脱毛は初回投与から13日目、
手櫛をしたときに2、3本抜けた。
ちょうどブログを始めた頃にハラリハラリと脱毛。過去を振り返りブログを書きながらバッサバッサと脱毛。
脱毛について特に何も思って無かった。
でも、いざ抜ける時は悲しくなったり泣いちゃったりするのかしら…なんて思ってたけれど、抜け始めたその時も『始まったな~』程度。
むしろ、早く買った可愛いウィッグ被りたいな~なんて思ってたくらいで、さらには掃除が大変だわサッサと抜けきってとしか思っておらず、思いの外なかなかのアタマの形の良さにウットリ・・頭皮を美しくするチャンスだわなどと思ったりしております。
しかし、周りはそうではないようでとても慰めてくれる。有り難いけれど、なんだか言われ過ぎると何かわたしって可哀想って思われてるのかしら・・なんて思ったり。
可哀想だなんて思われたくなーい
可愛くないヤツなんです
そして特に一緒に暮らす両親の反応は気になるもの。
両親にはこんな姿になることへの申し訳なさは有るけれど、親にとって子どもの脱毛状態は耐え難いことかもしれないけど、何とかダメージ少なくこの期間が過ぎる様に脱毛前とその後、変わり無く過ごして機嫌良く毎日ニコニコ笑って過ごすようにしていて。
抗がん剤投与に最初反対で、その多くは脱毛が嫌だった母。なんでそんな姿にならないといけないの~そんなアタマで歩き回らないでよとか結構グサグサ傷付く事を言ってたものの、いざ脱毛が始まり、おハゲに近い状態になっても明るく大したことないものとしてわたしと同じような感覚で居てくれていて、投与前とまるで逆。これはかなり嬉しい。
問題は父だった。
抗がん剤投与についてもさらにはその他治療についてもイマイチ理解しておらず、口も出してこなかった父。
ここ最近はお風呂上がりはもっぱらおハゲアタマで過ごすわたしに、
『そんなアタマになって悲愴な気持ちにならないのか』、『よくそんなで毎日ヘラヘラしてられるな俺のハゲは年相応!お前は違う!!』と突然言ってきた。
いまさら…(笑)
どうした今ごろ…(笑)
(既に半月以上経過したころ)
そういえば、脱毛が始まって以来父はわたしの顔を見て会話をしてくれてなかった事を思い出した。思い過ごしか…と思っていたけれどやっぱり父は脱毛以来わたしを見るのを避けていたんだと確信した。
父は辛かった(いや、今も辛い)のだな…。
声が涙声だもの。
親不孝しちゃってるんだと思う。
本人は案外平気でも周りも傷付いてしまう脱毛。やっぱり、この副作用はどうしたって辛い副作用の筆頭なんだろうな。
とはいえ、父にも乗り越えて欲しいと思う。
現実は変わらないのだから、出来ることは視点を変えること!!だからずっと笑いかけ続けるわよーまっすぐこっちを見て笑って話せるその日まで
ウィッグで出掛けることも今のところ問題を感じない。それはそんなわたしを受け入れてくれる環境があるからだと思う。
友達も会社も。それはとても安心感があって…本当に有り難いことだと思う
髪が抜けようが胸が無くなろうが自分自身の価値に変動は無い、むしろさらに愛しさパワーアップ。
骨髄抑制期間抜けたら、その日の気分とお洋服に合わせてウィッグを変え髪の毛の高低差など関係無しに日々仕事に遊びに出掛けてて、特に今までと変わりのない日々を過ごせてることがとっても嬉しい
ここから下は脱毛した髪の毛を載せてますので
ご注意くださいm(__)m