今の教育体制は、昔とは大きく変化しました。教育という概念が大きく変化したのです。人間は地球に生まれる時に魂の泉からどういった能力を持って生きていくかを決めてきます。人それぞれに必ず得意な事があるのですが、それがいったい何なのかはほとんどの場合、幼少期には自覚できないのです。教育というのは、その人が魂の泉から持ってきた能力が何であるか、そして自分はどうしたいのかを知る事なのです、教える事ではありません。3歳から12歳くらいまでは、小学校と中学校が合わさったような同じ施設の中で好きな事をして過ごしますが、その施設では様々な事にチャレンジする環境を提供するだけで、技術や知識を教えるような先生はいません。年齢に関わらず同じチャレンジができますので、できる人ができない人に教えたりします。また、できるできないの違いはありますが、そもそも成績に順位がなく、比較するという事がありませんので、テストもする必要がなく、好きな時に好きな授業を受ければよいのです。

 高校、大学の機関はなくなりました。その代わりに専門的な施設、仕事と学びを同時に進める事ができるような施設が多く生まれました。そこでも年齢に関係がなく、個々の能力に応じて好きな授業を受ける事ができます。自分が学びたいものがどこにあるのか、これが個人がその学校に行く理由となります。授業というよりも仕事を通して学ぶようになります。昔のように数学や英語、物理など、いわゆる必修科目などはありません。虫が好きな人は、虫を学ぶ人達のもとに集まり、絵が好きな人は絵が好きな人のもとに集まる、哲学が好きな人は哲学、化学が好きな人は化学など、年齢に関わらず関心を持った人達が集まるので、5歳から100歳まで、いろいろな人が集まって、話し合ったり、共同で作業したり、個人の時間を楽しんでいます。年齢によって見識が深くなるという概念がありませんので、年上でも年下の人の意見を真剣に聞きます。年下であっても、直観など魂の記憶によって新しいアイデアが生まれる事をみんなが知っているからです。おのずと自分が関心のある事を得意としている、教えてくれる人の元に足を運んで、その人からいろいろと学んでいくことになります。

 したがって、教育機関と仕事の線引きが非常にあいまいになっていて、生まれた時から好きな事を夢中になってやっているうちにそれがいつの間にか仕事になって、社会に貢献しているといったようになっているのです。大人も子供の延長線にいるのです。自分が何をしたいのか、個を尊重する世の中になっていますので、昔のように、時間や場所などの制限や、やらなければいけないものなどは一切ありません。一人一人が自分の責任で、自分の人生を楽しんでいるのです。実はこうした教育システムになってから、新しいアイデアが次々と生まれ、飛躍的に技術が発達しました。その一方で物質よりも精神性を大切にする生き方を選択する人が多くなった事で、そうした技術は人間と自然との調和の為に使われているのです。一日中、虫を見つめていたり、動物とのコミュニケーションをしていたりする人から新しい技術が生まれているのです。

 ちなみに必ず学校に行かなければいけないという事もありません。タブレットがあれば必要な情報や知識はいくらでも手に入り、授業も受ける事ができます。昔の感覚では理解できないかもしれませんが、いわゆる協調性というものすら求められていませんので、一人でいるのが好きな人はずっと一人でいても良いのです。仕事をせずにダーチャで農作業をして暮らしている人もいますが、そこでとれた農作物を販売する事もできます。ほとんどの家庭が兼業農家になっていて、フリーエネルギーも提供されていて、食料や生活に困る事がありませんので、そもそも仕事という概念も変わってしまっているのです。人々は好きな事をしているだけですから、毎日が楽しくあっという間に時間が過ぎて、道行くところは笑顔であふれ、自然と助け合いの気持ちがはぐくまれ、最後まで健康に生きています。