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夜のオトモノ〜読書の記録〜

真夜中のブックログ。中の人は夜行性ピアニストのなかむらまきこ

こんばんは星空

なかむらまきこです。

 

【センスの哲学:千葉雅也】

 

千葉さんの書くもの考えてるものが好き、

と言う前に

千葉さんの「文章そのもの」がなんとなく好きで

なんだかやさしいなぁ…と、いつもビックリする。

 

あとがきを読んで

「あ、これ芸術論だったのか!」

と気付いた始末ですが、

この「センスの哲学」が「芸術論」と言うよりも

いい意味で一般的で優しくて、

とても自然に読みました。

 

まがりなりに一応

「芸術家」「アーティスト」である身としては

世の中の「アーティスト像」とのギャップに

たまに苦しむこともあり、

 

その「違和感」の正体を

見事に解き明かしてくれた爽快感もありました。

 

…いや、

ホントはそれを、自分で言葉にするべきなのかも

しれないけど。

 

そんな訳で、

自分の気に留めておきたい言葉がたーくさん。

 

何か行き詰まったときに

一つの指標になってくれるかもしれない…

と言う気持ちでございます。

 

自分にできる範囲でのオリジナリティを全く別のスタート地点から始めることで、同じ基準で競争している人たちの競争に混じらずに、何らかの別経路でデビューすることがおそらく可能なんです。

…これは、物凄く慰められた言葉のひとつ。

 

自分の職業を名乗るときに、

めんどくさいので

 

「ピアニストです」

「音楽家です」

 

とか言ってしまう訳だけど、

 

そのときに「全く別のスタート地点」にいることを

許されない的空気を感じることが

少なからずある。

 

「同じ基準で競争」っていうのが

例えば本番の回数だったり、

有名だったりすることだとすれば、

 

「有名じゃない」だけで

「大変ですね」

「有名になれるといいですね」

と哀れみをもらったりするわけだ。

 

競争を強いられたり

「全く別のスタート地点」など

存在しない、認められないと言わんばかりに。

 

私が「有名になりたい」かどうかは、

微塵も関係がなく…。

 

その手の話は結構慣れてしまって、

「相手の価値観」が透けて見えたり

一瞬、そうではない自分を蔑んだりするけど

 

一方でそれを言葉にできず

その「違和感」の正体を突き止められなかった。

 

受験やコンクールで疲弊した身としては

「同じ基準で競争」することは

これ以上やりたくないし、

疲弊しすぎて何もできなくなってしまったこともある。

 

この、隠れた勝手なBlogが、

「全く別のスタート地点」なのかどうかは

わからないけど、

 

私が目指すところって

そこなんだよね、って思ってる。

 

コピーを目指すのではなく、それを向こうに置いておいて、一応はそっちを見ながら、その手前で違うことをやってしまっていい。

例えば、

「モノを習う」「参考にする」って言う感覚と

「オリジナル」って言うものを考える上で

めちゃ納得した言葉。

 

「3人パクればオリジナル」って言ったのは

千葉さんとも親交がある坂口恭平さんだったかな、

 

「私にはコレはできないし、やらないけど

でも、いいよね」

みたいな感覚があると

競争から外れたところで

オリジナルになれる感じがする。

 

自分に固有の、偶然性の余らせ方を肯定する。

…これは、本番の時の私の感覚に、かなり近いと思う。

 

ここまでカッコいい言葉にはできないけど

カッチリ決めすぎず、やることをやりつつ、

でも、「何があるかわからないからね」って言う

余白を持つ。

 

その度合いって、

意外と人それぞれ…っていう

そのこと自体を、

意外と知らなかったな、って感じました。

 

タスク処理と芸術は、似ているところがある。

…これも、納得してる。とても。

 

「ピアノが弾ければ

他のことにも何でも応用ができる」

 

っていうのを自負しているんだけど

その理由がうまく言葉にできなくて。

 

「処理能力だよなぁ…」

とはうすらぼんやり思っていて、

うんうんそうそう「タスク処理」。

 

全く夢も希望もない、

仕事感全開ので「お芸術」とは

かけ離れた言葉だと思うけど、

コレなんだよねー。

 

個人的には、

「芸術」って非常に現実的なことの連続で

「夢」とか「希望」とかよりも

もっと「現実的なもの」。

 

だから、

音楽とか芸術に「夢」とか「希望」を感じるなら

それは「現実的なものである」

とか、言いたい。

 

芸術でも、手を動かしてみることが大事なのです。

「個性的なテンプレ性」

オリジナリティとは、その人がどのように典型的なものと関係を持ち、また距離をとってきたかということのオリジナリティです。

先延ばしにしていたらきりがないわけで、いったん「仮固定」をする決定をしなければなりません。

そして、この戯言ブログも

「芸術作品の始まり」のようです。

 

日常のささいなことを、ただ言葉にする。それはもう芸術作品の始まりです。ものを見る、聞く、食べるといった経験から発して言葉のリズムを作ることだからです。

 

本を読むこと、人の言葉に触れることで

いろんな人に出会えることが、好き。

 

リアルに人に会うのが大変な時でも

いろんな人に出会えるし、

音楽もそうだったらいいな、と思いました。

 

それでは、また!

夜をこめて星空

まきこ。