きのう、2019年7月23日のことです。

主治医、Y医師の診察がありました。

自分の病気について詳しく知りたいと、お願いしてありました。

 

診察の前日に病院を訪ねて、私の自宅療養の状況や、Y医師に質問したい内容をまとめた

手紙を、外来窓口を通じて、あらかじめ届けておきました。

診察の機会は、原則的に月1回ですので、せっかくの診察の機会をいただいても、

私がポイントを外した質問をしたり、主治医とのコミュニケーションに余計な時間がかかったり

しないようにと気をもんだからでした。

 

もっとも、月1回の診察も、私が希望すれば、たとえ当日の急な願いであっても、

Y医師は、状況が許す限り、私の診察を優先してくれています。

例えば、3週間ほど前の今月上旬、7月3日に会社で人事担当役員から、事実上の退職勧奨を受けたときも、

その足で病院を訪ねて外来窓口に事情をお話ししたところ、診察していただけました。

また、こうした診察は、1時間以上に及び、私の気分が落ち着き、Y医師の説明を理解できたことを見計らって終了となり、いつも十分な時間を費やしていただけるのです。

 

私が、昨年、2018年12月から通院している精神病院では、通常の外来診療は原則的に平日の午前しか行っていないようなのですが、

私の場合、Y医師の計らいで毎週第二火曜の午後に、「特別枠」といった形で診療の時間を設けていただいてきました。

 

この日の診察も、火曜午後の「特別枠」でした。

ですので、外来の待合ロビーはガランとしてしていて、人影はまばらです。

時折、看護師といった病院関係者が、外来窓口の詰め所や事務室に出入りするぐらいです。

私は、待合ロビーの長椅子に腰かけて、診察を待ちながら、

前日にY医師宛に届けた手紙のコピーの内容に漏れがないか、確認したり、

前回の診察時のときにつくったメモを読み返したりしていました。

 

「Mさん、3番の診察室にお入りください♪」

ロビーにアナウンスが流れて、呼び出しがありましたので、診察室に向かいます。

「失礼します。こんにちは」と声をかけました。

診察室では、デスクに向かった

白衣姿のY医師が1人、「どうぞ」と、私を迎えてくれました。

Y医師の手元には、私のカルテや資料が用意してあり、

昨日届けた手紙も、すでにファイルさせているのが見えました。

 

この日もY医師は、1時間半以上かけて、丁寧に詳しく、

私のメンタル面の問題について説明してくれました。

ただし、私には、このブログを読んでいただいている方に、

自分のメンタル面の問題について、ご納得いただけるように説明するには、

この初めて投稿するブログだけでは、ご説明できる自信はありません。

このブログを通じて、メンタル面の問題について、きちんとご理解いただけるように

ご説明していきたいと思っていますので、ご理解いただければと思います。

 

今回は、概略に絞ってお伝えします。

私のメンタル面の問題は、あまりメジャーな症例ではないのではないかと思います。

メンタル面の問題と言うと、一般には、うつ病などが広く知られていますが、

このブログを読んでいただいている方も、おそらくご存じない症例だと思います。

ですが、私の生活や人生に、深刻なマイナスの影響を及ぼしています。

家族や友人といった大切な人たちとの人間関係を損ない、いまも、職を失おうとしています。

 

ひとしきり私のメンタル面の問題について説明を受けてから、

私は主治医に聞きました。

 

「病名は何でしょうか。第三者に何と説明すれば、理解してもらえるでしょうか?」

 

すでに適応障害という診断はいただいていましたが、

私の場合、その背景には、もっと深いメンタルの問題があることは明らかだからです。

 

「非致死性トラウマによる自尊心の極端に低い人、と言えばよいでしょうか。非致死性トラウマの被害者ということです」

と主治医は言いました。

 

すでに2カ月ほど前の診察時にも、

「非致死性トラウマ」というキーワードで、病状の説明は受けていました。

ただ、その時は、いまのように職を失うような局面には至っておらず、

私には、「非致死性トラウマ」という言葉の意味がよく理解できずにいたのですが、

この1カ月ほどの期間で、現在の会社を辞めなければならないような状況に追い詰められ、

自分のメンタル面の問題の根深さを、痛切に自覚させられるようになっていましたので、

ようやく私にも、「非致死性トラウマ」という問題の存在が何とか自覚でき、

その病巣が私の精神に及ぼす影響を、曲がりなりにも認識できるようになっていました。

 

私は「非致死性トラウマ」を克服して、自分を社会の中で役立てていけるように努力して

立ち直っていきたいといった気持ちをY医師に素直に伝えました。

 

「自殺する人もいるような病気です。

それなのに、次々にチャレンジをしたのは、賞賛に値することです」

とY医師は続けました。

 

「Мさんが、話してくれた今後の生き方の方向性については、

まったく間違っていないと思います。Мさんはたくましく生きている。賞賛に値します」

ときっぱり認めていただきました。

 

私の主治医、Y医師は、このとき、「賞賛」という言葉を繰り返しました。

 

私は、つらかったこれまでの半生を主治医に理解してもらえたように感じて、

思わず眼がしらが熱くなりました。

私は、医師に伝えたように、これからの人生に、どのような苦難が待ち受けていけようとも、

それを乗り越えて、立ち直っていきたいと心の底から思いました。

 

「先生、ありがとうございます」

涙が、ポロポロとこぼれ、主治医は慌てて、机の上にあったティシュの箱を私に差し出しました。

ティシュの箱は、おそらく入院中の患者が手作りしたであろう、

折り紙で装飾された箱に入っていました。

私は、ティッシュを1枚もらって、涙を拭いました。

 

この先生に出会わなければ、

私はいったいどうなってしまっていたことだろう、と思いました。

精神的に完全にギブアップしてしまっていたかもしれません。

「先生に出会って、どれだけ、私が救われたか、わかりません。

本当にありがとうとございます」

何度も、お礼を言って、診察室を後にしました。