慶尚北道永川市臨皐面に有る
臨皐書院に行った
鄭夢周(チョン・モンジユ)の忠誠と徳行を称える為に1553年に創建された 高麗王朝の官僚の中で鄭夢周こそは政治、学問、忠節 この3つを兼ね備えた人だった
李氏朝鮮に協力を断わった「鄭夢周」主従二人が 小さな橋にさしかかったとき李成桂の5男、芳遠(バンウォンの刺客に襲われた
鄭夢周が斃れた小さな橋のたもとに竹が生えて来たので やがて小さな橋を「善竹橋」と呼ぶようになった
今でも雨が降ると鄭夢周の血が流れると云う 
鄭夢周は宋学(朱子学)を極め「東方理学の祖」と言われている
博多にも来ている、室町幕府の九州探題 今川了俊と倭寇の禁圧などについて交渉した 大宰府のお寺に10ヶ月程滞在している
今 BSフジで「六龍が飛ぶ」が放送中