熱帯夜

 

 

 古びたサークルKを右折すると、左手には無尽蔵に伸びた雑木林、右手には民家が並んでいる。雑木林が風に揺られ、ささやかにうなる。勢い余った風が彩夏の髪を揺らした。この草木の混ざった臭い、澄んだとは言い難い空気、うーん地元だ、と彩夏は軽く伸びををした。景子の家に向かうまでの道のりが懐かしい。ここをaikoの歌を聞きながらよく遊びに行っていたなと過去が重なる。それにしても今日は暑いなと思う。意味があるのかは分からないが、手をうちわ代わりにはたはたと上下させてささやかな風を起こしてみる。律儀な子だなと思う。景子は家の門構えにしゃがみこんで彩夏の訪問を待っていた。改めて、どんな顔をして会えばいいのかが分からなかった。葬式会場では思い出話に花が咲き、笑い合ってはいたものの、一応こういう機会だし。景子は彩夏の姿に気がつくと、すくっと立ち上がり、手を振った。あぁそれでいいのねと彩夏は察して手を振り返した。

「夜でも暑いね、やっぱり夏は」と景子が第一声を発した

「8月だもんね」と彩夏が返す

「とりあえず、入って入って」と彩夏がドアを開けた。取り付けが悪かったスライド式のドアは、より悪くなっているようで途中でつっかえていた。彩夏は景子の後ろを追従した。らしくない緊張感が二人の間にはあった。そりゃあそうかと彩夏は思う。3年ぶりの再会だもの。それにこれも。と彩夏はあたりを見渡してみた。カラフルな二束三文の商品が並んでいた陳列棚はひっそりとたたずんでいるし、よく4人で集まったあのコーナーの机と椅子たちもどこか寂しそうだ。もぬけの殻になったんだ、まぁ当然か、もう駄菓子屋を閉めてからだいぶ経ったもんね。

「懐かしい?」と景子が駄菓子屋から家へと貫ける二つ目の玄関で振り返り、小声で彩夏に問いかけた。

「本当に懐かしい」と彩夏も小声で返した。

暑いでしょ?家の中に入ろうと、景子にそそのかされ、彩夏の慕情はどこかへと去っていった。

ちょっと待っててね、今コーヒー入れてくる。景子は立ち上がって台所に行ってしまった。ここは変わってないなと思う。所々にガタが目立ち始めているが、配置や臭いに変化はなかった。しかし、いつもは開けっ放しだった後ろの障子が閉まっていた。この障子の奥には畳の部屋があって、仏壇と簡易なテーブルが置いてある殺風景な部屋だった、はず。

砂糖とミルク入れる?と景子の声がして、入れると台所まで聞こえる程度の声で返した。なんで閉まっているんだろう?と考えている最中に、景子がマグカップを二つ持って帰ってきた。はいっと彩夏の前のテーブルにコーヒーを置いて、景子も腰かけた。

「なんか同級生の死って不思議な感じだよね」と景子がため息交じりに吐いた。「仲が良かったからね、私たち」と彩夏はカップを口から離して答えた。

「卓也も今日呼べばよかったね」と景子がコーヒーを口に運んで言った。予想した以上に暑かったのか、息を吹きかけながら、慎重に口へと運んでいる。

「卓也さ、結構もうきてるよね、髪の毛」と景子がカップを机に戻しながら言った。彩夏はそれを聞いて、ふっと口角がゆるんだ。空気が少し和む。景子が続けた。

 



なんか、昔はさ、亮のことよくいじってたくせにさ

 



あいつ野球部で強制坊主だったからね、と彩夏

 



卓也の髪もワックスで立ち上げてただけだったけどね。あっ、この前さたまたま昔行った海の写真見つけてさ、みんな中学生全開の写真でさ、私なんか思わず笑ちゃったよ

 



私はそんなことなかったでしょ?

 



彩夏もひどかったよ。目が真っ黒だったよ。

 




ありがちだなぁ。私も汚染されていたか~

 




中学生だもん。てかさ、あの時化粧意識しすぎて海入らなかったよね?私たち。

 




今思ったら、男二人いる時点で誰も声かけないよね、何のための化粧なのかよく分からないよね。

 




てか、そもそもすっぴんのほうがマシだったんじゃないかと思うよね。

 

 




それね。卓也とか何回も誘ってきたけど全部断ってさ。

 

 




寂しそうだったよね

 

 



結局つまらなかったから、近くのマック行ってさ

 

 




何しに行ったんだよって今になったら思うよね

 あぁそうだったなと彩夏は思う。この感じだ、これが居心地良くてずっと一緒に景子と居たんだ。そう言えば、行く前は計画がなかなか決まらなくて不安が大きかった。家から海までは電車を三つも乗り換えなくちゃいけなかったし、門限までに帰ることができるかも不安だった。だけど、無事に着いたらみんなではしゃいで、ちょっと高い海の家でご飯食べて・・・

その一つ一つが色鮮やかに蘇る。海の香り、波の音、刺青のお兄ちゃん、サングラスの似合わないギャル、はしゃぐ私たち、不安だった私たち。その思い出を今目の前にいる親友と照らし合わせる。高校時代から急に不良へと転換した卓也のことも、つられて少し悪くなった私の青い春も今こうして笑いあえている。社会に出てからかなり苦労してその分を取り戻したけれど、今にして思えば、それも正解だった様に思える。いつの間にか話はコイバナへと移る。結婚相手の話から、今の彼氏の話、それから過去に起きた仲間内での話。どんな話をしていても、必ずここに話題が戻るあたり、大人になっているようでなりきれていない様な気がした。目の前の景子もきっと芯の部分は変わっていないんだろうなと思う。

 



でさ、彩夏は卓也のこと好きだったの?

軽く口角が上がって、昔ねと漏らした。

でも、やっぱりあいつとは友達がいいよ。それくらいの距離感が居心地いいんだって思った。友達と恋人ってなると少し違うからね。

分かる。と景子はうなずいた。

なんかまたみんなでどこか行きたかったね、結局ずるずるして成人式から会ってなかったからね。

本当に、と景子はうなずいた。

見えない沈黙と寂寥が、ここに漂っていった。どこか遠くで迷惑なバイク達の音がする。

卓也もあんなバイクに乗っていた、よく迷惑なバイクで公園まで迎えに来てくれていた。夜にうっすらと見える金髪がこちらに近づいてきて、ブランコで待つ私にこう言う、どこか遠くまで逃げようぜ。あのバカ。ふっと頬が緩んだ。

なに?何を思い出してたの?と不覚にも景子に見つかってしまった。

話を逸らそうと景子に聞いた。

景子もさ、亮のこと好きだったでしょ?

なんか、何にも変わっていないなって思う。こういうだれだれが好きだったとか好きだとかそう言う話に惹きつけられる。たぶんいくつになっても。

 




私たちは何もないよ。勝手にお二人さんが恋に落ちちゃって、迷惑だったよこっちはさ、

 

 



え?よく言うよ、ダブルデートはどこがいいか二人で調べたじゃん。

 

 




過去のピースを記憶から探し出しては、二人で当てはめていく。完成したパズルの中にある昔の絵はどれも勢いがあって、めちゃくちゃで、そして愛しい。

 




なんかさ、あの時に戻りたくなっちゃたよ。

彩夏の問いかけに景子は微笑んで返事をした。

今ここには、次の出勤までに作成しなくてはいけない書類のことも、毎日揺られる満員電車も、ちょっとぎすぎすし始めた同僚の女の子のことも何もない。何も考えなくていい。

思い出は懐かしい。

過去って素晴らしい。

学生時代の友達も素晴らしい。

次はどの絵を完成させようか?

ねぇねぇ、そう言えばさ・・・