長:深刻な病で倒れる
寺の楼上に、雪駄を履いた利休の木像が設置される
1589.11 相模国北条氏を攻撃。小田原城評定の後、黒田官兵衛が一人で 城に乗り込み氏政、氏直親子を説得し降伏させ小田原城落城。
伊達政宗も秀吉に従う
1590.9 秀長は東大寺八幡造営の指揮をしに出て病状悪化
.10月 秀吉が秀長を見舞う。これが兄弟最後の面会
1591.1 長女三八と秀保が祝言をあげる
秀長病没
秀吉は関白の位を甥の秀次に継ぎ、太閤と呼ばれる。
太閤検地を実施
→→秀長の死後、秀吉の愚行を止めれる者が不在に。
愚行を重ねに重ねる。
1591千利休に切腹を命じる!
1592~朝鮮出兵!文禄の役
高齢ながら足利義昭も九州まで出陣
1593秀頼誕生
1595後継者候補だった養子秀次を失脚させ、自害に追い込む!その一族を大量処刑!
1597 朝鮮出兵!慶長の役
1598秀吉死「つゆと落ち つゆと消えにし わが身かな なにわのことも ゆめのまたゆめ」
朝鮮から撤退
家臣は不満を蓄積
豊臣衰弱、滅亡へ。
1600関ヶ原の戦い(vs徳川家康)
1614~15大坂冬の陣、夏の陣敗北
豊臣滅亡
以上!今後の展開も楽しみです
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