どうしてそんなことをしたのだろう。
本当に、どうかしていた。
何をどう表現していいかわからないけれど、痛い。
人や目に見えない大切なものを傷つけてしまう、自分の心の在り方を知らな過ぎたことがつらい。
自分の心身の状態に注意を向けること、整えること、保つことが疎かになり、
余裕を失って、防衛スイッチが入り、受け取る人がどう感じるか、配慮のない、乱暴な言動をした。
起きたことは取り返しがつかない。
お互いにとって、あまりに痛い出来事になってしまった。
あまりに私が変わらないので、
「自分の在り方を見直しなさい」と、衝撃的な出来事で教えてくれたのだ。
高過ぎる代償を払って、自分に向き合い、変わってゆく機会を与えてもらった。
疎かにしてきた自分と、自分の暮らしに向き合おう。
ある人から「自分でも思いがけない言動をしてしまうのは、見ないようにして押し込めてしまった感情や記憶が無意識の中にあるから。無いことにした感情や記憶が、成仏したくて出てくる」、そんなお話を聞いた。
「体の細胞に涙がたまっている。」「瞑想することで、涙がこれでもかと言うくらい溢れてきた体験をしたことがある」そんなお話も聞いた。
少し前に「泣くことがとても大事。泣くことが必要な人がたくさんいる」そんな言葉も耳にした。
泣くことができず、心がどこかで麻痺してると、どういうことが人を傷つけるか、信頼 関係を壊すのか、そうしたことにも鈍感になってしまうのだと想像する。
私は長年にわたり、かなり、麻痺してると思う。冷たく硬くなった心で、表面的に世の中で過ごしてる。
でも、そんな生き方が苦しくなっていて、以前のように行動できない。
何でもないふり、元気なふり、大丈夫なふりができない。最低限のことしかできない。
それが私の現実なのに、応援したい人たちがいて、無理を重ねた。無理は、やはり無理な結果となって現れた。
悲しいお別れ。好きだったから応援していたのに、思い出すと今は辛くなってしまう。
自他を傷つける在り方は、本当にやめなくては。
自分でも思いがけないような言動をして、人を傷つけたり、関係を壊すことは、もう繰り返したくないから。
そのために必要なことを行動しよう。
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自分への信頼、自分を満たすことができず、人と本当に関わることはできない。
そのことを分かっていたつもりだったのに、立ち入り過ぎてしまった。
スキーの初心者が、自分の実力・現実を忘れて上級者コースを滑走し、当然、とても滑ることはできず、転がり落ちるしか進む方法がない状況に似ている。
初めは、初心者の自覚があったのに、「もう少しだけ」と、自分の現実を見ないで進んでしまった。
他者の領域に不用意に乱入して、多大なご迷惑をかけてしまった。
先方の方にとっては、あまりに理不尽な関わりで、ご不快な思いをかけたと思う。
謝罪のしようがないけれど、本当に申し訳ないことでした。
この経験から学び成長することが、埋め合わせであることを心に刻みます。
自分の現実・身の丈をはるかに超えたかかわりをしようとしたことに、黄色信号・違和感を感じながら、進んでしまったけれど、
そんな無理・無茶をしてでも伝えたい思いがあったことは真実です。
それでも、どんなに真実であっても、信頼できる自分であることが土台になかったら、それは違う質のものになってしまうことを痛感しました。
そんな当たり前のことを、良い年齢になるまで身につけられずにきたことが恥ずかしい。
今、痛いほど気づかせてもらえたこと、気づく機会を頂いたことに感謝します。そんな迷惑な役回りをして下さった先方の方に感謝します。
届かないし、受け取ってもらえないこともわかるけれど、「ありがとう」そして「ごめんなさい」と伝えたいです。