February 20, 2017

 

I have set you an example

that you should do as

I have done for you.

-John 13:15

 

(私があなたたちにした事をお手本に

 あなたたちは生きていきなさい。)

 

 

Life Model—

 

私たち人間は、性格や育った環境などによって

常識や意見が異なることが度々ありますよね。

 

同じ Christian でも

正しい生き方についての違った意見も

結構耳にします。

 

その現代例の一つが、以前にも話しましたが LGBT の問題です。

 

確かに Bible の中で何度も同性愛に関して罪として書かれています。

 

が、Jesus は同性愛者を受け入れなかったのでしょうか?

 

Jesus は私たちすべての罪人を受け入れてくれています。

そして何よりも一番大事なのは愛だと教えてくれました。

 

私はもともと LGBT 支持派ですが

Christian としても LGBT の方たちと同等に接することが

Jesus の教えだと信じています。

 

Roman Catholic の 司祭である Fr. James Martin が

2年ほど前に Facebook に以下を書き込みました。

 

No issue brings out so much hatred from

so many Catholics as homosexuality.

Even after over 25 years as a Jesuit,

the level of hatred around homosexuality is

nearly unbelievable to me, 

especially when I think of 

all of the wonderful LGBT friends I have. 

 

The Catholic church must do a much better job of teaching 

what the Catechism says: 

that we should treat our LGBT brothers and sisters with 

"respect, sensitivity and compassion." 

 

But God wants more. 

God wants us to love. 

And not a twisted, crabbed, narrow tolerance, 

which often comes in the guise of condemnations, 

instructions and admonitions that try to masquerade as love, 

but actual love. 

 

Love means: 

getting to know LGBT men and women, 

spending time with them, listening to them, 

being challenged by them, hoping the best for them, 

and wanting them to be a part of your lives, 

every bit as much as straight friends are part of your lives. 

 

Love first. Everything else later. 

In fact, everything else is meaningless without love.

 

 

この投稿を読んだ時、

まさにその通り!と感動した事をよく覚えています。

 

Jesus が一番大事だと教えてくれたのは

愛なんです。

 

誰かをジャッジして反対し、

自分の意見に合わない相手には敵意を抱く。

 

それは正に、Jesus の教えと正反対なんです。

 

LGBT を一例に取り上げましたが

同じ Christian でもそれぞれ本当に意見の相違があり

混乱させられることもまちまちです。

 

ただ、私はそんな時、

「Jesus ならどうしただろう。」

と考えるようにしています。

 

そうすると、自然と何が正しいのか

答えが簡単に出てくるんですよね。

 

だから私は Jesus の教えのもとで

Christian として生きたい、と

心から思います。

 

Christian というのは肩書きではなく

Jesus のように生きていくことなんです。

 

Jesus の愛—

それを知ることができた私は

とても幸せなんだと思います。

February 19, 2017

 

Do not work for food that spoils,

but for food that endure to eternal life,

which the Son of Man will give you.

For on Him God the Father has placed

His seal of approval.

-John 6:27

 

(腐ってしまう食べ物のために働かず

 神の子である私の与える

 永遠の命を手にいれるために働きなさい。

 父である神は

 そのために私を送りだしたのです。)

 

 

What Are You Working For—

 

私たちは何のために働いているのでしょうか?

 

それぞれの解答は違ったものかもしれませんが

その解答の理由はほとんどが

「幸せになるため」ということに繋がるのではないでしょうか。

 

「幸せになるため」

 

例えば自分のことしか考えずに人を蹴落としたり

目先のもののためだけに働いたりした時

それでも「幸せ」になれるのでしょうか?

 

正しいことをしないで手に入れたもので

本当に「幸せ」になれるのでしょうか?

 

例え、目に見える利益にはならなくても

正しいことをした時の満足感と達成感。

それが真の「幸せ」なのではないでしょうか。

 

私には3人の子供たちがいますが

うちの子供たちは怒られたくないがための

小さな嘘をつくことがあります。

 

小さな嘘なのでたまに私でも

嘘なのか本当なのか見分けがつかないこともありますが

私は子供たちにこう言います。

 

「あなたたちがそう言うのなら

 そう言うことにしましょう。

 だけれど、もし嘘をついているのなら

 私にはわからなくても

 神様はきちんと見ていて、わかっているからね。」

 

すると、子供たちが本当に嘘をついていた場合

罪悪感に負け、きちんと本当のことを明かします。

 

罪悪感。

 

本当に誰にもバレない、知られないと

確信がある場合は罪悪感もないこともあるのかもしれませんが

本当に誰にもバレない、知られない、ということは

絶対にありえないんです。

 

神様はきちんと私たちが何をしたのか知っていますから。

そして自分は神様が知っていることを

きちんとわかっているんです。

 

他の誰にもバレなくても

自分が正しいことをしなかったことを

わかっている以上、

罪悪感というのはついてまわるものなんです。

 

そして罪悪感がある以上

本当の意味での「幸せ」を手にいれることはできません。

 

だから

神様の教えのもとで生きることが大事なんです。

神様に教えられた通りに、

人に尽くし、皆を愛し、丁寧に、親切に、生きる。

 

それが私たちの

「幸せになる」生き方なのだと思います。

February 18, 2017

 

I tell you that to everyone who has,

more will be given,

but as for the one who has nothing,

even what they have will be taken away.

-Luke 19:26

 

(持っている者にはもっと与えられ

 何も持っていないと言う者からは

 他に持っている物さえも取り上げられます。)

 

 

Use It for God—

 

この verse は読み方を誤ると意味が変わってしまいますね。

 

ここで Jesus が言うお話を簡単に説明すると—

 

  ある王が留守中に家来にお金を渡し、

  それを使い、利益を上げるように言い渡します。

 

  王が帰った時、家来の一人は

  その元金を十倍にして王に返しました。  

  それに対し王は、その家来に十の町の管轄を褒美にあげました。

 

  他の一人の家来は

  その元金を五倍にして王に返しました。

  それに対し王は、その家来に五の町の管轄を褒美にあげました。

 

  もう一人の家来は

  その元金をそのまま王に返しました。

  そして、その言い訳に

  そのお金を大事に保管しておいた、

  どうせ取られてしまう物なのだから

  増やしても何の特にもならない、と言いました。

 

  そして、王はその家来に対し

  その元金を一番儲けた家来に全て渡すように

  言い渡したのです。

 

ここで Jesus が言いたかったのは

 

神様は私たちそれぞれに違った能力を授けてくれています。

その授けられた能力を良いことに使わなければ

その能力の意味もなく、失くしてしまうでしょう。

 

ということなんです。

 

せっかく神様が私たちに授けてくれた能力があるのに

自分の利益にならないからと言って

何もしないで良いのでしょうか?

 

神様は私たちの利益を増やすためだけに能力を授けてくれたのではなく

誰かの力になるように能力を授けてくれたのです。

 

自分にできることで

誰かを助けることができたなら—

 

そうすることで神様に感謝の意を表すことができますよね。

そして、そうしていくことで

その授けられた能力をさらに向上することができるのではないでしょうか。

February 17, 2017

 

When you pray,

do not be like the hypocrites,

for they love to pray standing in the synagogues

and on the street corners to be seen by others.

Truly I tell you

they have received their reward in full.

-Matthew 6:5

 

(お祈りする時、

 大勢の前に立ちお祈りしたり

 誰かに見てもらうがために道の角でお祈りをするような

 偽善者にはならないように。

 そういう偽善者はすでに報いを受けています。)

 

 

Prayers from the Heart—

 

私は人の前でお祈りをするのがとても苦手です。

 

それは多分、

Church で Pastor のするわかりやすく素敵なお祈りを聞いていて

自分も完璧なお祈りをしなくてはいけないのではないか、

と思っているからだと思います。

 

Bible を勉強し始めた当初、

お祈りの重要さはわかったものの

自分の中でもどうやってお祈りをすれば良いのか

正直、わかりませんでした。

 

それこそ

"Prayer for Dummies"(初心者へのお祈りマニュアル)

らしき本があれば読みたいと思ったくらいです。

 

神様にお祈りをするのだから

間違ったお祈りをしてはいけない、

と思っていたんですよね。

 

でも、お祈りは決して誰かに発表するためにあるものではなく

自分自身と神様とのプライベートなコミュニケーションなわけです。

 

自分の正直な気持ち、正直なお願い、そして感謝を

自分なりに神様に伝える—それがお祈りなんです。

 

未だに人の前でお祈りをするのは苦手ですが

今では毎晩の Prayer Journal が楽しみでたまりません。

February 16, 2017

 

Blessed are those who mourn,

for they will be comforted.

-Matthew 5:4

 

(悲しみ悼む人は慰められることで

 恩恵を与えられています。)

 

 

Comfort from Jesus—

 

ここで Jesus が言いたいのは

誰か大切な人を亡くして、悼んでいる時も

Jesus は私たちの心の中にいて、慰めてくれている、

ということだと思います。

 

実は、私はこの歳になっても未だ

親族を亡くしたことがありません。

 

正直、大切な人の死を考えることさえ怖いくらいです。

 

ただ、私が何かで心をとても苦しんでいた時

Bible を読んで、本当に

「私は独りじゃないんだ」という気持ちになり

とても慰められました。

 

例え、家族や友達が慰めてくれても

自分の気持ちを100%理解してもらうのは

簡単なことではない気がします。

 

ところが

神様と Jesus は何を説明しなくても

きちんと理解してくれている、と

わかっているのでとても安心ができるんです。

 

もう10年ほど前になりますが

私がアメリカで代理母になり双子を妊娠した際

妊娠5ヶ月くらいでその双子が

Twin Twin Syndrome(双胎間輸血症候群)にかかっていることがわかり

専門医による緊急処置の甲斐もなく

流産してしまいました。

 

もちろん自分の子ではありませんでしたが

私のお腹の中に5ヶ月もいた双子の赤ちゃんを亡くしたので

ものすごく悲しみに悼みました。

 

ただ、代理母での流産だったということもあり

当時仲良くしていた近所のお友達みんなは心配してくれていましたが

私は自分の気持ちをどのように表現して良いのかわからず

数日間は家族以外の人と話すことを拒んだんです。

 

誰かに慰めてもらう時、私だけかもしれませんが

心配してくれているのだから

きちんと自分の気持ちを説明しなくては、

という気持ちになるんです。

 

その時はとても説明できるような心境ではなかったし

何をどうやって説明して良いのかもわからず

自分の心の準備ができるまでは、

旦那さんや家族は近くにいてくれたものの

心はひとりぼっちでした。

 

当時はまだ Christian に信仰していませんでしたが

今思うのは、この時にこの Jesus の言葉を聞いていたら

どれだけ救われただろう、ということです。

 

神様は、Jesus は、

私たちが何を説明しなくても

きちんと全てわかってくれています。

だから、全てを打ち明けることもできるんだと思います。

 

全て、本当になんの飾りも偽りもない全てを

きちんと打ち明け、それを理解してくれている、

と分かるだけで、心はとても軽くなります。

 

神様は私たち皆をきちんと見守ってくれています。

 

本当にそれだけで

私たちは恵まれているんだな、と思いますよね。