我が子が好きなのに子育ても専業主婦も向いてないと言われる人のブログ -2ページ目
私の母はいわゆる教育ママでした。
(今はうって変わって、孫に激甘なばーさんと化しています笑。)

幼稚園の頃は七田教育アカデミーに通って百人一首を覚えたり速読をマスターしたり、、(あれ他はあんまり記憶にない笑)。エレクトーンも習い始めました。英語教室にも一時期通ったかな。公文、学研教室に行ってた記憶もあります。
脳にいいからと鉄の粉?を食べさせられたり、毒々しい色のお菓子(合成着色料入りのもの)は食べちゃダメよと教えられたり。
とにかく、子どもの能力や学力をアップさせることに貪欲な母でした。(この理由は、自分が子どもの頃勉強ができなくて困り我が子には同じ思いをさせたくないと思ったから、らしい)

小学生になってからはエレクトーンを続けつつ、学年が上がるにつれて習い事の数は増えていきました。習字、スイミング、学習塾。
その効果あってか、小学校では成績優秀でした(ただし図工と時々体育以外)。
でも年齢が上がるにつれて、しんどいな、やりたくないな、と子どもながらに思うことも増えてきたのです。
あと、仲良しの友達ともっとたくさん遊びたい!という思いも芽生えてきました。

でも私は、習い事をやめたいと思っちゃダメだ、お母さんに怒られる、いけないことだ、と思い込んでいたのでそれを口に出してみようと考えることすらなかったです。

でも、4年生から通い始めた、厳しい厳しい中学受験のための塾だけは私の体も心も耐えきれませんでした。塾に行く度にお腹を壊し、身長もあまり伸びなくなり、5年生にして今さら?!というような病気、水疱瘡にかかってしまいました。それがきっかけでこの塾はさすがに辞めることになったのです。これにはホッとしたなぁ、、。

この件があって中学受験からは一旦身を退いたのですが、なぜかなぜか、6年生の秋からこの塾とは別の中学受験塾に通うことになりました。
受験を自分からしたいと言ったのではないことは確かなんですが、きっと母の口車に乗せられて?受験する!したい!と本心とは違うことを言っちゃったんだろうなぁ。
これがまたしんどかった。時期が時期なものだから、皆はもう復習というか仕上げに入っているのに、私はスタートラインに立ったばかりで授業がちんぷんかんぷん。おまけに日曜まで、一人で20分電車に乗って隣の市にある、いつもより規模が大きくて授業の内容も難しい別の塾にも行かないといけない。友達いなくて孤独だし。
不合格だったら噂されるの嫌だし同じ小学校の子には隠しとこう!って母に言われてもいたので無駄にこそこそして友達にウソついたり。

そんなこんなで一応最後までやりきって?滑り止め、本命、ダメ元お試しの三校受験し。結果は滑り止めだけ合格。

私って小学校では勉強ができるほうだけど、そこから一歩出た広い世界では勉強できない方なんだ、、って小学生ながらになかなかショックだったな。私にとってマイナスイメージ、失敗、恥ずかしくて屈辱、な出来事となりました。

そして完全に母の言いなり、絶対下にありました。母の言う通りにしない、という概念を持っていなかった。
子どもって小さい時から母のためにこんなにも頑張って、健気すぎる。

母はね、能力や学力を上げることが子どもにとっての幸せだと思っていた。
けれど、そればっかりに必死になりすぎた。
かわいい我が子である私が私らしく生きる、ということを置いてけぼりにしてしまっていました。

小学生の頃のことを母と話すと、あの時はごめんね、と謝ってくれます。そんなに嫌だ、しんどいと思ってたとは知らなかったし分からなかったよ、とも。
だから私は決して母に虐げられていたのでも愛されていなかったのでもないと思うのです。
母は母なりに必死に我が子を想っていた。ただ、ちょっとズレてた。
私があれ?お母さんの言う通りばっかりにするのおかしくない?って気づいて、こんなの嫌だよーやりたくない!を勇気を出して言えてたら違った未来があったかもしれないね。
でも過去は変えられない。だから私は昔の母も昔の自分のことも認めて、もうゆるしてあげています。
それがその時のお互いの精一杯で、幸せになる道だと信じてたんだもんね。
よしよし。

ちなみに中学高校時代は、私がついに反抗期に入ります。
その話はまたいつか、、