これ、どうなんだろ?


でもたぶん、自分の親って恨んでもしょうがない(いろんな意味で本当にしゃーない。戦ってもしゃーない。これはたぶん善い悪いではなく自然の摂理。)んだと思うよ。

まず何とも思う必要ない。


今ね、先月末夫婦でコロナにかかってしまい(夫が先にかかった…DASH!)、

生後1ヶ月半の息子を、なんとか近くに住んでる両親に預かってもらうことができたのね。


里帰りの時は私、親に1時間たりとも任せていられないビックリマーク私の子供に構わないで!!

…って思ってたのに、やっぱり今回ばかりは 


子供の命、健康が第一優先ビックリマーク

息子にまず移っていないことが唯一の救いビックリマーク

少し、私が陽性になっていないけど濃厚接触めちゃめちゃ危ない爆弾っていう

間に両親に接触してしまったので、

どうか息子を預かっていて下さい!!

息子をよろしくお願いします!!


というマインドになったよね。


まぁ、そんなこんなで、私の治りが予想より遅く

(症状出てから2週間。陽性なってから10日だっけ?とにかく長く感じた)

かかったので、そんな長い間両親にみてもらったのね。

もちろん、自分のこだわりとか細かいことなど口出しできないし、その余裕もないよね。


で、体調第一優先で、実家に無事息子に会いにきた後、日を延ばして1週間近くそのまま私も滞在させてもらったんだけど、

最初は感謝の気持ちでやれてたんだけど今日、あ、無理だな(抱っこをかわるときちょっと胸を触られた。そんなこと、普通にあるよとか、気にしすぎとか怒られるかもしれないけど キモい。生理的に受け付けない。)と思うことがあったの。


で、このときの私は、今まで散々親とぶつかってきて、分かり合えなかった部分あるからもう言っちゃえば諦めた。

てか、そうするしかないけど私はいちいちキモいって思っちゃうんだよね。


でも最近、

エックハルト・トールの

さとりを開けば人生はシンプルで楽になる


いう本(YouTubeで要約の動画を見ただけ、購入済だけどまだ読めてない)に出会って、


私反芻思考をしてしまいがち(考える余裕があるときに特にそう)なんだけど、


嫌なこと思い出して自分のなかで何度も咀嚼したって、自分にとって何もひとかけらもいいことないってやっとやっと分かったから、


というより息子にすくすく育ってもらいたいから、正直、自分そんなことにこだわってる余裕ない。


で、もうできるだけ自分から何度も思い出さないように。


そんなことして、もしわざとだったら絶対自分が親の立場だったら心の片隅にでも罪悪感抱いてしまうだろうな。

そんな気持ちってどうなんだろう。

今どういう気持ち。逆に可哀想。


というか、他のことはやっているのにそれが台無し、やはりかわいそうだなーとか、


そういうことって、きっと義実家で義父の前で授乳しなきゃいけない環境とか、周りは全然気をつけてくれないけど自分はしっかり嫌だったり、

巷にはびこるセクハラ。

おじんの。


とか思ったら少し紛れた?


気もするけど、やはり生理的にイヤなものはイヤ。


嫌だよというのを相手が逆にしめたと喜ばないような形で少し匂わせて、

そのあとはもう、残ってる夕飯の片付けに徹する。


嫌だったことから少しでも意識をそらすためには、

少し大変でも手を動かすことが解決法だったりするよねみなさん。

とか考えながら。


そして夕食を食べさせてくれたことに感謝の意を表して、あとは自分の体を休める。


けど、嫌なものは嫌、それは一生忘れないよ、と思いながら。


自分がそういうの、我慢とか流して通せないタイプなら、なるべく自宅に戻ってからは会わないようにするとか。

例えば一対一で会うシチュエーションを避けるとか。

自分から身を守る。



されて嫌なことは嫌だけど、いくらそれを相手に思い知らせようとしたって、

戦ったってわからない人にはムリ。


その場は、トイレでスッキリとウンチしたりする機会で忘れて、

あとはそれとなく避ける。


それを思い出すシチュエーション、

会う機会をできる限りで減らして、考えないなるべく忘れるようにする。


きっとそうした方が勝ち。

相手に明確に非があるかよく判断できないこういった場合は、そうしてジタバタせず自分の人生を生きた方が、

損か得かでいったら得なんだって、私は悟ったのだった。(笑)



(だけど、逃れられない立場の子供に対しての児童虐待は許してはいけないと思う、もちろん。)



というか、自分の親に完璧を求める=自分も完璧な親でいなきゃ。っていう思考につながることもあるのかな?って。

完璧な親でいれるかどうかなんて考えてもわからないのに、常にこれはダメ、これはダメ、って、苦しくなりそうだし、

意固地になると逆に周りが理解してくれないなんてことも。




そういった学びなどが、今回の経験から私が学んだことであった。


少なくとも私は、今回の息子を守れたケースからも再確認したように、ラッキーなウーマンであるのだ。ひらめき電球


明日、自分たちの自宅に戻りますー。うさぎのぬいぐるみほんわか立ち上がるおやすみ