Project_Ukyoh

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音楽的感動を言葉に定着することによって、多少なりとも「音楽文化」に貢献できれば幸いです。

 

  guest: フリーステージ・アダチ 

    .前実行委員長 飯田豊彦氏  

 

右京:皆さんこんにちは『右京サロン』の時間です。 今日は素敵なゲストをお呼びしました。ご紹介します 。飯田豊彦さんですお忙しところありがとうございます。 飯田さんは私の古い友人でもありもう何十年とお付き合いしている友人です。ちょっとお兄さんですが。

 

『フリーステージ・アダチ』 コロナ禍での取り組み

 

  右京:実は飯田さんは昨年まで足立区共催のイベント『フリーステージ・アダチ』の実行委員長を長年務められて、区内の音楽グループやダンス、舞踊などのグループをまとめ、毎年開催してきました。今年になって、後輩に委員長の道を譲ったということです。 『フリーステージ』の運営にあたって、いろいろとご苦労とかその辺をまず今日は最初に聞いていきたいと思っておりますのでどうかよろしくお願いいたします。 昨年の『フリーステージ』ではいろいろとご苦労もあったと思いますが、その辺はいかがですか。

飯田:『フリーステージ・アダチ』は毎年12月上旬に20前後のグループ・個人が音楽・ダンス・舞踊といった分野で一堂に集まって、竹の塚学習センターで行われているわけです。私もこれまで5年間、このフリーステージの実行委員長を務めさせていただきました。特に昨年の12月は、今までのフリーステージの歴史の中でも観客数は最高でしたし、内容も充実したステージだったと思っています。演奏・演技の内容もとても良かったと思います。また区民の皆様の音楽・芸術に対する前向きな息吹きというものを感じました。まあそういう意味では5年間、実行委員長を務めてきて、これからまた次の方にバトンタッチして、さらにまた「区民が作る区民の舞台」として「フリーステージ」を発展充実させていただきたいと思っております

右京:フリーステージの歴史っていうのは? だいたい何年ぐらい前から始まったんですか? 

飯田:昨年が28回目ですね。 

右京:その間、コロナ感染が流行して、イベントを進めるのも大変だったと思いますが。 

飯田:確かに、この5年間にはコロナの自粛期間が約3年間ありました。この間、区内のイベントの多くが開催中止や延期、活動を中止したところがほとんどでした。ところがそういう状況の中であっても『フリーステージ』の灯は消さない、と実行委員の方々が会場の換気や消毒の徹底などの態勢をしっかりと作り、開催するとの方向で努力しました。足立区地域文化課の職員の協力もあり、確かに大変でしたが、結果『フリーステージ』だけがこの3年間1回も休演なく、できたということは 貴重な体験であり活動の成果だとそういうふうに思っております。しっかりとした換気・消毒などの態勢も全員の協力でスムースにできましたし内容も充実していたと思います。
右京:はい、これからも『フリーステージ』はさらに充実・発展させていただきたいと思います。

音楽との出合い  足立区立十四中ブラスバンド』立ち上げ
                            足立区の中学校すべてにブラスバンドを!!


右京:さて『フリーステージ』の件はこれぐらいにしまして、今日は飯田さんの個人のいろいろの 音楽に関しての歴史をちょっと聞いていきたいと思います。まずは飯田さんの音楽との最初の出会いはいつ頃ですか。もちろん子供の頃だと思いますが、その辺の概略をざっくばらんにお話ししていただければ助かります。

飯田:そうですか。私は小学校時代は台東区に住んでいましたが、昭和31年中学校に入学して、ブラスバンド部にブラスバンド部に入りました。最初、私はクラリネットをやりたくて希望したんですが、クラリネットの希望は女性が多く「男性はトランペットに」と指導している先生に言われまして。それでトランペットを始めたんです。2年間その中学校でやりました。三年生の時に、十四中に転校して担任の先生が音楽の齋藤先生でした。「飯田君は前の学校でブラスバンド部だったの?」って聞かれたんです。私は「はいそうです」と言ったら、齋藤先生が「そうなの、私も以前から、ブラスバンド部を是非うちの学校に作りたい思っていたの」と言われました。齋藤先生は早速行動を開始しました。当時の校長に直談判しましたが、学校に楽器を買う予算はないし、区の教育委員会に行ってもダメでした。そこで当時、地元で大きな会社を経営されていたPTA会長に校長先生を通してお願いしました。当時、私も齋藤先生と共に会長の自宅に行きお願いしました。こうした斎藤先生の「十四中にブラスバンドを!」との熱い思いと行動にPTA会長、役員や地元有志の方々が呼応し、協力が実って楽器が購入され、トランペット、バス、バリトン、大太鼓などがそろいました。また、十四中を卒業してからも何度か後輩の激励に學校に行きました。
そして1981年昭和56年には十四中は中学校吹奏楽コンクールで晴れて金賞を受賞し、その後、何度も金賞を受賞し全国に十四中の名を高めることができました。昭和50年代はもう十四中の吹奏楽部は全国レベルでした。ブラバンに入るために学区域外の越境がとても多かったですね。

右京:先ほど先生と飯田さんと二人でPTA会長に楽器を買って欲しいという・・・。

飯田:いろんなことやってやりました。ふつう生徒が一緒にお願いに行く、なんてことはあまりないことですね。現在の西保木間に会ったH会社ですが、学区内では大きな会社でした。また用務員室の倉庫にあった戦時中のラッパも取り出して修理もしました。

右京:受験勉強はどうしたんですか?

飯田:勉強もまあまあ頑張りましたよ。また高校ではジャズバンドを作って文化祭で盛り上がったことがあります。

右京:その頃はもうだいぶ上手にトランペット吹いて。
飯田:中学生っていうのは1年やればもうすぐ吹けるようになりますね。高校生の時でした、上野の池之端に会った「市松」というキャバレーのバンドボーイが小学校の同級生だったので、何度かアルバイトで吹いたこともありました。

右京:そこで足立区の文化活動、音楽活動の発展にどうしても欠かせないの方がいます。足立区の教育長をされていた佐々木一彦先生ですが、佐々木先生とのご関係っていうのはどういうふうになってらっしゃったんです

飯田:佐々木さんと最初に知り合ったのは、佐々木さんが体育課長の時ですね、若い三十代の体育課長でした。私はリトルリーグの会長をやっていて、その関係でグラウンドの確保や硬式野球への理解などで大変お世話になりました。佐々木さんは最終的に教育長になるんですけど、その前の部長の段階から音楽・器楽教育の充実を進め、昭和の50年代は区内の中学校にブラスバンド部が全校に配置されてなかったのですが、「全部の中学校にプラスバンドを作ろう」というスローガンのもと、佐々木さんが中心になって区内の音楽関係の方々などと連携を取っていろいろ尽力されました。これは足立区の音楽レベルを向上させたと思いますよ。各小学校にも金管バンドの編成や児童の合唱団体の育成にも尽くしてくれました。
 
右京:その当時はもう飯田さんは足立区の議員さんでもあったわけですよね。だからその力も相当ないと!

 

心に残る音楽 そして楽器 昭和の演歌への思い 吹奏楽器あれこれ

右京:話が尽きないと思いますので、今日はちょっと時間が限りがあるんで 出会いはまた次回なんかチャンスあったらお聞きしたいと思います。じゃあ次に、まあそういう中で飯田さんがこの何十年の人生の中で、心に残る歌とか思い出の曲とか何か印象深いそういう音楽なり歌があればお聞きしたいんです。

 

飯田:私はねクラシックって言いたいんですけどね あのやっぱりね、やっぱりなんて言うかな昭和歌謡。今もね、エアロホーンという楽器があるんですけど、それで昭和歌謡、自分でね、自宅で、楽しみに演奏してるんですけれども。

右京:昭和歌謡といってもいろんなジャンルがありますよね、演歌にしても青春歌謡にしても、どういうのが?

飯田:私は自分でも歌って好きなのは『望郷酒場』です。

右京:演歌がお好きなんですか。『望郷酒場』っていうのは誰でしたっけ?千昌夫さんですね。 

飯田:自分で唄う、というよりも、ハーモニカなどで吹いたりしますしね。 

右京:カラオケなんかも?

飯田:私はカラオケがね、苦手なんです。うまくないのも事実ですが。

右京:あんまり好きではない?

飯田:好きなんですけど、聞くのは好きなんですけど、なかなか自分では唄わないんですよね。

右京:じゃあ唄うよりは楽器を弾いて演歌を奏でるというか、いいですね。先ほどなんかクラシックはあまり好きではないって? 

飯田:私はねそうですね、ある時、あれはねいつ頃だったかな?チェロもある期間1年半ぐらいね、やったことあるんですよ。十代の後半に。チェロを板橋区にいた友人が一緒にやってみないかというんで教えてくれてね。ラ・クンパラシータを文京公会堂でね。もっとも弾かなくてもいいので、という条件で。欠員メンバーの代わりでした。「あんまり派手な動きがしないでください」と言われました。(笑)良い思い出ですね。

右京:音出したんですか?

飯田:練習をしたところだけは出しましたよ。あとで演奏の写真を見ましたらプロの集団みたいでしたよ。

右京:以前お聞きしたことによると、オカリナもやったりハーモニカもやってたとかいう話ですがそれはどうなんですか?

飯田:ハーモニカはそうですねえ。昭和60年の時に、日本でけっこう有名なハーモニカの先生が、ある人通してですね、「ぜひ足立区でハーモニカ講座をやりたい」という話を友達を通じてきたんです。それがきっかけで私が足立区の保塚センターというところでハーモニーカ教室を初めて開講させたんです。区の主催でやったんですね。それに50名募集したところ80人くらい集まりました。それがスタートだったんです。それで私も紹介したためそのメンバーに入って始めたわけです。それがきっかけでハーモニカを始めました。

右京:今でもハーモニカはやってらっしゃるそうですね。

飯田:そうですね、だいたい毎週水曜日に竹ノ塚センターで教えているのですけど現在生徒が13人ぐらいかな。地域のイベントだとか、老人介護施設やなんかに行って慰問演奏したりやっております。オカリナもグループ作って、老人ホームやなんかいって慰問活動なんかもやってきました。
右京:じゃあ年間何回かはそういう慰問というか?

飯田: そうですね、月に1、2回ぐらい行きますね。けっこう忙しいです。多いときで年間20回ほどの慰問演奏に行きました。ただコロナ禍なってからはね・・・・。
マケナイズでもそうですけれども、施設に行きますと、昭和歌謡を聞いたり、歌ったり踊ったり、涙を流して喜んでくれますね。 そういう機会を提供できるそういうバンド、あるいはそういうグループの一員で良かったなあというふうに思いますね!! 

右京:ありがとうございます。その中でいろいろ今お話を伺うとトランペットから始まっていろんな楽器をされてましたが、今思うとどれが一番お得意なのか?ハーモニカですか? 

飯田:トランペットは実際のトランペットじゃなくてね、違う形でのトランペットですけど。ハーモニカも最近はもう私が直接吹いて舞台に立つということはあんまりないんです。妻も私とハーモニカどちらを取るの、なんて最近いわれるときもありますよ。
右京:喜んでない? 

飯田:喜んでない(笑)! 

右京:もう少し、じゃあ、その中で一番苦手なのは何ですか?一番苦手な楽器は何だったですか?

飯田:そうですね、特にありませんが・・・

右京:そうですか飯田さんが僕が一番苦手な楽器はホラをふくのかなと?それが一番苦手なのかなと思ってたんですけど。

飯田:(笑)そうかもしれませんね。

右京:とうとう本人からは言葉が出なかった代わりに私が(笑)。

音楽の効果 そして役割は! 思い出、癒し、励まし、
        心と心の交流もすべてが音楽によって繋がっている!
             音楽って素晴らしい!! 


右京:次はこれから音楽を今までも現在も将来もやっていかれると思うんですけど、音楽の役割というか、そういうのはなんかこう非常に全体的な話であれなんですが、音楽の役目・役割っていうのはどのように感じていらっしゃいますか?

飯田:音楽っていうのはやっぱり人間が生きていくうえでなくてはならないものですね。例えば私よく思うんです。私が童謡で好きなのが、あの海っていう、”我は海の子~白波の~”その歌を唄うと幼少の頃を思い出す。そしてまた望郷酒場だとかですね。昭和演歌、”君の名は”。そうするとその当時、あの少年時代やあの幼少時代のいろんな、思い出がその歌とともに出てくるんですね。だからまず個人にとってはみんな同じだと思うんですよ、歌というのはね。そういう意味で好きとか嫌いとかって言うんじゃなくて、人生の節目節目の思い出の記録であり、その時々の喜怒哀楽が歌と共に思い出されるんです。音楽によって癒された 救われた、転機のきっかけになって励まされたって、これはもうみんなが万国共通に持っていらっしゃる。私たちがよくね、マケナイズもそうですけれども、高齢者の老人介護施設に慰問演奏に行くと、おばあちゃんが童謡で涙が流すんですよね。やっぱりその時、子供の時の懐かしい幼少に返って思い出してるんだな、あの涙というのはね。私たちいろんな形でハーモニカだとかあるいはまたいろんな楽器で私たちは演奏して、それによってご高齢の方、長い間ご苦労されてきた方々が本当にね、喜んでくれたりあるいはまたあの当時のことを思い出して本当に涙を流してくれたり、そういう心の交流っていうか、そういうものが音楽を通して全部繋がっているわけですよね。だからそういう意味では音楽っていうのは本当に素晴らしいですね!!    

右京:今、まあ飯田さんがおっしゃったようにいろんな人たちの心の中に、必ず音楽ってありますもんね。だから元気のない時とか、また元気になるとか、またいい思い出が出てくるとかね。 そういう役割っていうのは音楽っていうのはすごいなという、本当に感じますね じゃあ最後にですね、音楽活動でもよろしいんですが、こういうことをやってみたいとか、こういう目標があるんだとか、それを最後にお聞きして終わりにしたいと思います。  

飯田:私はね。毎日、ソフトボールやってるんですね。午前中、そのソフトボールに今90歳の人がピッチャーやって元気なんです。メンバーは約30人いるんです。いつも集まってくるメンバーは20人ぐらいですけど。だから私はね、今その先輩の90歳から数えて上から5番目なんです、ですから90歳までソフトボールをやっていたいですね。それから・・

右京:ホームラン! 

飯田:ホームランはちょっとね。それから私は88歳になったら個人のその音楽リサイタルをやりたいのです。それをね、88歳の時にやるために今、準備してやってるんですよ。あと7年ありますけれどもね。いろんな楽器をやって、ご支援になった方々に集まっていただいて。 そんな大勢じゃなくてもいいですけれどもね。一人!たった一人コンサートをですね、やろうという。目標があった方がいいでしょ。やっぱり今も、これこれからも、いろんな方々と関わりながらやっていきます。 

右京:ぜひ米寿のお祝いには実現できるように、それまで元気で。今日は寒い中ありがとうございました。

飯田:どういたしまして。

右京:機会あったらこちらからお声かけます。

飯田:ありがとうございますよろしくお願いします 

右京:今日はこれで右京サロンはとりあえずおしまいです。また次回お楽しみに!!