私の人生におけるストレスのひとつにメールがあります
大袈裟かしら?
でももはやメールの来ない日なんてないくらいでしょ?
昭和時代だったらもっとシンプルだった
電話していなかったらしょうがない 以上
手紙出した 返事は1週間後 以上
みたいな(笑)
今や何でもかんでもメール
昼夜問わずとりあえずメール
相手がどんな状況かもわからずメール
私はメールが来たらなるべく半日以内に返信するようにしている
即答できないときにはとりあえず「即答できない旨」メールする
つぶやきに近い意味のないメールにも最初は返信してたわ
「今日、街で○○見たよ」とかにも律儀にね
何故なら私自身返信を待つのがストレスだから
でも誰もがすぐに返信してくれるわけではない
特につぶやくやつほど返事はない傾向が
すると
「なんで返ってこない?」
と気になる
私が返さないときは
1.どうしても手が離せないことがあるor忙しい
2.不愉快な感情になった
3.返信するほどの内容じゃないと判断した
の選択肢しかない
最初は1だと思う
だが、時間が経つにつれ、もしかして2?と思い始める
こうなると良いこと悪いことあれこれ考え始めちゃうの
え?なんかした?
そして眠れない・・・みたいな
遅レス常習犯確定の友人に対しては、長年の信頼関係もあるから「そんなもんか」と思える
ただこの場合、例えばその子が病気で倒れていたとしても数日は気づかないかもしれないけど
まだ出会って浅い関係だったり、好意があったりするとますますこのスパイラルに陥る
奥田氏のときもクマオさんのときもクラノスケさんのときもそうだったな(つか全員だわ)
週末の予定を聞いてるのに、何故返信してこない?と
で、その先の私の行動パターンは
あれこれ考えるのに疲れて、面倒になって投げる
理由も聞かないし、「返信して欲しいーの☆」なんてことは絶対言わない
と、まぁ書いてる自分もあきれる面倒くさい思考なのですが、
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この本の中で「相手の問題を考えすぎない」という項目があるのですが、ここがドンピシャ
抜粋要約すると
何かを言った(した)あとに、「嫌われたかも知れない」「傷つけたかもしれない」などと後悔してしまう人がいますが、相手の思惑を気にしすぎて、気疲れしてしまったり、自分らしくいられなくなってしまうのは、自分にとって良くない
自分(がしたこと)を人がどう思うかは「相手の問題」です。
もし、相手に対する悪意が自分になく、この程度なら言っても「普通は問題ない」と思うのなら、あとは「相手の問題」です
自分が出したメールに返事が無くても「返事を出すか出さないかは相手の問題」で、それに心を振り回される必要はありません
例えばあいさつしても相手から返ってこなかったとき、「自分はしたのだからそれで良い」。しないのは「相手の問題」だから気にすることはない
要するに悪意のない球を投げたら、打つか見送るかキャッチするかは相手の問題
所詮他人のことだから、相手の問題でやきもきする必要はないのYO
という風に解釈しました(笑)
だからいちいち振り回されるのはやめました 多分
これで史上最悪の面倒くさい女から最悪の面倒くさい女に格下げになったはず・・・
ちなみにLINEの既読システムは私にとって地獄ですので、今後もやる予定はありません