通常国会も終了し、事実上の参議院選挙モードに突入している。私も街頭に立ったり、知り合いに声をかけたりなど、選挙モードになりつつある。特に今回は18歳選挙権実現の歴史的選挙でもあるので、なるべく若年層の投票率を上げたい、ということで全国青年局メンバーとも協力しているところだ。

ところで、この選挙戦に入るときに、改めて何を訴えるのか、ということを考えざるを得ない。ある政党の幹部などの発言を見ていると、とにかく与党、なかんずく自民党を貶めて選挙さえ勝てばいい、というムードむんむんである。確かに、「勝てば官軍、負ければ賊軍」ではないが、選挙というものは勝てさえすればいい、という側面があることも否定はできない。しかし、個人的には私は仮に選挙に負けたとしても、歴史的に見て政治は正しいことをやり遂げなくてはいけない、という思いが強い。悪口や批判能力、あるいはポピュリストとして才能があってその時には人気を博したが、歴史的には全く存在意義がないか、むしろマイナスだったという政治家は山ほどいる。民主党政権などはその最たるものではないか。あのときに、「何人衆」などと言われてもてはやされたような人達は、結果的に何ができたのか。

他方、自民党も、もしできない政策だとしたら政治的にはマイナスでも率直に語るべきだ。たとえば、経済状況においては、単に景気の問題だけではなく、人口減少や高齢化、あるいは消費者の嗜好の変化や技術革新など、本質的な場合も多い。その時に、いくらその方々に「景気を良くする」と言ってもなかなか難しい。今「象の墓場」という楡周平さんの本を読んでいるが、コダックがフィルムカメラからデジカメへと時代が変わりつつある頃の転落を描いたものだ。その時代に、写真屋さんに「景気を良くする」と言っても意味がなく、おそらく業態変化などを後押しする政策こそ必要だ、というようなことである。

もう一つ、最近懸念するのは内向きな雰囲気の復活である。自民党が、国民の信頼を失うとすれば、国民よりも、派閥や一部の団体などの利益を優先する内向きのムードが高まったときだろう。その意味で、安倍政権はこれまで常に国民最優先、で来たと思う。だから高い支持率もキープしてきたのであって、無条件に自民党だから何をしてもよい、ということはあり得ない。選挙期間中に、そうした国民の方を向いていない、というような誤解を受けないようにしなくてはいけない。

改めて、参議院選挙には今は日本にとって何よりも政権の安定、そしてそこでやるべき政策をきちんとやり抜くことこそが重要な歴史的時期である、ということを訴えて全力を尽くしたい。